メンタル病んでたからnoteの更新が二か月ぶりになっちゃった
前回の更新から、だいぶ間があいてしまいました。
単刀直入に言うと、心身ともに不調を抱え、どうしようもなくなっていました。
社会に出てからというものの、自分がなんとなく感じていた「普通とずれていること」が、かなり明確になってきました。だから私は、社会で普通に評価されるよう、頑張ってみたのです。
ライターとして仕事ができるようになったため、仕事外でも講座を受講したり、noteをはじめてみたり。
メンタル不調に対処するために、結局メンタルヘルスマネジメントⅡ種とメンタル心理カウンセラーの資格をとったり。
結果はそこまで出なかったにしても、私はとにかく、頑張りすぎてしまったのです。
「頑張るのは悪くない」と、考える方もいらっしゃると思います。しかし頑張りには、二種類あると思うのです。
ひとつは、今の自分を認めたうえで、その自分を今後どうしていくか考えるもの。
もうひとつは、今の自分を否定して、新しい自分になろうとするもの。
私の頑張りは、後者でした。「自分はダメだなぁ」「あの人みたいになるために、もっと頑張らなきゃ」と、ずっと自分を否定してきて、それに自分で耐えられなくなってしまったのです。
そんな中、個人的にショックだったことが起きます。
私がメンタル系の勉強に興味をもつきっかけとなった、某メンタリストの方が、本当にたくさんの人から怒られてしまうほどの大炎上をしたのです。
私は問題となった動画を全編観たわけではなく、切り抜きとニュースで観た程度なので(観る元気もなくて)、ここからはそんな私個人の意見です。
ニュースを見て思い出したのが、彼がいじめられていた状況を自分で変えた、努力の人である、というエピソードでした。(ソースはこちらの動画)
私が彼に惹かれたのは、知識量と冷静さでもありましたが、なにより「努力の人」であるからでした。
でも今は、こうも思います。
たしかに努力で自分を変えて、知識をつけてここまでの立ち位置を確立したのは、本当にすごいことです。
けれど彼に必要だったのは、努力ではなくて「排除すべきはいじめであって、君ではない。君はそのままで、十分尊い存在なんだよ」と言ってることだったのではないでしょうか。
いじめを受けた人間は、助けてくれる人がいない場合、自分で自分を守るしかありません。
自分で自分を「悪くないよ」と言い、心の中でいじめてきた相手を攻撃するしかできません。
「いじめられた子が、努力で楽しい人生、すばらしい功績を手に入れた」
これも今の自分を否定して、新しい自分になろうとする、一種のゆがんだ頑張りではないでしょうか。
美談に見えて、「努力する前のお前はダメだったんだよ」「頑張らないと評価してもらえないよ」という恐ろしい思い込みを植えつけているのではないかと思うんです。
世の中、頑張りすぎている人が多いんじゃないでしょうか。
自宅付近で心療内科を調べていたところ、数か月先まで初診を受けつけない病院ばかりでした。ここもある意味、医療崩壊に近いのかもしれない、と感じています。
私は「生きてるだけでえらい」って言葉が、「生きづらい人間にとって、人生が『生きてるだけ』なもんか」と思えて、嫌いでした。
でも生きてるだけで人ってもう、役に立っているんですよ。
存在してるだけで、誰かの子どもだし家族だし、恋人だし友だちだし。
コンビニでおにぎり買うだけでも、経済回してるし。
そうでなくても、もう、生きてるだけでいいんですよ。
頑張りすぎなくていい、あなたは生きているだけで尊い。
ゆがんだ頑張りで成功してしまうと、もう頑張らない自分を肯定できなくなる。
その前に一度、ゆっくり休んでほしい。大丈夫、誰もが生きているだけで尊い。
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