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私は子であり父である。銀河鉄道の父を読んで

小説を読みながら
「あぁ、この感覚、気持ちを知っている」
と感じたのはこれが初めてだった。

共感というより、もう一歩自分の芯に迫る感覚

文字で描かれる場面とは別に、自分の過去と現在が常に頭に浮かぶ、そんな作品だった



映画化もされた小説、「銀河鉄道の父」

タイトルからも想像がつくが、作家、宮沢賢治の父「政次郎」を中心に、賢治の一生や父親観を描いた作品である。

宮沢賢治の父、政次郎は昔ながらの厳格な父として振る舞う一方で、自分の子どもが入院したときには夜通し看病してやるほど溺愛もしている。

政次郎の父からは
「お前は父でありすぎる」

と言われるほどで、当時の父親像ー厳しく家を守り、子のことは妻に任してドンと構えるーから離れたものであったことが伺える。

私自身、娘を育てる親であるが、読みながら考えたのはむしろ自分の父のことだった。

亭主関白で無口な父であったが、何かとワガママを聞いてくれた父の姿が政次郎と重なった。

学はあったが、商売の道に進んだあたりも、偶然であるが政次郎と自分の父が重なる点である。

私の父は、基本的には子供の意思を尊重する人だった。
何をするにしても、理屈が通っていれば応援してくれたように思う。

政次郎は、表向きは厳格にあらねば、と思うも、賢治の頼みであると(結果的に)なんでも聞いてしまう

理科室にあるような石を入れる標本箱を買い与え
進学は必要ないと言いながらも最後には認め
金の無心にも応じてしまう

おそらく私の父も、進学先について言いたいことがあっただろうし、犬を飼いたいと言った時には困りながらもわざわざブリーダーから犬を買ってきた。

金の無心は流石にしたことがない、と言いたいところだが、実際は何度かしていたことを思い出す。

無知と純粋さで「おねだり」していたその頃、父は父で「言いたいけど言わない」という葛藤を抱いていたのだろう。そんなことを、政次郎の姿を通して私は知ることになる。

今でこそ名の知れた作家として語られる宮沢賢治だが、小説の中では大人とうまく関われず、仕事がなかなか続かない。さらに体が弱く病気がちであったことが綴られている。

親からすれば気苦労が絶えない存在だろう。

一方で、この作品では賢治から見た父親の姿も描かれる。

物語の終盤、厳しくも、寄り添い、常に正面から向き合い、賢治の「壁」としてあり続ける父に対しての思いが吐露される場面がある。

ここに来て今度は、今自分が育てている娘から私はどう思われるようになるのだろう、と未来に思いが浮かぶようになる。

私は今でも父の子であり、そして現在進行形の父でもある。

「父親」というものを親の目線、子の目線で切り取ったこの作品は、偶然にも今の自分にピッタリだったようだ。

タイトルのベースになっている「銀河鉄道の夜」は未完のまま世に出された作品である。

子どもも親も、完成されることなく、悩みながら生きていくのだろう。

そして完成されることがないことを、温かく受け止めることができる、そんな作品だった。

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