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「自分だけができると偉そうに思っていたが、できないことがあった 」心が熱くなった長谷川一夫さんの言葉/発達障害を考える
8月9日の「徹子の部屋」
姑が好きなテレビ番組の一つ、「徹子の部屋」を一緒に観ていました。
長谷川一夫さん(故人)のお話が心に響きました!
同じ時期に「招集」された人と、息子が重なった
長谷川さんは俳優として全盛期の36歳の時に、「赤紙」が届いたそうです。
「人気俳優」、「二枚目スター」と、もてはやされた事など関係なく招集され、軍の訓練を受けたそうです。
当時、同じ班に特別「どんくさい」人がおられたそうです。
行進の際は右手右足が同時に出てしまう、用事がなかなかできない…
(このくだりで、私は発達障害のわが息子を思い浮かべました)
そして、点呼の時に必ず言わなければならない3人(部隊長・中隊長・班長)の名前が、いつまで経っても覚えられなくて、「全体責任」ということで、班全員がビンタをくらったとか...
長谷川さんが名前の覚え方を教えて差し上げた
長谷川さんがセリフを覚えた方法→「歌うようにメロディーとリズムに乗せて名前を覚えたらいいよ」と、教えていかれたそうです。
長谷川さんが流した涙
野外演習で使うので、各自に「50メートルの縄をなえ!」との命令が下りました。
都会育ちの長谷川さんは、到底なえ方などわかるはずもなく、馬小屋で拾った藁(わら)を持って、困り果てていました。
「誰かできる人に教わらなければ!」
必死で探していたところ、一人、慣れた手つきで見事になえている人がいました。
「教えてくれ!」
頼み込む長谷川さんの顔を、笑いながら見つめるその人が言いました。
「そうだと思って...これ、長谷川のだよ!」
その人は、正に前述の、名前が覚えられなかった人でした。
黙って長谷川さんの分も作っていたのです。
長谷川さんはその時、ボロボロ!と涙が出たそうです。
「自分だけができると思って、偉そうに名前を教えたり、歩き方を教えたりしていた。」
「自分ができない事を知ってくれていた。」
「何も言わずに、(私のために)縄をなえてくれていた。」
「人間として感激で、今でも(思い出して)涙が出る。」
まるで長谷川さんが、私の息子に言ってくださっているように、勝手に思えました。この言葉が嬉しくて嬉しくて、私は涙が止まらなくなっていました。