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「クレバーマイノリティ幻想」〔コイネージ【新造語の試み】23-1〕

「志なく『自分は賢しき少数派だ』と思い込む心理状態」

これを意味する

「クレバーマイノリティ幻想」


という言葉を新たに造り、そう呼んでみる。  

初めに目標や志があり、そのための試行錯誤をしていくうちに独自のスタイルや価値が形成されていった、ということではない。

初めに「他人とは違うと思いたい」ありき。

大衆とは違う意見・価値観・スタイル持っていると自称することで、「自分はその他大勢とはなにかが違う」という思いに浸ること。

あるいは、「自分は特別なマイノリティだと思いたい」が先にあり、そのための根拠を求めて特異な思想を抱いたり、奇行ともいえる言動をとる。

そのような心境を指す。

それは、

「大衆は雨の日に濡れるのを嫌がり、傘をさすんだろうが俺は違う!

大自然の恵みを肌で感じて、他にはない感性を磨くぜ」

と、大雨の中、傘もレインコートも持たずに生身で外出するようなもの。


「俺は思考停止で情報を鵜呑みする奴らとは違う!

常識にとらわれず、独自のスタイルを貫くぜ!」

と、クロックス・Gパン・Tシャツで富士登山をするようなものだ。

これらの行動が「クレバーなマイノリティ」のそれなわけがないことは、論を俟たないだろう。

大雨の中、一切の雨具を持たずに外出をすれば、身体や衣服は濡れるし、所持品(スマホ・PCなど)は損壊する。その状態で電車や建物に入れば、他人に迷惑をかけ、不快な思いをさせる。当然、体調不良の原因にもなる。

富士山は、確かに登山家でない一般人でも登れる山だ。しかし、それでも傾斜、険路が続き、気温は夏でも平均5℃前後。高山ゆえ空気も薄い。
そんな山にクロックス・Gパン・Tシャツなんて超軽装で登ろうものなら遭難は必至。登山を楽しむ周りの人に水をさすし、救助する人に多大な迷惑をかける。最悪の場合、命を落とすことになる。そもそもつらい、寒い、苦しいだけで、まったく登山楽しめないだろう。

「自分は他人とは違う気分に浸る」という"一利"に対し、"百害"をもたらす最悪の行動。

「愚か」

という他ないだろう。

思うに、マジョリティは「無難に正しい」。

「大衆は思考停止している」と、思い込みたい誰かさんの都合とは裏腹に、皆それぞれ考えて行動している

大雨の日に徒歩で外出するなら、100人中100人が傘をさすかレインコートをまとう。当たり前だ。

富士登山をするなら、大多数の人間は下調べを入念にし、装備を整え、計画を立てて、万全の状態で登る(僕は富士山登頂経験有り。もちろん"そうした")。

他人や大衆の考えや行動に則るのは、なんら不合理なことではない。

そこを外しながらも「賢い」とされるのには、相当の「知性」と「努力」が必要である。  

例えば、「傘・レインコートではない第三の雨具を発明する」。

「安全を確保しながらも、より気軽に富士登山ができる装備やトレッキング法を考案する」。

これができる人は「マイノリティ」だろう。

もちろん、それを成すのは簡単ではない(第三の雨具なんて、僕は思いつきすらしない)。

だからこそ、他とは違う「知性」。だからこそ、「努力」。  

そうして、他人や大衆が気づかない価値を創るのに成功したならば、ここで初めて「賢い人」とされ、皆に尊敬される。

あくまで価値創出を成すための思索と行動が、結果的に「クレバーなマイノリティ」に映るのだ。

「価値創出への志」が初めにありき。

決して「自分は賢い少数派だと思われたい」ありきではない

なにも志さず、なにも努力せず、なにも創り出さない、ただ単に変わっているだけの言動。そんなものは賢い少数派でもなんでもない。

価値創出に繋がらない変わり者は、ただの

「凡人」

にすぎない。

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