ビートたけし、北野武、映画、首、感想
エンタメとしての時代劇が「座頭市」なら、エンタメとしての時代物が「首」なんだなと観終わって思った。
時代物だけど今の人が観ても「あーこういう奴いるいる」って感じられる部分で映画を作れちゃうのやっぱり武さんが人のマネをすんのが嫌いな人だからだろうなと思う。
闇バイトの事件など10年前なら考えられないような事件が増えてる今、生きるためなら、金のためなら、名誉のためなら、それ以外は関係無い。みたいな価値観が台頭してきていて、武さんの言う「嘘臭い時代劇」が平成の平和な時代を反映させていたとするなら、「首」は現代の、令和の価値観とかなりリンクしている時代物なんだな思う。武さんの人生観が32歳の俺でもちょっと分かるとこまで時代が逆戻りしてしまっているのかもしれないとさえ感じた。
話は映画に戻って、村にしても、お城にしても、セットはめちゃくちゃ金をかけて作り込まれてる。戦いのシーンは海外の戦争ものの映像の撮り方をちゃんと自分のものにしてるし、古い日本映画の断片のようなもの(農民が小屋のなかで寝ころぶシーンなど)が取り入れられていて武さんの美的感覚は古びてないし、ちゃんと更新されていってるんだなと感じた。あの歳でこういう映画が撮れるんだからやっぱり巨匠だなと思う。
本能寺の変の真相で、秀吉が信長の訃報を聞いてからの毛利氏との和睦&引き返すスピードが早すぎるという理由から秀吉の黒幕説があるのは知ってたけど(というかそれ以外は知らない笑)秀吉が事前にどう動いていたかを考えたことが無かったので「首」を観たらもうこれが事実ということでいいんじゃないか?とすら思った。(歴史マニアに怒られそう笑)
秀吉に憧れるキム兄もすごくいい演技をしていて、それを見事に操ってみせる秀吉の狡猾さも面白かった。まあ、あーいう異分子的な要素は時代劇に限らずよくあるパターンかもしれないけど。
猿知恵と馬鹿にされていた秀吉が結果的に信長を倒すというのはやっぱり皮肉がきいていて面白いし、それをちゃんと物語に組み込んでしまう感じが武さんらしい部分でもあるよなぁと思った。
信長と森蘭丸の男色は森蘭丸のルックス的に理解できるけど、荒木村重と明智光秀の男色はあんまりリアリティーが無く感じたけどそれは多分、僕が現代に生きてるからなのかもしれないとも思う。
ラストで明智光秀があっさり自害してしまうのだけど、それが逆にリアリティーを生んでいるように感じて、ネチネチと内面を描かないのは武さんらしくもあるし、映像的にすごく迫力があるわけじゃないけど、とても印象に残るシーンになっていたように思う。
織田信長のバイオレンスさは狂って見えるけど、狂った人が人を刺してもさして驚かないが狂ってない冷静な人が人を刺すとそっちのほうが怖いのと同じで武さんが秀吉を演じたのはこれまた武さんらしい気がした。
そういう秀吉も晩年は狂ってしまうんだけど。
信長の首を斬り落とした弥助がどこへ行ったか(死んだんだろうけど)を描かないのも、なぜ見つけられなかったの答えも描かないのもセンスあるよなぁと思った。