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都会に住んでみて


私は今年の春から東京という都会に住んでいる。
大学を出るまでは東北で22年間を過ごしていたことになる。大学があったのは仙台市。高校まで暮らしていた東北の港町から比べたら、仙台市は十分都会なのだけれど、私の中で都会=東京というイメージが根強いように思う。

さて、都会暮らしが始まってから約9か月。都会について思うことがある。良い面も悪い面も。最初に言っておくと、私は都会が好きだ。
田舎にはない刺激や速度がある。そこで生きている人たちがいる。
田舎も好きだ。両方好きだからこそ得をしたこともあれば、ジレンマも生まれてくるのだなあと思っている。


●田舎では持ち前の愛嬌や人懐っこさを長所として生きてきたが、都会ではそれが短所になるみたいだ。私は、店員さんと仲良くなるスピードが速い。なのでお店との距離が近く良い感じにサービスしてもらった経験が多々ある。でも都会の人から言わせれば、どうやら私はつけ込まれやすいタイプらしい。田舎の人にしているように接していたら痛い目を見るんだって。
とりあえず人懐っこさレベルを2段階くらい下げて生活してみようと思う。
田舎の人も都会の人も同じ日本人なのに不思議だな、と思ってしまうのはまだまだ世間知らずだからなのか。

●満員電車のサラリーマンが大変そうすぎる。私はつい今週、電車通勤デビューを果たした。幸い、始発の駅に近いので座れる席は確保できている。
東京の通勤ラッシュは覚悟していたが、これではあんまりだと座席から見ていて思った。これから頑張って働く人たちが朝から顔をしかめて電車の箱に詰め込まれ、内臓が潰されそうになっているなんて。これじゃあ、朝ごはんを満腹まで食べられないじゃないか。満員電車は日本人の朝ごはん離れの原因の一つなのではないか、とまで思う。

●移動に対して財布を出す回数(お金を使う頻度)が増えた。チャージさえしておけば都会ではなんでもやってくれるのだ。田舎暮らしでは交通費に課金した経験はあまりなく、徒歩や自転車や親の車での移動が主だった。
自分の移動に使うお金になんて頼るか!とたまに変な意地になってPASMOへのチャージを拒み、2駅分くらい歩くことがある。
そういう時はだいたい、良さげなお総菜屋さんやパン屋さんやスーパーが見つかる確率が高い。ほら、歩いてみるもんだ。とニヤニヤしながら買い物袋を提げて帰る。買い物袋の中身を冷蔵庫に詰めながら、結局電車に乗るよりもお金を使ってしまっていることに気づいておかしくなる。

●待つことができなくなっている人を見る機会が増えた。電車が2分遅延しただけで、舌打ちをしている人おじさんがいた。田舎では1日4本のバスで生きていた私にとってその2分はたいしたことがない。舌打ちおじさんは、カップラーメンの3分の間にも待てなくて舌打ちをしてるのか。まあそんなはずはないけれど。

●都会に住むようになってからよく本を読むようになった。友人が「映画・音楽・読書のなかだと、読書がいちばんストレス解消になるらしいよ」と電話で言っていたのを思い出す。そうか、私は自然とストレス解消していたのかあ。でも、本を読む理由は他にもあると思う。
都会では満たせないもの。それを本から得ようとしているのではないかと思っている。田舎暮らしでは満ちていて、都会暮らしでは満たされない何か。私はいったい本から何を手に入れようとしているのか。

●向かいの電車が動いていると、ホームで止まっているはずの私が乗っている側の電車も動いていると錯覚するように。都会では周りの動きがはやいから自分も動いていると錯覚しそうになる。案外こちら側はあんまり進んでいないのかもしれない。都会ではそういう歳の取り方をするのか?

●都会に住む私は田舎のころよりも、いろんなことに批判している。それは社会にだったり自分へだったりする。こんなにむつむつとした感情を自分のなかに持ち合わせていることに自分で驚いている。これはいい発見だぞ、と思う。
それからも批判したくなる場面があると思う。そんなときは決して相手のことを否定せずに、それが自分の根っこの考えと違うんだということははっきりさせたい。そうやって自分は何に怒っていて何を正しいと思うのかをわかっていくんだと思う。






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