パニック障害、丸ごと愛して
本当はふざけて書きたい話がたくさんあって、でも、あえて私の人生の中で5本の指に入る重めの話から私のnoteを始めようと思います。
パニック障害に苦しむ人が、これを読んで希望を持ってもらえたら嬉しいです。
高校三年生の12月、パニック障害を発症。
ラブストーリーばりに突然に。
当時の私は第一志望の高校に落ちて不満に明け暮れながら、滑り止めだった偏差値60弱くらいの高校の特別進学コースに通っていた。
文理でクラスが分かれていて、私は文系の中ではほぼぶっちぎりの成績を三年間キープしていた。勉強は嫌いじゃなかったし、でも好きでもなかった。ただ志望校に落ちたことによるプライドの粉砕から立ち直るには、新たな受験で成功体験を得る以外なかったのだ。
東大に行きたい何か特別な理由はなかったが、東大に受かれば昔の自分を含めた周囲の期待に応えられると思い、大学受験の第一志望は東大に決めた。
ちょうど学校が進学校への路線変更を試みていた時期だったため、タイミングよく入った私は、東大志望の生徒として手厚いサポートを受けられたのだった。
三年の11月まで塾に通わずに、自宅と学校で勉強をしていたが、センター試験の近づく11月、初めて大手予備校に通うことになった。
講師の話は面白く、自分より(受験のための)勉強ができる人のいる環境は魅力的だった。
でも多分、山目前の位置にある学校で7時限目まで受けてから都心の予備校に行き、夜に混んだ電車で帰る生活をこなすキャパシティーが当時の私にはなかったのだと思う。
12月、有名講師の英語の講義中に突然ひどい動悸と吐き気がした。
その日はたまたま一番前の席だった。
講義は人気で、教室はジャムパック状態。
「逃げられない、どうしよう」
これが最初に浮かんだ言葉だった。
そして私はこの言葉に、何度も、長い間苦しむことになる。
教室の一番前、出ようにも100人以上の生徒の前を通ることになるし、当然講師にも見つかる。目立ちたくないし、心配されるのも嫌いだ。基本的には途中退室禁止なこともあり、私の脳内の選択肢はたった一つ
「耐えろ」
根性論なんて最悪だと今の私は思っているが、この時の無知な私は根性で耐える事しかできなくて、講義の間を耐えきった。
不思議と帰り道には具合も良くなっていて、「なんだったんだろ?」と思うくらいで始まりの日は去って行った。
でもソレは一期一会、ではなく、それからもなんどもなんども顔を出しては私を振り回す存在へと育っていくのだった。
続く