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はじめてのギャラは500円でした(14)
約束の日に引き合わせてもらった、Hちゃんの会社のディレクター氏は
見るからにIT系の、テクノロジー感溢れる男性でした。
んで。
ここで白状してしまいますが、打ち合わせの内容は、
ちっともさっぱり全然まったく、わかりませんでした。(すいません)
多分、わかったような顔して聞いてたと思うけど。(ほんと申し訳ない)
とにかく、最後に、
「で、Aikoさんはどれか得意なのある?
データベース?ゲ
はじめてのギャラは500円でした(13)
その日の講義の間じゅう、
ある場面が、わたしの頭の中で繰り返し再生されていました。
場所は、ジャズダンスクラスのスタジオの外にあった、木のベンチ。
レッスンが終わったところで、わたしは、Fさんと一緒に、ジュースを飲んでいました。
Fさんはね、わたしより10歳くらい年上の方なんだけど、
すごくステキだったんですよ。
元気で可愛くて。一生懸命なんだけど、サバサバしてる。
曖昧なところがひとつもな
はじめてのギャラは500円でした(12)
学校というのは偉いところで、そこに所属していると
いつの間にか互いに異なる要素というのはあまりアピールしなくなり
圧倒的な共通項を前提として微細な差異を光らせるような形に、
次第と移行していきます。
ダンススクールもそうだったし、コピーライター養成講座でも同じでした。
当初は「若い子ばっかり」に見えていたクラスでしたが、
誰々さん、誰々くんと、銘々が固有名詞を持って意識できるようになって
通う
はじめてのギャラは500円でした(11)
「女、三界に家無し」とか言いますが。
あっちでもこっちでも、なんだか居場所をなくしてしまい
気分のどこかがフワフワしたわたしを載せたまま。
朝は幼稚園のお弁当を作ってから通勤し、
会社で一日仕事しながら、頭のどこかで100本コピーを練り続け、
金色エンピツのコレクションを増やし続けるという
静かで普通な日常が過ぎていました。
上司も母も、
もう別に何も言わなかったけれども
夜、実家に戻る前
noteの中の人にnoteを習う
noteいいよ、書きやすいよと友人から勧められて始めてみて、いまちょうど1ダースほど記事を書いてみたところ。
確かにすごく書きやすいけれども、機能がいっぱいあって難しいような気がする点は未だ解消されず・・・
と、いうところに。
徳力基彦さんという、「noteプロデューサー」されてる方が、なんと!無料でセミナーをしてくださるという話を聞きました。
まさに「渡りに船」!
もちろん参加させていただき
はじめてのギャラは500円でした(10)
携帯電話を持つことになりました。
当時は、着メロというサービスが始まったところで。
ボタンを使って1音ずつ繋いだオリジナル着メロが作れる機能もあって、電車に乗ってるときなど、たまに、何かが失敗している自作着メロを流している人がいて、面白かったです。
まだ、メールや写真の機能は、ありませんでした。
メーカーは、NTTドコモ、ツーカー(au)、Jフォン(softbank)の3社だったように記憶して
はじめてのギャラは500円でした(9)
今思えば、気合いが違ったんだと思います。
これで一億稼いでやろうと思ってるわたしと、
学生の延長線で通ってきてる人たちとは。
たとえば、例の100本コピーをやった初回の課題も
ほとんどの人は、30本くらいの、アイデアが最初に枯渇するあたりで
もう考えるのをやめて、その中から提出していたんだそうです。
(後から知りました。まさかそんなことだったとは・・・!)
なのだけど。
わたしって、何をさ
はじめてのギャラは500円でした(8)
表参道のB8出口から上がってきたら、思っていたより、
子どもの城が遠くてびっくりしました。
子どもが赤ちゃんだった頃はよく連れて行ってた場所だけど、
いつもは渋谷駅から坂道をベビーカー押しながら上っていたせいか、
距離感の印象がずいぶん違いました。
入り口に喫煙エリアがあるのも、上の階に会議室があるのも、
このとき初めて知りました。
プレイエリアは閉館時間を過ぎていて、いつもなら響き渡っている
はじめてのギャラは500円でした(7)
広告コピーって。
なんかカッチョいいコトバをテキトーに言って、
フワッと品物を売りつける錬金術。
・・だと、なんとな~く思っていました。
少し(←当時ね)前の80年代にはコピーライターブームというのがあって、
糸井重里さんや、林真理子さんが世に出てきたのも、その頃。
「おいしい生活。」
「不思議、大好き。」
「ルンルンを買っておうちに帰ろう。」
うまくまとめてるなーとは思ったし、語感は「
はじめてのギャラは500円でした(6)
剥離骨折の全治1ヶ月半がなんとか過ぎた、1ヶ月後。
わたしは、舞台で踊っていました。
今はもう老朽化で取り壊されちゃいましたが、
赤坂にあった、都○センターホールの。(懐かしい)
・・・いや、だってさ。
骨折する前から、もう、出演するって決めてたんだもん。
親はたぶん呆れてたと思います。
(あ・・・あなたも? 引いてる?)
と。
滑り出しからして、「言わなきゃいいのに」感が今日も満々とし
はじめてのギャラは500円でした(5)
子どもを連れて、父の車で実家に戻ってみると、
わたしの部屋はそのままで・・・・
ん?
そのままじゃ、ない。
なんだこりゃ?
ベッドの脇に、スチール製のラックが組み立ててあって。
そこにあったのは
・・・・・!
パソコン!
MachintoshのPerformaでした。
(画像はwikipediaより)
えっとね・・・
今はもう、パソコンはどこの家にもありますが
その頃って、NE
はじめてのギャラは500円でした (4)
前回は、お金も時間も、強烈になかったことを書きました。
(そりゃ~これだけ払ってたらね。)
そして、
お金が欲しい。
時間が欲しい。
と、これまた強烈に思ったことも、書きました。
そしたら・・・何が起きたか。
が、今日のテーマです。
その日、わたしは生まれて初めて、骨を折りました。
なんで骨折することになったかという詳細は、
呆れるほどバカの上塗りなんで、今回は省きますが、
とにかく、
はじめてのギャラは500円でした (3)
「世界三大言い訳」って、知ってます?
昔お世話になったビジネススクールで講師の先生が教えてくださったんですけど。
お金がない
時間がない
自信がない
って、この3つがそうなんですって。
世界じゅうで、いろんな場面で、よく使われてる言い訳だけど、
これを言う人は絶対に成功しない!と力説されてました。
聞いたときは、(ふーん そうなのかぁ・・・)と
例によって例のごとく、薄らボンヤリ思っただけ
はじめてのギャラは500円でした (2)
なんとなく端物みたいな編集仕事を
やったりやらなかったり、してるうちに
妊娠して、子どもを産むことになりました。
当時は、育児休業っていう制度が法制化されたばかり。
そして、うちの会社で制度を初めて使ったのが、わたしでした。
なのでまー・・・あれですわ。
理解がないと言ったら今の比ではなく。
そうじゃなくても出版業界って男社会だからねえ
会社といろいろ激しくバトルしながら奪い取った休暇に入
はじめてのギャラは500円でした (1)
わたしが初めて副業でいただいたお金は
500円
でした。
しかも、図書券(笑)
仕事の内容は、ある機関誌の編集の人から頼まれて、短いエッセーを書きました。何を書いてもいいって言われたから、たまたまそのとき思っていたことを。
B6の冊子1ページ分だから、2段組みではあったけど、文字数が少なくて、けっこう苦労した気がします。
編集者だから、文章を書いて、それが印刷されるっていう経験は既に何度も