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「なんともないですよ。」と言われると悲しい/異常なしと診断されて、不定愁訴が理解して貰えない時

バイト先で、急な腰痛で退社されていた方がいました。

現在は、痛み止めを打たれ復帰されていますが、不意に私の腰痛の記憶が蘇りました。

腰痛って、レンドゲンや触診で「異常なし」と整形外科では判断される場合があります。
→痛み止め注射、リハビリ、通院、安静にして下さいと。

昨年の冬、ダブルワーク時代に腰痛が酷くなり、西洋医学の対応は経験済みで、知っていたので、東洋医学(中医学)の鍼灸(針)に行きました。

1回目は、気に触ることは言われず、ひさしぶりに2回目に行った時でした。

治療が終わった後に「なんともないですよ。」と言われ驚き、悲しく辛い気持ちになりました🥲

仕事中も、腰痛がしんどくて、苦しく辛かったのに…

その時、真意や意味合いを、私が尋ねることは出来ませんでした。

これは私の勝手な憶測ですが、、、

・施術師さんの、お子さんの学生生活が、親(その方)目線からは不十分に思える話しを、違う施術師さんと話されていました。

ご自身の過ごされた学生生活や、親心もあると思います。

けれど、人との関わり方・距離感の取り方・人と関わる経験値も一人一人違うし。

誰もが、社交的で、自ら声を掛けられたり、友人が作れたり、何事にも意欲的で、前向きに取り組める人ばかり、ではないと私は思います。

多分、私の「メソメソしている様子や弱々しさ」が、お子さんと重なる部分があったのかと思います。

腰痛やぎっくり腰が「魔女の一撃」と言われる由来は、ドイツ(ドイツ語)みたいです。 

西洋医学なら、検査や触診で異常がないと判断される場合、東洋医学(中医学)だと、不定愁訴と言うみたいです。

心の話し
心に元気がなくなると、手に付かないことが増えたり、悲観的・絶望的に考えたり感じてしまうもの。

心の傷や痛みに寄り添う事を知らない人にとっては、理解できないだろうし「なんともないですよ。」だと思います。

診断書が、目に見えない辛やさや苦しさに対して、一定の理解を得たり、生活を守る糧(休職や給付金)になる部分は有益だと思います。

ただ、あくまで対症療法薬は、一時的、限定的で有るもの。

患者の為に良心的に扱える人ばかりでない現状が、憂いに感じます。

減薬や中止の方針がなく、ずっと薬を出し続けるのは、医療報酬(金)の為では、ないでしょうか?

困っている人の足元を見て、更に傷口に塩を塗り込むのは、あまりに理不尽だと思います。

けれど、とても残念ですが、精神科医、カウンセラー、コーチング、スピリチュアル系の人の中に、そういう人がいるのも、事実だし現実。

私の思い通りにはならないこと。

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