エリオット再考

草原と湖の合間にいながら
子供達の姿と声の合間に
聳え立つ木々を吹き抜く風と
私の気に入っている、数々の音と

それで、あのロンドンの老詩人が
朗読する自作を聴きながら
ネッカー川の畔で過ごした
あの青春時代の黄昏の日々と、、、 

「学者ではありませんから、、、」
あのアルト・シュタットの講堂で、
皮の帽子を被った文学教授のことを
君は覚えているか?

文学の伝統など、この日本には無い?
そんなことを言ったのは、一体誰だ?
無いのは、詩の伝統、いわゆる形而上詩のみ
シモーヌ・ヴェイユを、君は読んでいたはずだが?

それで若い時代が強烈に過ぎ去って
残された時間が僅かになっても
弱々しい言葉を紡ぐのはやめたまえ
苦しい読書の体験も、君の肉体の衰えも

婦人は、行き来し、ミケランジェロのことを語りき
打ちのめされた文学青年も、
その通り、軟弱では立ち行かず、
ゲーテ伯曰く、ロマン主義は病気なり、と

日本文学の伝統を踏まえながら
私たちは語ろうとしているのか?
周縁から語る私たち、として
私の青春よ、遠くなる燈よ

「日本には芭蕉がいます、そして一茶も、
庭園も、月見も、そして浮世の絵も
物語も幾ばくか語られてきました
それでもプラトンの批判は逃れられません。」

哀歌を残して、砂漠を去った王子も
自らを預言者と思い込んだ男も
それは、昔のアラビアの文芸
そして、また、今も同じように、、、

あの積み重ねられたペンギン・ブックスの
ヨーロッパの古典の数々を眺めながら
その遠くに置かれていたエリオットの原書も
滑るように行き交うバスの色も

過去は何も変えられませんから、、、
混ざりゆく種々の言語の中から
一つだけの人間社会を見出そう
そして、その中で、君も私も生きるのだ

スタヴローギンの物語も
オリーブ畑を吹き抜ける風と光も
どこまでも追いかけてくる一冊の書物も
記憶の中に、煌めく水面に混じりながら、、、

君はもう一度エリオットを聴いてみればどうか?
それで君の紡ぐ言葉を待とう
君の評論と、批評を
誰かが言う「あれは、只者では無い」

愛することができなければ、、、
絶望に叩き落とされたオネーギンのように
いや、それでもこの男は這い上がるのではないか?
プーシキンの天才も、今は忘れ去れているのか?

ハーフィズの詩行も
サアーディーの理知も、、、
それでもやはり私はバスラの街を行き
水と火を抱えて走った者を探すだろう、、、

湖面で溺れる無数の虫たちを掬いながら
水泳の後冷え切った体を温めたバス・タオルも、夏の日差しも
胃の中に入ったパンの温かみも
その一切は、世界の秘密を私に教えた

私が何処から来ようとも
それは無駄のように揺蕩い
無益な議論をしたがる人々を横目に
かなり凶暴なカモメたちが舞い上がる

狼がいて、獅子がいる原野を超えながら
腐った魚を食べながら
空腹を恐れながら
私たちは「いる」のではないか?

文芸論を戦わせたいのならば、幸運を祈ろう
それでいて、自らを清浄なものと思い込まぬように
汝を知れ、と昔言われながら
いまでも分らぬ者で居続けることがないように、、、

(2023)
D.I.

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