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「トイレットレゼデント」〔コイネージ【新造語の試み】3 Ver.2〕
※尾籠な話注意
「公共トイレの個室に"文字通り"居座り、いつまでも出てこない人」がいる。
このような者を「トイレットレゼデント」、あるいは、これを略して「トイレゼ」と呼んでみる。
「レゼデント」とは英語の"Resident"で、「住人、居住者」という意味である。
そこそこの確率で"エンカウント"する、厄介な人たちだ。
よく、コンビニや駅などの公共トイレを利用しようとすると、個室が塞がってることがある。
ここまでは、まぁよくあることだし、大抵数分待てばよい。
しかし、たまに
「コイツ、このまま住み着く気ちゃうか!?」
ってくらい、いつまでたっても個室から出てこない輩に遭遇することがある。
こんなとき、僕は「『トイレゼガチャ』外れ…」とため息をつく。
コンビニのように一つしか個室がない場合はもちろん、複数個室がある場合でも"一斉に住み着かれる"こともしばしばだ。
そもそも、公共トイレの個室に入ろうとすること自体が既に、個室が空いているかどうかの「個室ガチャ」というべき賭けである。
残念ながら、永遠不滅の真理だ。
ここで当たれば「よし」。
心の中でガッツポーズして、いそいそと個室に入れる。
しかし外れれば、さらに中の人が"必要最小限の行為"だけをしてくれる人か、そのまま住み着くかの如く居座り続ける「トイレットレゼデント」かの「トイレゼガチャ」を引かされることになる。
この、「個室ガチャ」と「トイレゼガチャ」をダブルで外したら「最悪」。
「動くか、留まるか」の難しい判断を迫られることになってしまう。
馴染みの街ならば、トイレがどこの建物や施設にあって、個室がいくつあるかを大体把握している。
なので、時間帯や人の量などを見て、どこに行けば"当たる"確率が高いかの「読み」をある程度働かせることができる。
しかし、初めての街ならばそうはいかない。ガチャのセオリー通り、「祈祷の力」のみに頼らざるをえない。"このご時世"で、トイレ使用をお断りしている店もある昨今ではなおさらだ。
最近はトイレに行くのも、中々の"ギャンブル"だ。
この「トイレゼ」たちがトイレに"住み着く"理由。
彼らをトイレに繋げている"鎖"。
そんなもの、一つしかない。
現代人の利き手と同化している「あれ」であろう。「あれ」はいまや、人の心身を便器に繋げる"鎖"でもあるのだ。
しかし、「トイレゼ」たちは気づいていない。
「トイレで『あれ』扱うことは、"運気を落とす愚行"である」ことを。
トイレは「不浄の場」だから、長居すると運気が落ちる云々の風水的な話ではない。
①非常に不衛生な場所で「あれ」を操作すれば、細菌がつくのは必至。手を洗ったとしても「あれ」までは洗わないだろうから、細菌が手やカバンにくっついてくる。
それにより「健康運」を落とす。
②万が一、腰をあげたときの拍子などで「あれ」が水没してしまえばジ・エンド。
交換費用で「金運」を落とす
(別の意味のキンウンはつくかもしれないが)。
そして、これが一番重要かつ確実だが、
③トイレで「あれ」を扱い、自分の世界に入り込むような人は、「後の人が待っているかもしれない」という当たり前のことに視野が及んでいない。
そんな他人を顧みない体質の人間は、学校・職場や家庭でも自己中心的な言動が多くなるであろう(しかも、本人はそのことに気づいていない可能性がある)。
そのような人物は、周りの信用を失っていき、「対人運」を落とすことになる。
このような生物的、物理的、そして社会的な話だ。
トイレは、住み着くところでも、コワーキングスペースでもない。「用を足すところ」だ。時代によって変わることがない永遠不滅の真理である。
"必要最小限の行為"を済ませたら、さっさと出るべきなのだ。
彼らがわかっていないわけはないのだが。
(2021/12/08に投稿したものを再編)