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完璧主義の崩壊過程~それでも0か100の世界観を貫くのか~
完璧主義というのは、様々な定義があると思うのだが、物事を0か100で考えがちな人のことを言うのだと僕は捉えている。
劇作家の鴻上尚史さんは、私たちはとかく人生において物事を0か100で考えがちだが、0か100で割り切れることはほとんどなく、その間の25や65で踏ん張ることに意味があるというようなことをエッセイで書いていた。
僕もそうなりがちであるが、物事を取り組む上でその完全系を100として、それが達成できないとわかった瞬間、それをあきらめてしまう。つまり、0に陥ってしまうという経験がよくある。0か100という完璧主義的な世界観のなかでは、その間の65や70といった数値がすっかり抜けていて、そこで踏みとどまることが許されていないのだ。
つまり、100が達成できなかったのなら、即0なのである。
0か100の世界観のなかで、なかなか100を達成する経験が乏しいと0ばかりになり、次第に新しいことをやることや挑戦することを恐れる。そして、自分はいつか100を達成するという自尊心や空想だけが肥大する。他人との付き合いにおいても、相手に多大な100の期待をして、それが0となったとき失望感や中傷をする。
一方で65で踏みとどまり、次なるときに70、さらに75を目指せば、結果として100にならなかったとしても自らの成長はもたらされる。0から100の中途半端な間で、みっともなくても、傷ついても、自尊心が崩壊しても、明日は生まれるのである。
0か100の世界観で包まれる完璧主義の崩壊過程は100が達成できなかったときに0に陥るしかなく、結局100が達成されることが少ないと、そもそも100を目指すことをあきらめてしまうという過程である。
この崩壊過程のどこかで、完璧主義を諫め、0になるところを、その中途半端なところで踏みとどまることができれば、防げると僕は思う。苦しいと思うが、僕はこの方法によって明日を作りたい。
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