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自分の「言葉」をつくるということ

どうも、大幸です。

転職して、関東に来て約2年になるので、今考えていることを思い浮かぶままに書いてみようかと思います!

今、組織開発、インターナルブランディングの領域で仕事をしています。平たく言うと、世の中にある「組織」を「コミュニケーション」の観点からどう良くしていくのか?ということ。

それは例えば「パーパス経営」という言葉で表されるように、企業の社会的な存在意義を明確にし、企業としてどうありたいのか?パーパスを、どのようにして組織の中で浸透させていくのか?そこにいる一人ひとりが、そのパーパスをどのように体現していくのか?といった類のことだったり。

他にも、コミュニケーションスキルの開発や企業内における情報発信、コンテンツ制作にも関わっています。

個人としては、主に20代の若手ビジネスパーソン向けにコーチとして伴走させていただいています。

2023年度は振り返ってみると、述べ50回ほど、企業向け研修やワークショップに講師・ファシリテーターとして登壇させていただきました。

この2年間で、想像以上にレベルアップできたように思います。(2年前には到底できなかったことが普通にできるようになっている)

かの中国の思想家、孔子の格言に「30にして立つ」という言葉がありますが、なんとかここまで辿り着けたな、という感覚です。とはいえ、次から次へと、新しい山が見えてくるな、という感じです。

自分の「言葉」をつくるということ

振り返ると、20代はジェットコースターでしかなかったなと。
新卒で某大企業に入り、
毎日のように葛藤し、
2年間自問自答した末に退職し、
音楽の力で世界一周するんや!と旅立ち、
旅の途中でも自問自答し続け(笑)
大阪に帰り、教育ベンチャーに入社し
転職して今に至るというわけですが

思うに、やっと自分の「言葉」ができてきたのが今なのかなと。

新入社員の時に「あれ、俺、なんでこんなことしてるんやろう?」と考えた時が問いの始まりだったんですが、思えば、本質的に、自分の頭で考えるということ、自分で問いを立てるということをしていなかった。

”良い”とは何を持って”良い”なのか?
本当はどうしたいのか?どうありたいのか?

正解のあるゲームの中で、点を取ることだけがうまくなった結果、正解のない物事の中で、正解のあるゲームと同じ戦い方(生き方)をしてしまう。

その生き方でほんまに良いのか。

いや、良いとか悪いとかじゃなくて。

ほんまはどうしたいのか?
あるはずのものが見えない。
あるはずのものに気付けない。

最近、この「ファスト教養」という本を読んだんですが、まさに、社会人2-3年目ぐらいの自分は、このファスト教養に支配されてたなと。
https://tokion.jp/2022/12/14/why-is-fast-culture-so-popular/

ファスト教養とは、ビジネスでうまく立ち回る(?)ために、その手段として、スキルや教養を身につけるべきだという考え方。その代表例として挙げられるのが教養系Youtuberなどの謳い文句でよく見るような「10分で分かる○○」とか「人生の勝算」みたいな言葉。

或る人に言われた「喋ってることが自己啓発本に書いてることみたい」という言葉はいまだに俺の中に刺さっている。笑

ここで「ファスト教養」自体を問題だと言いたいのではなく、「ファスト教養」によって「問う」ということをしなくなることが問題だと思っている。

”これだけやっていればいい”とか”これを学んでおけば安心だ”とか。それは自分が”正しい”方向にいるという安心が得られる、一種の麻薬みたいなもの。

「何を学べば良いか」じゃない。違う。全然ちゃう。

大事なのは「何を学びたいか」

前者の考え方で身につけた知識やスキルには、根がない。自らの喜びや、興味関心に根ざしていない、だから学ぶ喜びもないし、他の学びにも広がらない。

そんな学びばかりやっているとパッションも感情も感性も消えていく。工場で、同じ規格の製品が次々と生み出されるのと同じように。

時間はどれだけかかっても良い。

大事なのは、自分の中にある根を大切に育てていくことだと思う。

そのためには「深める」ことと「広げる」こと。

深める。それは、1の経験から、己を知ること。

単にPDCAを回すとかそういう話ではなく、経験した出来事に対して、何を思ったのか?何を感じたのか?それは自分の中の何から生まれているのか?自分のものの見方や考え方も含め、丁寧に見つめていくということ。

または、人から聞いたこと、本で読んだこと、ニュースで見たことを、言葉そのまま受け取らずに、ん?それってどういうこと?ということを問い続けることも含むかもしれない。

広げる。それは、枠の外に出てみること。

新しいことをやってみること、普段やらないことをやってみること。それは例えば、いつもと違う道を歩いてみるとか小さいことかもしれないし、初めての場所に出かけたり、普段の環境と別の人と関わってみたり、転職したりするとか、大きなこともあるかもしれない。

この「深める」と「広げる」を繰り返していく中で、自分の言葉、自分だけの言葉を創っていくこと。

それが、いきいきと生きるということ。面白く生きるということの鍵になるんじゃないかなと。

俺は思います。

そういう俺のVISION、MISSIONを言葉にすると、今のところはこんな感じ。

VISION
森のように生き、幸せがひろがる

MISSION
伴走者×伴奏者であり続ける

約2年前にふと、自分の名前こそがVISIONかもしれん、と思ってからずっとこのままにしている。

この言葉に込めた(込められた)意味は

森には、全ての生命(と死)があるがままに存在している。そこには恣意的なものは何もなく、それぞれの生命が、それぞれの存在として、その生命を輝かせ、それぞれがお互いに影響し合って、完全な世界を構成している。

そんなことをふと考えた。

人が、自分の中にあるものに気付き、それを大切に育てていく、それぞれが共鳴し合って、何かが生まれていく。もしかすると、その場は居心地が良いものではないかもしれない(ぶつかり合うこともある)

それでも、その混沌の中から、新しいものが生まれ続けていく。なんとなくそういうイメージの世界観。去年出会った、クリエイティブ・カオス(創造的混沌)という言葉が近いかもしれない。この言葉めっちゃ好き。

だから、感覚的には、他動詞ではなく自動詞
(もしくは、中動態的な表現)の方がしっくりくる。例えば”成長”という言葉はニュアンス的に、”何かの目的のための手段として、必要なものを伸ばす”という意味合いがありそうなのであんまり好きじゃない。”伸ばす”ではなく”伸びる”の方が、しっくりくる。

MISSIONは
①伴走者
これは重に「個人」に対するアプローチで、「人」が伸びたい方向に向かって、一緒に走っていく存在でありたいという思い。
②伴奏者
これは重に「集団」に対するアプローチで、例えるなら近くでギターを弾いているイメージ。何かが生まれ出るような、場を創る存在でありたいという思い。

そんなことを考えている。

と、ここまで言葉にしてみて、読み返してみて思ったけど、ここに書いた言葉は、完全なリアルじゃないというか。

過去に考えたことをそのままアウトプットしてる部分もあるので、綺麗にまとまってしまってるかもな〜と。

感覚的にはわりとよそゆきの表現かもしれん。間違いなく「今ココ」から出た文章ではない。

まあ、ここまで考えていたことを言語化する機会だったということで!

でも、やっぱなんかこう、旅をしてる途中に生まれるような、あの何かが迸るような文章を書きたいなと思った。感性から生まれてくる感じのやつ。やっぱ、言葉は鮮度良く出すことが大事やな。

とはいえ、この部分も含めて、俺が書いたことの意味を感じ取ってもらえると嬉しいな。

ではでは!

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