歴史と悲しみは共に疾走する
今年の8月15日、靖国神社は大勢の人々でごった返していた。
ただ立っているだけで汗が吹き出す猛暑日だった。
旭日旗を背に旧日本軍の軍服を着た人達が「天皇陛下万歳!」と叫んでいて天候とは違う意味での熱気が漂っている。
参拝に向かう人々は長蛇の列をなし戦争で亡くなった犠牲者達を弔う現代人の心情が感じられた。
靖国神社の境内には戦争関係の資料を展示する建物がある。
遊就館だ。
そこでは「兵食」という戦時中、兵士たちが食べていた料理にまつわる資料の展示会が行われていた。
陸軍のごちそうといえばカツレツ。
海軍の兵食の中ではカレーが特においしそうだった。
硫黄島から発見された栗林中将が食べたかもしれない乾パンはやけに生々しかった。
発掘日が2000年以降らしく戦争遺品の発掘調査の遅れが感じられる。
特別展のスペースは次第に出口に近づき、最後には兵士直筆の手紙の展示を見た。
妻に宛てた手紙を読んでいると不覚にも僕は涙ぐんでいた。
子供の安否を気遣い成長を楽しみに待つ文章からは家族への愛情が感じられこの人も本当はもっと生きていたかっただろうにと考えた。
僕と大きく違わない年齢の若者達の死因が「戦死」と書かれた資料を読むとさらに胸が痛む。
数えきれないほどの人々の犠牲があって現代社会は成り立っている。
僕の両親は韓国人で僕自身、10歳までソウルで暮らしていた。
家庭の事情があり10歳より日本で生活を始め、今年で22年になる。
8月15日は韓国でいえば「光復節」と呼ばれる、日本からの植民地解放を祝う日である。
8月15日を迎える度に僕は複雑な心境になる。
日本にとっては敗戦を迎えた日の屈辱が甦るとともに犠牲者を弔う日であるが一方で韓国にとっては喜ばしい日でもあるのだ。
「マクベスは小さいが大きい。ふしあわせだが、ずっとしあわせ。」(訳:木下順二)
文豪シェイクスピアが戯曲「マクベス」第1幕第3場の荒れ地の場面で綴った魔女のセリフである。
物事はそのほとんどが多面的で真実は矛盾を抱えているものだ。
僕は僕なりに日本と韓国の歴史の狭間で、目には見えないが両方の歴史を背負って現代を生きている。
日韓の暗い歴史を思うと鬱々とした気持ちになる。
旭日旗を見ると心の奥底がソワソワする感覚に陥る。
僕の祖先が感じたかもしれないことを僕も感じているからなのかもしれない。
言語も時間軸もまぜこぜになっている今この瞬間を僕は生きている。
帰宅後、しばらくは深い悲しみに襲われてソファに腰かけたまま床を見つめていた。
あまりにも多くの心の傷を体験した。
悲しみを癒そうと思い部屋に置いてあるアップライトピアノの前に座ってモーツァルトの旋律を弾いた。
ピアノソナタイ短調。
丁度、彼の母親が亡くなった時期に書かれた作品だ。
文芸評論の神様・小林秀雄はモーツァルトの音楽をこう評した。
「モオツァルトの悲しみは疾走する。涙は追いつけない。」
モーツァルトの音楽は悲しみも喜びも含めたすべての感情をプールで遊びまわる子供のような無邪気さで表現する。
モーツァルトは子供のころから名声を得るために音楽家として働き続けた。
個人的には彼の音楽を聴くと子供らしくいさせてもらえなかった時間を取り戻そうとするかのように感じる。
その無邪気さは誰もコントロールできない大きなエネルギーを持ち聴衆たちの心をつかんで離さない。
目には見えないが現代を生きる僕達はそれぞれの、そして共通の歴史を背負っている。
その歴史は喜びばかりではなく悲しみもしばしば伴う。
悲しみの歴史は通奏低音として現在という時間軸においてコントラバスのように響いている。
現代社会のダイナミズムに吞まれつつ、これからも僕は時々、先人の涙を見るだろう。
疾走する時間の流れに逆らい、もっと生きていたかったであろう兵士達の時間と子供らしくいたかったであろう天才作曲家の時間が交差する場所に立っている。
そして時々、悲しみの出口を探す。
それが今を生きるということなのかもしれない。