ゴールデンウィーク最後の日に雨が降った。
映画館で銀河鉄道の父を見た。
役所広司主演 菅田将暉助演
宮沢賢治役は菅田将暉
歳を重ねるにつれて役所広司の演技が光る。
目の明るさで演技する俳優を初めて見た。
宮沢賢治は詩人としても童話作家としても一流だと思うしゴッホと並ぶくらい生前評価されてもいい人物だと思う。
だがどこか浅い気がしてあらかた読んだが子ども向けだという感覚があった。
それが映画になると菅田将暉の演技によるものなのか文学が光って見えた。
私は純文学が好きで詩はほとんど知らない。
真剣に読んだのは室生犀星と北原白秋くらいである。
その二人の詩は堅牢な感じがしてどこか純文学テイストな感じがして面白かった。
だが星めぐりの歌も春と修羅も銀河鉄道の夜もどこか陰鬱で寂しげな感じがして影響は受けてこなかった。
どちらかと言えば弱さを売りにする文学者でも太宰治の方が好きである。
なぜかというと宮沢賢治はイーハトーブよろしく造語が多すぎて世界観についていけない気がする。
それを今回の映画でも同じように思った。
風の又三郎も擬音が多くて読みにくい。
多分勉学の方向性や信仰心が間違えていたのではないかと思う。
私は宮沢賢治を評価しないわけではない。
やまなしなど素晴らしいファンタジーのような作品も生み出している。
注文の多い料理店も彼の文学の中ではわかりやすいメタファーで覆われている。
宮沢賢治は東日本大震災など一〇〇年先を見ていたと言う人もいる。
まだ私達の世代では理解できないレベルなのかもしれない。
私は銀河鉄道の父を見ながらなんだかんだ言っても宮沢賢治は坊ちゃんじゃないかと最初から思ってしまった。
有名になれたのもお父さんのお金あってのことだし結局は文学もお金に左右されるんだろうなと悲観的になった。
私はほとんどお金も持っていないしパトロンもいないし傑作も生み出していない。
これからどれだけ時代が変わろうと私の夢である文学者、国際政治の舞台、芸能は叶うかどうかすら怪しい。
夢はつまり思い出のあとさき。
ここまで銀河鉄道の父についての解説をしたがほとんど宮沢賢治の悪口だったことをお許し願いたい。
私はこういう御涙頂戴ものに弱い。
最後本当に泣きそうになった。
その代わり宮沢賢治にもっと生きろよ!なんでもっと書かねえんだよ!全集三巻だけかよ!と言いたくなった。
だから彼の不完全なところを指摘して私は今世で成仏して物語を書き切ろうと思った。
ネタバレしないように心がけたがまだ見てない人には良くなかったかもしれない。
今日がゴールデンウィーク最後で大雨の日なのは私達の次なる人生のステージを祝福しているのかもしれない。
皆様にとって休暇や仕事が楽しくできた日であることを祈っています。
今週は私にとって小さな勝負の週。
真面目に一歩ずつ前進できたらと思います。
映画の感想など少しずつ載せていけたらと思います。
いつも読んでくださり感謝しています。
今後とも引き続きよろしくお願いします。