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酩酊心酔 1 飲る必然

ドイツのトロリンガーというブドウ品種。初めて飲みます。黒い。やさしい。すごくピュア。味わいはピノっぽいけどそれとも違う・・・

                        (2400文字くらい)

どうやって酒を語ったらよいものだろうか。
感銘を受けた酒は数多くあるのだが、私は利き酒師でもワインエキスパートでも何でもない、ただの酔っ払いのおっさんである。
そんなのが、この酒は云々などと言ったところで、誰も読んでくれないだろうし、酒の旨さを文章化すること自体ハードルが高すぎる。
それに、食レポもそうなのだが、この世界は真っ赤っかのレッドオーシャンである。そもそもワインとか日本酒の世界は、マニアやオタクの巣窟であるからして、入り込む余地など、女子の手の甲に生えている針の先ほどの毛穴くらいしかないだろう。
だがそこに彗星の如く出現したのが、「酒場放浪記」の俳人吉田類だった。
下町の、大衆酒場の情緒という今までにない角度から酒と肴を語ったあの番組は、多くの酒飲みの心を掴んで離さなかった。

取材対象の店だけで今までで1500軒くらい回っているし、飲んでいる回数でいえば万単位になってくる。今まで飲み代に費やしてきた金額を総額すると、家が1,2軒は建っているかもしれない(笑)。

TBSサービス「吉田類の酒場放浪記」冒頭インタビューより(2009年)

多くのファンを得るということは、全てではないにしろ、そういうとんでもない経験とか努力が根底にあることは否定できない。
吉田氏は、よい店か、否かは何と店のオーラで分かるというのである。
だから、いちヨッパライである私が酒を語るには、何かしらの飛び道具、または卑怯な手を使わざるを得ないということだ。
また大きな問題として、酒を飲むことだけに焦点を当てれば、そこにオチというものは、ほぼ期待できないと思って良いだろう。
こういうあまりに不利な諸条件を鑑みたうえで、書けることは果たしてあるのだろうか。
まあ、例えば純粋なワインラヴァーが吉田類の番組を観ることは、あまりないのかもしれない。
また例えば職人的、木工的視点から、大吟醸の麹をつくるための「麹蓋」について語れる人はいないかもしれない。
私がほかのnoterさんのエッセイを見て、いい文章だなあと思うのは、やはり起こった事象をかみ砕き、その人となりのアウトプットがしっかりと出ている表現があることだと思う。
結局、話の論調がテイスティングのことになれば、その筋のプロフェッショナルに敵うわけがないのであるから、やはり正攻法では無理だろう。
そんなことを念頭におきつつ、酒について試しに書いてみようと思う。

何故飲らなければならないのか

30年以上酒を飲み続けてきて、よく言えば「継続とは力なり」ということなのだろうが、これは「酒は百薬の長」という言い草によく似ている。
ワインを極めたい、とか、日本酒の神髄を、とか言うのは自由なのだが、残念ながら、それはアル中になっているだけの話なのだ。
中毒性のある物質を摂取することに関して、世間一般ギリギリ認められているのはアルコールくらいのものであろう。だが最近は路上での飲酒も認められなくなっているくらいだから、もはやタバコと同レベルなのかもしれない。
タバコと言えば、私は喫煙者なのだが、ちょっと普通でないところがある。
普通でないとは、別に大麻とかそういう類のものでは断じてないのだが、量的なところが普通の喫煙者とは違うのだ。それも、敬愛する筒井康隆氏のように一日缶ピース一缶とかではなく、年間にしてわずか100本ほどである。つまり、一日あたりに換算すると0.274本くらいの計算になる。
これを年イチの健康診断の問診票に書こうとすると、
①1~10本
②11本~20本
③21本以上
とかから選択しなければならない。
当然、0.274本という選択肢はないので、表向きには非喫煙者ということになっている。
健康診断は面白い話の宝庫なので、これらの話は別の機会にあずけるのだが、そういうスーパーライトな喫煙を行っていると必ず言われるのが、

「そんなんだったら、止めちゃえばいいじゃん」

だが、別に止めなければならない理由もない。余計なお世話だ。
体に悪いとか言うのであれば、肝臓の方が先に逝くに決まっているので、別に良かろうが悪かろうがどっちでもいいのだし、強いて何か理由を探すとすれば、吸っている事がカミさんにバレて自宅の出入り禁止になるくらいのものなのだ。というか、うすうす感づかれていると思う。
このような事例から分かるように、私は中毒性のあるものに関しても自制が効く類まれなる人間なので、ことアルコールに関しても「アル中」とか言ってはみたものの、止めようと思えばいつでも止められるのである。
実際、健康診断の際、飲まなければガンマ線GTPとかの数字が変化するのかと人体実験よろしく1週間とか1か月とか禁酒して血液採取を行ったこともあった。だが、全く変わらない数字の虚しさよ。既に肝硬変なのだろうか。
タバコだって、禁煙に成功したという美談を聞くにつけ、
「メシがすげー旨くなった」
だの、
「体の調子絶好調」
だの聞くのだが、私の場合は全く一切変化無し。
だから、そんなもの止める理由など全くないのである。
飲む量としては、問診票的に言うと一日2合くらい。日本酒の一升瓶が5日でカラになる計算だ。ワインはせいぜい瓶半分。激ウマだとごくごく稀に一本あけるくらい。
ああ実に健康的。でも自称アル中。
何故アル中にこだわるのかと言えば、文章を書くときは9割方飲んでいるからだ。実に不謹慎。すみません。でもこれがすごく楽しい。困ったことに。これがアル中の文章なのである。

右は国産ミズナラ材を使った樽で醸されたものなのだと思う。調べてはいない。
自分なりに判断してから調べるべし。すごいカン違いをしている可能性もある。

これ、どっちが旨いと思いますか?
そりゃ、減っている方に決まってますよね。

ずっと色々なものを飲み続けて分かったこと。それは、

「自分が旨いと思う酒の判断基準がなんとなく解かったこと」

唯一たった、それだけのことなのです。
自分を知るのには、長い時間がかかったということです。
そういう訳で、この「酩酊心酔」の連載を始めてみたいと思います。
「泥酔上等」にしようかとも思いましたが、ヤンキーみたいなので止めました。

誰が読んでくれるのかなあ。
心配だ。

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