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ポジティヴシンキングの末裔 木下古栗 著


#うちの積読を紹介する

先日、本を求めて上京。上京中は神保町の書店を中心に古書を買い漁るのを目的としていたのだが、せっかく東京に来たんだから、渋谷周辺をぶらぶらしてから青山ブックセンターにも行ってみようかしら、と思い立ち、何の気なしに入店した。
 いきなり、大量に平積みされている本が目に飛び込んできた。青山ブックセンター本店だけでしか販売していないと謳っている、おすすめの新刊のようだ。さらに帯には、「岸本佐知子、おすすめ」とある。岸本佐知子氏が訳書する本は間違いないだろうというのが自分の中にはあって、彼女が訳書したものはそれなりに読んでいる。ルシア・ベルリン、リディア・デイビス、アリ・スミスなど。
 恥ずかしながらこの著書については全く知らない。「木下古栗」何と読むんだ。名前さえ知らないのだ。岸本佐知子氏の推薦と、この書店でしか買えない、ただそれだけの理由で中身も見ることなく購入したのが、この『ポシティヴシンキングの末裔』である。
 自宅に戻ってからゆっくり読むこととして、目的の古書を購入することに勤しんだのだ。

 
 この本を手にして3週間ほど経った昨日、ようやく、積読本の山の中からこの本を手に取った。さて、感想だが、これがめちゃくちゃ面白い。ナンセンスぶりが凄い。
 著書は全29編の短編集。ちなみに表題の「ポジティヴシンキングの末裔」といのは29編の中にはない、言うなれば総題のようなもの。
 著者自身、書いていて自分でも笑っちゃってるんじゃないか、と思わせるほど、ノリ(悪ノリか)に乗った筆致。文章の流麗さと内容の下劣さ、そのギャップが凄まじく思わず笑ってしまう。少し長いが以下の引用を読んでいただければ、私が言わんとしていることを理解していただけるだろう。

 場面は、突如コンビニで激しい便意を催した主人公?ジャクソン。ようやくトイレに辿り着き、いざ排便しようとするのだが・・・店内は有線で日本人が歌う賛美歌が流れている。以下、引用箇所。

 しかし、今のジャクソンにとってそんなことは最早どうでもよく、なんのためらいもなく丸出しにした養詰まりで重い尻を、受け止めてくれる器の中央に照準を定めて便座に押し付ける。もう頑張らなくていい。状況は変わったのだ。必死に封じ込める必要はない。爆発的な絞り出しで野に放っていい。そのはずが、突然の冷たさに触れて皮膚が強張り、それが肛門にまで伝わって引き締まり、顔を出しかけた獣が引っ込んだ。拍子抜けしたジャクソンは絶え間なく強いられ続けた緊張の果てに、ようやく解放されて自ずと肩の力を抜き、ほぼ同時に背や腹の張りもほぐれると、膝に前腕を置いて両手を組み合わせ、あたかも感謝の祈りを捧げるかのように、汗の引き始めた額を深々と垂れた。基本的には無神論者のジャクソンだが、今この時、神のようなものを、心には宿さずとも、少なくとも肉体の奥底に宿している、というより、肉体そのものでまさに体現しているといっていいだろう。それは既存の宗教における如何なる神とも異なる次元、すなわち、お漏らしの対概念としての神。そして、部分脱衣によって曝された下腹を冷えが襲い、おそらく最後となる、出口を求める野獣の唸りが聞こえた。しかしもう、戒めなくていい。今はもう思う存分踏ん張ることが許されている。むしろ獣の欲求を後押ししてやるべきだ。組んだ両手をほどいて左右それぞれの膝頭をがっしりとつかみ、威嚇の角を突き上げる闘牛のように頭をもたげると、尻の穴を今まさに開放せんとするのと同時に、ジャクソンは口を閉ざして息を止め、腹筋が石化するほどの限界を超えた力を込めて懸命に踏ん張り始めた。排泄への鋼鉄の意志に全身が硬く強張り、排泄をする鋼鉄の像と化したジャクソンの、その恐ろしく切迫した黒褐色の顔面は白目を剥き小鼻を膨らませて小刻みに震え、腹の底に宿る地獄の炎に炙られて内側から過熱するかのように、みるみるうちに異常に紅潮してゆく。

 客の姿のない売り場には、再び神々しい賛美歌が満ち渡っていた。その気高く美しい歌声を浴びて、心なしか照明の光までもが輝きを強くしている。そんな煌めきの空間に突然、もの凄い爆発音が吹き付ける爆風のように轟き、その圧倒的な音圧に賛美歌がかき消された。一瞬、聾されたように無音のこもった後、何事もなかったかのように、また讃美歌は垂れ流されるがまま売り場に満ち渡った。
                 『この冬・・・ひとりじゃない』 より                         

 如何だろうか?この壮絶さ。最早どうでもいいことに(いや主人公にとっては尊厳に関わることなのだが)、神まで持ち出すんだから。どの短編もこんな調子なのだ。

 ストリーに意味なんてない。否、作者は意味のないことに意味を求めているのかもしれない。否、正直よく分からない。しかし、全てのことに目的や意味を求めすぎて疲れているあなた、活劇性ある描写とはちゃめちゃな展開に身(心)を委ねてほしい。「絶対矛盾的自己同一性」の境地に至るはずだ(よくわかりもせずノリで使ってしまった)。その他にも『病んだマーライオン』『デーモン日暮』是非読んで頂きたい。
 
 こうして私は、目的しなかったところに偶然の発見をしたのだ。この本を復刊していただいた青山ブックセンターには感謝しかない。これが本屋を巡ることの醍醐味なのか、と改めて思った次第である。やはり本を買うならオンラインではなく店頭で、というのも納得できる。
 
 木下古栗。今なら自信を持って読める。その固有名詞を。今まで気づかずにいたのが悔やまれる。長年、蕎麦アレルギーと思っていたのが、実は違っていた、と分かった時のことのように。そして、行動しないことには発見はないのだ、と自戒の念に至ったのである。

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