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全ての選択肢を検討しない勇気

外食すると、メニューを決めるのに5分以上かかります。ソロの場合は10分くらいかかります。
2025年のテーマは決断力。くらげもちです。

選ぶのが苦手だ。

特に、選択肢のそれぞれがそれぞれに魅力だったとき、私はとっても優柔不断になる。
ごはん屋のメニュー決め、旅先の宿決め、深夜23時半寝るかアニメを見るか。
それを決めるために、人一倍の時間がかかる。

人は、1日に35,000回なにかを選択しているらしい。
ンなわけあるかぃ、と思うけど、そういう研究結果が出ているらしい。
2~3秒に1回なにか選択しているということか。人生は選択の連続というのはシェイクスピアの言だが、間違いないようだ。

ただ、私がここで言いたい「選択」は、「選択していると思いながら」何かを選んでいるときのこと。メタ認知的な選択というか。いや、よくわからないことを言うのはやめておこう。

とにかく、「あ、自分いま迷ってるな」と感じたとき、それでも自分がこれだと思う最善の選択を求め続けることを諦められない。
その時間と脳資源の消費がもったいないなぁと思うのだ。
旅程を決めずに行き当たりばったりで旅に出たのに、旅先で30分くらい次のスポットをググり続けて、この時間で一つ回れたなと思ったことは一度ではない。

そもそも、選択肢というのは増えれば増えるほど幸せなことだと思っていた。
自由と多様性が謳われ、よりどりみどりな選択肢の中から食事や商品を選ぶというのは、発展の先に現代社会が掴み取った権利のはずだ。

でも、選択肢が増えるのって幸せじゃないらしい。

 複数の実験で明らかになったことですが、選択は人を自由にするのではなく、意欲を失わせるものとなりえます。ある実験では、被験者たちをグルメ食材のスーパーへ招き、様々なジャムを試食させました。あるグループの人々には6種類、別のグループの人々には24種類のジャムを試食させ、そのすべてのジャムは購入可能としました。その結果、6種類のジャムを試食したグループの30%の人は実際にジャムを購入しましたが、24種類のジャムを試食したグループは、わずか3%の人しか購入しませんでした [アイアンガー&レパー2000年]。

ポジティブ心理学が1冊でわかる本

他にもこの本では、こんな概念が紹介されている。
意思決定の仕方で、人は「サティスファイサー(満足しやすい人)」と「マキシマイザー(最大限に良いものを求めようとする人)」に分けられるらしい。
前者は程よい選択肢で満足して検討を追えるが、後者は最も良いものを得るためにすべての選択肢を検討しないと気がすまない。

これこれ、まさに私こそマキシマイザーです。マキシマイザーくらげと呼んでください。呼ばないでください。

大学を選ぶときだって、文系の学部にどんなものがあるか全部調べて、一つずつ微妙なのを消して、最終的には消去法で残った心理学部を受験することに決めたくらいだ。

マキシマイザーは時間を失い、新たな選択肢に期待し、他者と比較し、過去の選択に後悔する。
マキシマイザーのほうがサティスファイサーより初任給が高いが、仕事への満足度は低いという結果もあるらしい。

やはり私は、サティスファイサーになりたいと思った。
程々の選択で満足して、浮いた時間で他のことをしたい。
メニューを早く決めればおしゃべりできるかもしれないし、さっさと次に行く場所を決めれば意外な出会いがあるかもしれない。

これまで、重大な決断を避けて生きてきたように思う。
趣味は広く浅く、なにかに特化していない。
興味のある分野や打ち込んでいるものも、広く浅く。

今年は、もう少し狭く深く選んで生きていきたいと思った。
別に、盲目的に何かに縛られたいわけじゃない。
でも、なにか自分が特化できるもの、自分の得意なもの。自分らしさがほしい。
それを選びたい。選んだもの以外は諦められるようになりたい。

そして今年は、去年に増して人生の岐路に立ち向かうことになるだろう。
今年のうちには今の仕事を辞めようと思っている。
でも、次に何者になるかは、まだ全く見えていない。

正しい選択をしたい。「決断」できる2025年にしたい。
今日の昼飯を。次の旅先を。自分のアイデンティティを。人生を。

それが今年の抱負。


■ 参考文献


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くらげもち
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