自分が臨床心理士になったわけ。コンプレックスは職業選択の役に立つ!
職業選択は、人生における重要な選択の一つだ
(と、されている)と思う。
考えてみると、すでに幼稚園の卒園時から、
『大きくなったら何になりたいですか?』
と聞かれる機会はあった。
ちなみに私はポケモンのジョーイさんになりたかった。
「大きくなったら何になりたいですか」
という質問は、
「大きくなったら何かになるものですよ」
という前提のもとに成り立っている。
つまり、私たちは、人生のだいぶ初期から、
「大きくなったら何かになるものだ」
という意識を、無意識に刷り込まれるのでは
ないだろうか。
小学6年生でも将来の夢を書かされ、再考する
機会をもたされた。
そうやって何度か自身の将来を想像した上で、
中学3年生以降は、具体的な進路選択を考えていくことになるのだ。
よくできたシステムだなぁと思う。
私も、何一つ疑わずにそのシステムに乗っかっていた(当然だ。そんなクリティカルな幼稚園生がいたら嫌だ)ので、問われる度に真剣に、
「大人になったら何になろうかなぁ…」と、
悩んでいた。
そして、悩んだ末には何か1つ、その時々で自分が一番なりたいものを選んでいた。
幼稚園卒園時はジョーイさん。
小学校卒業時はファッションデザイナー。
高校卒業時は、大学の経営学部を目指した。
徐々にきちんと非現実的→現実的な夢に移行しているのが恥ずかしい。が、"真剣に悩んで何かに決める"ということが大事だった気はする。
巡り巡って臨床心理士という仕事に就いているが、振り返ってみると、時々の選択がすべて、
心理士の道に収束していることに気がついた。
かなり個人的なエピソードになるが、今回は、
自分がなぜ心理士になったのか、過去の伏線を回収して纏めておきたい。
今後自分が仕事に迷うことがあれば立ち戻れるように…というのと、
いま職業選択に悩んでいる人や、心理士を目指す人の参考のひとつにもなれば、とても嬉しい。
①専門職への憧れ
まず、昔から、専門職には漠然と憧れがあった。
一つのことを突き詰められる職人さんはイカしてると思っていたし、自分もなにかの極みに
達したいという気持ちがあった。
思えば、ジョーイさんも看護師だ。
対人援助の専門職である。
パイロット、ケーキ屋さん、お医者さんなど、そもそも幼稚園生は専門職に憧れを抱きがちかもしれないが。
(卒園式で「僕の夢は中小企業のサラリーマンです!」という子がいたら刮目する)
ただ、敢えてジョーイさんを選んだところには、やはり何かの意味があったように思う。
幼稚園の頃、発達がのんびりしている子の面倒を見るのは好きだった。自分はもともと、
「ケアしたいタイプ」ではあったのだろう。
弱ったポケモンを回復させるジョーイさんは、
丁度いいロールモデルとして映ったのだ。
(当時、手塚治虫のブラックジャックも好きだったが、医者は厳しいイメージがあってやめた)
専門職への憧れは卒園後もずっと尽きず、
『なにか自分が極められるものを見つけたい』
という気持ちは、後年持ち続けることとなった。
では、その気持ちは一体どこから湧いていたのだろうか?
もう少し、掘ってみたい。
②個性(独自性)へのコンプレックス
専門職への憧れを含め、私の職業選択に最も大きく寄与しているのは、おそらくこれだ。
ここからは、自身の兄弟葛藤について語らねば
ならない。
私の兄は、とてもユニークな子供だった。
額にはハリーポッターのようなストロベリーマークを持ち、首の真後ろには等間隔の黒子が3つ並び、つむじが2個あった。
外見だけでも天才の印みたいなものを役満で背負っている(私には、国士無双の手札のように見えていた)のに、彼は内面もユニークだった。
幼稚園の卒園式、兄は、
『大きくなったらオオスズメバチになりたいです』と言って、先生を絶句させた。
『えっ…。〜っと。大きくて、立派なオオスズメバチになれると良いですね!』
そうフォローされたらしい。
私はジョーイさんという没個性的な選択をした
のに、彼はオオスズメバチを選んだのだ。
なぜオオスズメバチになりたいと思うのか、
意味がわからなかった。(今もわからない)
ただ、兄は創造力があり、小学校時代は数々の
ユニークなオリジナル作品を生み出していた。
私は、教員の意図を汲むのは得意だったが、
協調生がある分、独創性がなかった。
兄の珍エピソードや珍作品に対して、
私は妬みやもどかしさを抱くとともに、
『自分にだって、世界に1つしかないオリジナリティはある筈だ!』と、
個性というものに執着するようになったのだ。
小学校卒業時、私は今度は、
ファッションデザイナーを夢に選んだ。
当時、オリジナルの洋服を考えて描くのが楽しかったからだが、無意識的には意味深い選択をしていたと思う。
ファッションは個性にかかわるもので、
デザイナーは、クライエントに合わせて
デザインを考える専門職だ。
アーティストよりも他者性があり、
クライエントの心のあり方をデザインする、と
考えれば、
臨床心理士にも通ずるところがある。
他者をケアする専門職(ジョーイさん)から、
他者の個性をプロデュースする専門職(ファッションデザイナー)へと、憧れが発展したのだ。
③コンプレックスを活かす仕事へ
その後、運や環境に恵まれて高校を卒業できた
私は、大学進学を考えることになった。
その頃には、「その人らしさが一番に輝いている瞬間」を見ると興奮する様になっていた。
いわば、他人の自己実現フェチである。
例えば、事務が好きで得意な人が営業に回されてどんよりしていたら、もどかしいなと思った。
好きでしょうがないんすわ!という顔で何かを熱中してやっている人は、美しいと感じた。
適材適所で人が輝いているのが好きだったので、「マネジメントの勉強をしよう」と思い、
経営学部を選んだ…のだが、
ここで誤算があった。
実際に経営の授業を受けてみると、
お金の話ばかりだったのだ。
もう、人は全っ然、出てこない。
個人の輝きや成長には一切フォーカスされず、
ゲーム理論の話。
寝た。
"ナンカコレジャナイ"感を抱きつつ、
学生生活をやり過ごしていたのだが、
そんな時にたまたま、
臨床心理学の教授に出会った。
臨床心理学は、
人間の「個別性」を重視して、
個々人の自己実現を考える学問だった。
そして、その学問に基づいて心の援助をする、
臨床心理士という仕事を知った。
これじゃないか?と、思った。
初めて教科書がタンスの肥やしにならず、
これまで自分が人生で考えてきたことに
どんどん名前がついていく感じがして、
ドキドキした。
また、大学生の頃になると、色々な人から
個人的なエピソードを聴く機会が増えていた。
「どれだけ重く暗い話でも、世界でその人にしか語れないことには史上の価値がある」というのが、当時の私の価値観だった。
もう、これしか無いんじゃないかと思ったが、
臨床心理士になるには、幾つか懸念があった。
①心理学部の必修を1から取る必要がある。
②大学院を出ないといけず、経済援助が必要。
③文系なのに統計の勉強しなきゃいけない。
など。③は甘いと思われるかもしれないが、
苦手な数学からうまく逃げてきた自分にとっては、かなり億劫にさせる壁だった。
長くなるので詳しいエピソードは割愛するが、最終的には、自分なりに頑張って、
臨床心理士になることができた。
そして、いまのところは、この仕事がとても、
好きだ。
④結びにかえて
私が心理士になった経緯は、こんな感じだ。
もともと人をケアする専門職に憧れがあり、
そこに、個性や独創性がないというコンプレックスが加わって、他者の個性を活かす仕事に辿り着いたように思う。
ジョーイさん、ファッションデザイナー、経営学部。
バラバラだと思っていた選択は、すべて、
臨床心理士という仕事に収束していった。
「世界に1つしか無いその人らしさ」は、
万人が己の中に持っているものだ。
この仕事をしていると、そのことは確信できる。
自分が「それがどんな質や重さであっても、世界に1つしかないものには至上の価値がある」
と心から思っているので、
出会うクライエントさんは皆それぞれの宝を持っているようにみえるのだ。
今の仕事では、その価値観が活きている。
何かの職人になりたいと思いつつも、
自分が極めたいものを見つけられない間は、
漠然とした焦りや虚しさがずっとあった。
しかし、今となってはすべて「あの選択をしたから」といえる。
正直、"いま"に納得していれば、
過去の選択はすべてそう思える様になるのではないかと思う。
そんな風に感じられたり、
他人がそんな風に感じられる様になった瞬間に立ち会えるチャンスがあることは、
私にとって、しあわせだ。
どこまで続けられるかわからないが、心の職人
として、自分が到達できる境地を目指したい。
そこに到達できたとき、
きっと私は、
オオスズメバチにならなくてもいいと思えるようになるだろう。
補足:オオスズメバチじゃなくて黄色スズメバチだったそうです。
いや、どっちでもいい〜!