ざっくり!日本美術史 弥生編
前回から気まぐれで始まりました「ざっくり日本美術史」。
第2回目の今回は弥生時代についてです。
弥生時代とは紀元前10~紀元後3世紀頃のこと。
朝鮮半島経由で伝わった水稲耕作が日本にも定着し、米を食べ始めるようになったのがこの時代です。前時代の狩猟採集型の経済から食糧生産経済に変わりました。
弥生時代の一大トピックは大陸文化との接触が挙げられます。
大陸から伝わってきたのは稲作だけではありません。新たな素材としての金属が持ち込まれます。それを加工する技術集団とともに日本に伝来し、普及していきました。
大陸との接触は日本美術史上でも非常に大きな出来事です。このあと江戸時代に至り鎖国が行われるまで、長きにわたり大陸特に中国の影響を強く受けた文化が形成されます。
弥生時代の美術品は主に土器と金属加工品。
美術品の雰囲気も縄文時代の呪術的なものから、大陸の影響を受けて実利性と機能性を重視したものに変化しました。
弥生土器
弥生土器は装飾や複雑な文様が少なく、機能優先の造形です。
縄文土器にあった火炎土器のような過剰装飾は見られなくなります。
用途としては食料貯蔵用の壺や煮沸用の甕、盛り付け用の高杯・鉢などです。
弥生土器の形状や装飾には地域差が見られます。
九州北部では文様がみられませんが、近畿地方や伊勢湾岸では櫛描文が付いています。さらに関東地方や東北地方では、縄文土器を引きずった比較的派手な文様が残っていました。
銅剣・銅矛・銅鐸
大陸から金属器(鉄・青銅)が流入し、武器や生産用具、祭器として発展しました。
特に銅鐸は表面に絵画的装飾が行われています。
銅鐸絵画ともいわれ、わが国で最初期の絵画とされています。描かれているものは幾何学文様、人物、動物、狩猟や農耕の様子などです。当時の社会や風俗を知る上でも重要なものです。
土器絵画
銅鐸に描かれた線画は、その後土器絵画として発展します。
表面に線刻する場合がほとんどですが、ベンガラで塗る表現も見られます。描く対象は動物が中心で、世界の先史絵画で描かれる植物、月や太陽を描かないことも特徴のひとつです。
こちらも祭礼や建築物も描かれ当時の生活様式を今に伝える資料です。
弥生時代まとめ
縄文時代と比較すると表現方法が立体から平面的へ移行しています。
華美ではなく、機能重視で実用的な造形を好む傾向もみられます。
また、金属加工技術が伝わることにより、素材の多様化します。素材への線刻が行われはじめ、これは日本絵画の原点とも言われています。
次回は古墳時代の美術をご紹介します。
それでは。