「新・『365教』の読み方」〔ダイアリー【間隙の閑話】2〕
「『365教』の時点で"はてな?"なのに、さらに『新』ってどういうこっちゃ?」
タイトルを読んで、こう思われたかもしれない。
『365教』とは、「365日すべての日々を愛と感謝の気持ち一杯で過ごそう」という教義で、2021年に僕が興した「新興宗教」
…ではない(これを言わないとnoteさんに"注意喚起"を付けられそうな気がして)。
ここ最近、書店で「1日1ページ毎日読んで、365日かけて少しずつ教養を身につけよう」というコンセプトの本をよく見かける。流行りだろうか。
例えば、
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』(デイヴィッド・S・キダー ノア・D・オッペンハイム 小林朋則訳/文藝社)
がそうだ。
このようなコンセプトの本を、僕は勝手に『365教(サロコきょう)』と呼んでいる。本稿でも同趣旨の本のことを、以下『365教』と呼ぶ。
僕は単純に「面白い!」と思い、上記の本を購入して読むことにした。"教養"はあるに越したことはない。手軽に採れるならなおのこと。
…だが、読み始めてすぐに、問題が発生した(というか、購入前から薄々感じてはいたが)。
「これは飽きやすい。三日坊主ルートまっしぐらだ」
と思った。
製作者さんの意図としては「1日1ページずつ、初めから終わりまで順次に読み進める」ことを想定しているのだろう。
本の各ページに、通し番号は当たり前として、「第5週 第5日」とか「7月6日」とかいった具合に、「このページはこの日に読みましょう」という"指示"が書かれていることから、それは読み取れる。
これ、製作者さんには申し訳ないが、
「この本、頭から律儀に読み進めて1年かけて完読できた人いる?」
ーと、素朴な疑問を抱いてしまった。
この本を、本来の読み方で読み進められる人って"性格的に"かなり限られるのではないだろうか。
英単語を1日1語覚えるやり方は、効率的ではないのに似ているというか。原始時代だけやたら詳しくなる、歴史科目の感覚に近いというか。
それと、「1冊読むのに1年は長くて単調」問題もある。
例えば、上記の本を読んでいる最中に、『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』(藤尾秀昭監修/致知出版社)に出会ったとする。
「"今"読みたい!」
そう思っても、まだ先の本が読み終わってないから、(三日坊主問題はクリアできると仮定して)読めるのは1年後。なんとももどかしい。
また、受験でも同じ科目をずっと勉強し続けるのは効率が悪いように、1年ずっと同じ本を読み続けるというのは、本自体に飽きてくる。これが、上記の三日坊主問題に拍車をかける。
やはり、違う趣旨の本を、複数冊同時並行的に読んだ方が、精神衛生的にもいいだろう。
しかし、そうなるとさらに問題になるのが「読書運用」の問題。
当たり前だが、仕事に、家事に、勉強に、他の読みたい本に、(noterなら)執筆に、他にもやるべきこと、やりたいことは沢山ある。
例えば、朝にA本、夜にB本を読むことを決めながら、B本を読む時間をうまくとれなかったとする。
翌日、読めなかった部分を、その日の分と合わせて読もうとすると「負担」になってしまうし、また読めなければ「負債」になる。そうなればまた、三日坊主という「破綻」へまっしぐらだ。
そもそも、運用しようとすること自体が既に「負担」だったりする。
やはり、『365教』は読書で、「趣味」の部類。「楽しくなればならない」。ならば、負担の要素はできる限り排除した方がいい。
また、『365教』のコンセプト自体はやはり素晴らしい。古今東西の様々な事柄や考え方が、一流の書き手により1ページに集約されており、読めば確実に勉強になる。1ページを読むことだけをみれば、大きな負担でもないし、その積み重ねは決して小さなものにはならないだろう。
できたら無理なく継続したいものだ。
これらの問題をクリアするためのアクションは一つ。
「サイコロのアプリ」を使う、である。
『365教』はその性質上、各ページに1〜365の「通し番号」が書かれていることが多い。
僕の提案する「新・『365教』の読み方」は、「サイコロアプリ」を使って出た目に相当する通し番号のページを読むという、シンプルなものだ(以下、「サイコロ法」と呼ぶ)。
この「サイコロ法」を用いることで、『365教』の読書にランダム性を取り入れられる。
それにより、複数冊を無理なく、心的負担なく読み続けることができ、結果習慣化に繋がる。
実物でもいいが、今回は四面体と十面体のサイコロを複数使う。六面体以外のサイコロは、手に入れるのが少々面倒だ。関東圏だと「東急ハンズ」以外に売ってる場所が思い浮かばないし、Amazonなどを使うにしたって時間と金はかかる。振るのに場所が必要だし、なくせば探すのに時間をロスする。
手で本をパラパラめくって適当に引く、でもいいが、それだと若干の作為が入り込むし、選択ページが中央部に偏る可能性がある。やはり、100%ランダムであるのが望ましい。
そうなると、「サイコロのアプリ」を使うのが一番だ。
僕は「ダイスふる」というアプリを使っているので、これで説明する。
①まず、『365教』の本を好きな冊数用意する(目安1〜6冊)。
②(2冊以上であれば)本にそれぞれに番号を割り振る。
僕の場合は
❶ 『1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365』(齋藤孝監修/文藝社)
❷ 『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』(デイヴィッド・S・キダー ノア・D・オッペンハイム 小林朋則訳/文藝社)
❸ 『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365 人物編』(デイヴィッド・S・キダー ノア・D・オッペンハイム パリジェン聖絵訳/文藝社)
❹『教養としての世界の名言365』(佐藤優監修/宝島社)
❺ 『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』(藤尾秀昭監修/致知出版社)
の5冊だ。
(なお、❺ 『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』には通し番号がない。そのような場合は、目次のページに通し番号を事前に書くといいだろう。そのくらいの手間はしょうがない。)
③アプリを開き、本の番号(❶〜❺)のためのサイコロ一つと、通し番号(1〜365)のためのサイコロ三つ(四面体1、十面体2)をセットする。
④"Roll Dies"(サイコロを振る)。
⑤出た目の数にあたる、本及び通し番号のページを読む。
見方は以下に示す通り。
僕は、5冊読もうと思ってるので、本番号(❶〜❺)に六面体のサイコロを使い、6の目が出たらもう一度という具合にしている。
2〜4冊にするなら四面体を使い、(2冊なら)偶数奇数で区別、(3冊なら)4が出たらもう一度、にしたらいいだろう。
そして、通し番号(1〜365)のサイコロをスケルトンにして、本番号のサイコロと区別。
1桁目、2桁目のサイコロに十面体(1〜10)、3桁目のサイコロに四面体(1〜4)を使い、3桁目のサイコロに4の目が出たら"0"とみなすことで、99以下のページにも及ぶようにする。
僕は、2桁目、1桁目は3桁目のサイコロに近い順にしているが、色で決めてもいい(そこはお好み)。
366以上が出たら、ふり直し。
「サイコロ法」の説明はこんなところだろうか。
このやり方ならば、『365教』読書を無理なく楽しく続けられると考える。
・どの本、番号が出るかは100%ランダムゆえ、ワクワク感がある。
・好きなときに読むことを(心的に)可能にし、「この日にここを読まなければならない」という負担感を払拭できる。
・同じ本が当たり続ける確率は低く、マンネリ化を防ぐことができる。万一、同じ本が当たり続けたとしても、本を意志で選択して、通し番号のみを引くこともできる。
・違う日で番号が被って出たなら、読み直して記憶の定着を図ればいい。
後は、各人の生活や嗜好などに合わせて組み込めばいいだろう。
僕は、朝食を一人で食べることが多いので書見台を使い、食事をしながら読むことが多い。
通勤・通学時に読むなら、自宅を出る前に本だけ先に決め、電車の中で通し番号を決めるのがいいかもしれない。
就寝前に「サイコロ法」を使って読書し、読み終わった後栞を挟んで、翌日そのページを読むようにすれば、記憶の定着を図れる。
本に指定された日のページを読む本来の読み方に、+αで「サイコロ法」の読み方を付け加えてもいい。
この「サイコロ法」は応用が効く。
『365教』の読み方としては、"One of the best method"であろう。
もっとも、このやり方をとったとしても「完読するのに時間かかる」問題は避けられない。5冊なら単純に5年かかる。番号が被る可能性を考えれば、もっとかかるかもしれない。こればかりはしょうがない。
しかし、この『365教』読書の目的は完読することではない。「幅広い教養を身につけること」にある。
それを成すには、「千里の道も一歩から」の格言通り、1歩1歩1ページ1ページ進める以外に「道」はない。
その「道」が少々面倒であるなら、「キアイコンジョウ」で進むより、「楽しさ」で面倒さを覆いかぶす方が進みやすいのではないだろうか。
どうせ、時は過ぎる。
ならば、そのひと時は「無理なく楽しく」過ごしたい。そうして楽しくときを過ごした数年後、気がついてみれば「いつの間にか"教養"が身についていた」…。
「理想的」ではなかろうか。
『365教』および、「サイコロ法」はそれを可能にする。
僕は、この読み方で『365教』を読み続ける。
読者の皆さんは、『365教』を読むか、否か、はたまたどう読むか。
さぁ、「賽は投げられた」
…とは、少々言い過ぎか。