
人生の十か条 【一喜一憂、人間らしく】
常に平常心でいられる人間なんかに会ったことがありません。
人間ですからね、神様じゃないので、生きていれば必ず一喜一憂します。
つまり、動揺していい。揺れ動いていいと思うのです。
焦ったり、緊張したり、迷ったり、苦しんで当然じゃないでしょうか?
むしろそういう状態のことを平常心と呼ぶんじゃないか、と思うようになりました。
世の中で使われている「平常心を保つ」には無理がありますし、容易なことではありません。
何より、そうする必要がないと思うのです。
平常心という言葉は本来、「人間そのものの本質、ありのままの姿の状態」をさしているように思います。
揺れ動いて、焦りまくっている自分について、これは人間なんだからしょうがないことだ。当たり前のことだ。
だから、平気なんだ。大丈夫だよ、と自分に言い聞かせる時の、その我が心こそ、平常心じゃないでしょうか?そう考えると、楽になりませんか?
「人間は一喜一憂を繰り返し、人間らしく成長をすればいい」と考えます。
なぜ?それは私たちが不完全な生き物だからです。
私たちは、仙人じゃありません。それが前提です。
失敗もしますし、受験に落ちることも普通にあるわけです。
そういう時にこそ落ち込んで下さい。
でも、人間の素晴らしいところは、そこから立ち直ることができることです。
そのとき人は前よりもう少しだけ打たれ強くなっているのじゃないでしょうか。
経験し成長したからこそ打たれ強くなるのだと思うのです。それでいいのです。
そのくらいの糊代のある生き方が大事だと、すくなくとも私は私自身に言い聞かせています。
無理しないでいいよって自分に言い聞かせます。
まだ再読中ですが、一番多く抜書きしました💦
私自身、いつ、いかなる時も動揺もしない人、心乱れない人が、平常心なんだと誤解してました…
けれど…
無理じゃね?
そんな完璧超人がいるはずない
最近、完璧超人を目指さないと、心がけるようになりました🐨🦥
だからこそ、惹かれる言葉や、惹きつけられる考えだったのかも🦆