どんどんうどん
二十二歳の初夏、誰の手も借りずに自転車事故を起こした。 大仰な言い方をやめれば、自転車が滑って横転した。そして左手と両膝から血が出た。ドジな上に大雑把な性格なのでよく転倒するが、自転車で転んだのは記憶にあるうちでは初めてのことだった。 おばさんが駆け寄ってきて「風が強いからねえ」とフォローしてくれたが、普通に左折をミスっただけなのが一目瞭然だったと思うので本当に恥ずかしかった。 そのあとお風呂に苦戦したりして、無傷のありがたみを痛感したので漫画を書いた。 (Geniu
生きるとは、変わること。 エヴァンゲリヲンに登場する超優秀スパイ、加持リョウジ氏はいう。 あとなんか天才アイドルプロデューサー(好きとは言ってません)秋元康さんの曲中でもそんなことが歌われている。 多分他にもいろんな人がいっていると思う。知りませんけど 18歳でパニック障害を発症し何もできなくなったどん底から、毎日ゆっくり変わってきて、気付いたら今に至る。 高校生くらいまでは、20歳くらいを超えたらもう価値観は凝り固まってしまって、「自分」みたいなものがよくも悪くも
こんな中でも止まってはいけないと思って本や漫画をたくさん読んでいる。 (学生で、自分で言うのもどうかと思うがありがたいことに恵まれている環境なので、そういう奴がこういう時期に勉強しないでいるのは最悪なことと思うのだ) そしてせっかく読んだものも感じたこともアウトプットしないとするすると忘れていってしまう平凡な記憶力なので本当は何か読むたびにこうやって文字に起こしたいと思っている。 実際には億劫がってほとんど読んだきり忘れていくのだけど、今日はなんかたまたま書く感じになっ
忘れない 誰かを見下す事でしか笑うこともできない連中が勝手に、好いたり、嫌ったりしてきたあのくだらない夏。 教師に叱られるだけで笑ってしまうことを互いに甘受していたあの子。 行事の時の浮き足立つペンキの匂いの校舎。 あいつの遺影を見た帰り道のいちょうの絨毯。 会えなくても一番大好きと繰り返したあの子。 何もできなくなった自分。 あんなに最低なのに、それでも優しいと思えた知人。 心地いい狭さを初めて教えてくれた先輩。 何もできない私を受け入れてくれた人。 暑
サンフランシスコ半年弱の滞在で二回も引っ越した話をこの前書いたが、さらにねたはたまりなんともう一度引っ越したので忘れないように書くことにした。 独房に住んで3週間ほど、 慣れって偉大で、正直ガタガタすぎる小屋の作りとうまくやるやり方を身につけつつあった。 そんな中2週間前の月曜、唐突にマネージャーに 「明日引越しだから」 と言われた。え?? しかも引越し先は学校からは遥かかなたの住宅街。え? ロケーションで選んだ家だったし前日に退去命令なんてちゃんちゃらおかしい
サンフランシスコは結果的に、街としては結構好きだ。 リベラルなことを感じるし、いろんなルーツ、国籍、アイデンティティを持つ人がいて”外国人”という言葉がないような、まさに人種(広義の)の坩堝だと思う。 でもどこにいたってわざわざ傷つけようとしてくる人はいるのだ。無念‥ 先日友人とミッション・ストリート(カルチャーの街で、美味いメキシコ料理とマルガリータを楽しむのにもってこいの町)で何の気なしに信号待ちしているところ、知らないおじさんに ”Excuse me.” と目
ネックレスのチェーンが絡まってしまったのをほどくのが好きだ。 こんがらがっていればいるほど楽しい。 昔から得意で、出かける準備をする母によく頼まれて解いていた。 「ただしまっただけなんだけどまた絡まってたんだよね」 実際いつも目をはなしたら勝手に奇想天外に玉がたくさんできている。 今日も、ここまで運ぶうちになぜか絡まってしまったネックレスのチェーンを解く。 ✴︎ 人生に似ている。 気づかないうちに複雑に絡まっているし、いじればいじるほど余計に絡まって、諦めた方
全米で最もリベラルな街の一つ、サンフランシスコ。その社会的、文化的な立ち位置に憧れ、何がそんな街を作っているのか気になって、ここを滞在先に選んだ。 しかしサンフランシスコ、物価、地価がちょっと驚愕の高さなのだ。 初めは市内から出た田舎のフィリピン系の家庭でお世話になっていたが、あまりの交通費と片道二時間の道のりに早々に耐えられなくなり、1ヶ月でおいとました。家族はみんな優しかったけど、時間が流石にもったいなかった。 次の家は業者を通さず日本語のウェブサイトで探した日本人
2019年秋に、サンフランシスコで人生初のサーフィンを体験した。 留学期間中だったので基本的に誘われたアクティビティには参加していたし、仲のいい友達が参加していたから行くことにした。 当日朝、サンダルなどの準備をしながら、ふと最後に海に入った日のことを考えた。 正直覚えていない‥去年と一昨年に沖縄に行っているけど、確か脚くらいしか海に浸かっていない。 海を見るのはかなり好きだけど、海水が膣を通じて体内に侵入してくる感覚が嫌いすぎるのだ(と理由づけていた)。もっと言えば
本当はふざけて書きたい話がたくさんあって、でも、あえて私の人生の中で5本の指に入る重めの話から私のnoteを始めようと思います。 パニック障害に苦しむ人が、これを読んで希望を持ってもらえたら嬉しいです。 高校三年生の12月、パニック障害を発症。 ラブストーリーばりに突然に。 当時の私は第一志望の高校に落ちて不満に明け暮れながら、滑り止めだった偏差値60弱くらいの高校の特別進学コースに通っていた。 文理でクラスが分かれていて、私は文系の中ではほぼぶっちぎりの成績を三