【文化財紹介】レトロでモダンな街角のお医者さま
大阪歴史倶楽部です。
大阪市西成区にあります、大正時代から昭和初期の頃に建てられた街角のモダンなお医者さま「加納医院」さんをご紹介いたします(西成区編 第3弾)。
加納医院とは
加納医院は、大阪市西成区松1丁目の梅南通商店街の中にある街角のお医者さま(内科・小児科の開業医さん)です。
1921(大正10)年に初代の加納先生が現在地で開院され、その後2代目の先生に引き継がれましたが2020(令和2)年11月23日に99年の歴史を終えて閉院いたしました。
立派だった2代目の先生
加納医院の2代目・加納治男先生(初代の先生のご子息)は、1925(大正14)年のお生まれで2020(令和2)年に95歳で亡くなられました。
この2代目の先生は昭和・平成期における大阪府・大阪市の予防医療や予防接種の普及にたいへん大きな貢献をされました。早くからウォーキングによる健康増進を提唱されていたお医者さまのおひとりでもありました。また地域医療の発展にも多大なる貢献をされ、国からは勲章「旭日双光章」、日本医師会からもその大きな功績を讃えられて「最高優功賞」を受賞されました。長年複数の学校医も勤められていました。
先生は亡くなる直前まで早朝から往診に回られ、その後は医院での診療、その後はまた往診と、医師として常に現場の最前線に立って地域医療を支え続けられたと伺っています。地域の人たちや、頼ってくる人たち一人一人を大切にされ、弱い立場の人たちに寄り添い、どのような人にも常に誠意と愛情を持って接しておられたということです。
また私財を投じて20年近くにわたって大阪の歴史や史跡の顕彰活動も熱心にされていた、たいへん立派なお医者さまでした。
建物の概要
加納医院の建物は3階建て(3階は増築かもしれません)で、2階は建物の角の部分を曲面に仕上げたとてもオシャレな建物です。その曲面の部分に「加納醫院」と書いた切り文字の看板があります。大大阪時代(大正時代から昭和初期)のモダンな雰囲気をよく伝えていると思います。
外壁は全体的に黄褐色で細かい溝が入ったタイル(スクラッチタイル)が貼られていて1階部分の裾は石貼り。また玄関の脇には立派な石の柱がデザインされています。
この建物の年代については、調べているのですが古い時代の開業医さんということもあってまだ確定するまでには至っていません。推定ですが全体のスタイルからみて開院と同じ頃すなわち1921(大正10)年頃のものか、もしくは昭和初期(おそらく昭和ひと桁代)のものかなと思います。
建物の雰囲気は、以前にご紹介いたしました大阪市中央区の高麗橋野村ビルディング(昭和2年)や宇野薬局(昭和8年)などに似ているかなと思います。
この加納医院の建物の外観は、とても良い状態で残っています。
建物の今後について
加納医院は、閉院してからすでに1年3ヶ月ほどが経っています。2022(令和4)年2月13日の時点では変化がないことを現地で大阪歴史倶楽部が確認いたしました。しかしこれから後もこのままずっと残るとは限らないと思います。
2022年2月16日に念のために大阪歴史倶楽部が大阪市の担当部署さまへこの建物について連絡をいたしました。
加納医院のある街
この加納医院がある地域は、住所は大阪市西成区松ですが広い意味での「天下茶屋」エリアの一角で西成区の中では最も治安が良く(普通の住宅地なみの治安です)、昭和時代の雰囲気があちこちに残っている庶民的な下町です。
加納医院への行き方
加納医院へは、大阪メトロ四つ橋線の「花園町」駅4号出口から南西へ約500m(徒歩約5分)です。
「花園町」駅4号出口を出るとそこは国道26号線の「花園」という大きな交差点の北西角です。そこから南へ向かって信号を渡り、そのまま国道に沿ってまっすぐ200mほど進むと「花園南1」という交差点があります。この「花園南1」の交差点を右折する(すなわち西へ入る)と「梅南通」という商店街になります(アーケードはありません)。この梅南通商店街の中をまっすぐ300mほど進むと左側に「加納医院」があります。
おわりに
ここにご紹介いたしました加納医院の建物を見学したり写真や動画などを撮影されるときには、周辺の方々のご迷惑にならないようご配慮をお願いいたします。
また許可なく他の人の敷地内に入ったりはしないようお願いいたします。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
【2024年6月22日 追記】
この加納医院さんの建物は2024年6月に解体された事を、大阪歴史倶楽部が現地にて確認いたしました。
(『大阪歴史倶楽部』第2巻 第7号 通巻17号 2022年2月19日)
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