- おじさんの追憶 vol.15- ”スルー”では済まされないフランス
オリンピックはありましたけど
今年はパリオリンピックがありました。すっかり忘れてました。アスリートが一生懸命やってるのは素晴らしいけど、商業主義への嫌気や世界の流動性とアイデンティティの複雑性が段々咀嚼できなくなってきたり、あとはやっぱり惰性感があって、素直に好きになれません。
それはさておき、私のヨーロッパ旅で欠けていた国、それは"おフランス"ざんす。あるいはざます。元ネタが古くてわかってもらえませんね。いくら私にとっては"ドイツ"がメインでもフランスがないヨーロッパ旅行・・・なんだろう、漬物がない弁当か、違うな。まあ、ないと成立しないってことです。にも関わらず、99年の旅では日記に全然記載がない。通ったはずですがね。ですので98年夏の出来事から。
まずは南仏にフォーカス
パリからは入りません。太陽サンサン、南仏です。コートダジュール、カラオケ屋さんじゃないですよ、ニースのビーチを満喫です!海キラッキラ。ムール貝も食べました。バルセロナから夜行電車で移動した翌朝見た海岸線のキレイな景色、思い出します。
本当は、アビニョンの橋で踊るよ踊るよ♪のアビニョンに行きたかったようですが、アルルの女、意味あり気ですがクラシックです、中学で習う、のアルルに行きました。電車の都合だったようです。振り返ると、雨が降ったので印象はイマイチだったみたいです。一方、この街はローマ時代の遺跡のみならず、画家のゴッホもゆかりがあり、見どころは多いです。
南仏の大きな街、マルセイユではやっぱりブイヤベースを食べていました。名物ですから。ユースホステルで出会う日本人から刺激を受けて、僕はこの旅で何を得たのだろう、この先の人生、どう生きていこう的なこと考えていました。若い!!考えた結果、翌年また放浪するというなんだそりゃ?って人生にはなるのですが。ピュアな気持ちはむず痒いけど、貴重です。
当時の日記を紹介
と言うことで、ちょっと当時の日記を見てみましょう。マルセイユはオリンピック・マルセイユのスタジアム、ベロドロームも良かったのですが、ユースホステルで地元の子たちとバスケをやったみたいで、これはとっても良い思い出です。(99年ボスニアのサッカーも、この時の"スポーツは共通言語"っていう感覚が行動させたのかもしれません)
私の放浪記では一貫して露出が低いグルメですが、フランスではそういう訳にはいきません。美食の街リヨンから程近いディジョンでエスカルゴを食べていました。これも90年代っぽいエピソードで、教養がない学生にとって当時フレンチと言えば、エスカルゴ、みたいな先入観があったんだと思います。バターたっぷりのソースとか。フレンチ、珍しいですからね。あと、ビストロがどうのなんて知らないから、フレンチ=高いって偏見はあったと思います。
パリは美術館
パリは、本当はソルボンヌ大学に潜入したり、バスティーユ広場のスケボーとか20フランの安ペットボトルワインとかあるんですけど、芸術の都ってことで、美術館の記憶・・・。オルセー美術館
や"モネの睡蓮"のオランジェリー美術館、もちろんルーブル美術館も行きはしました。が、"人からこれはこういうものだと言われても、僕には良さがわからない"とか言ってさ。25年経っても、理解できませんので。
さて、このあとは・・・
もう1回行けるなら、モン・サン・ミッシェルは行ってみたいです。江の島でもいいけどねぇ。
ヨーロッパ編はこれにて、一旦以上です。ちなみに、この時以来、ヨーロッパには行っていません。四半世紀か。
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To Be Continued