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だれにだってなれるから

かつて、演劇をしていた。

趣味や余暇にすることを聞かれて、演劇ですと答えるのには、勇気がいる。

返ってくる反応が分からない。というか、そこに世間一般の人が抱くイメージが分からない。
大学を出てから、アマチュアの劇団にかなりの間在籍したにも関わらず、付き合いの浅い人に「実は演劇やってまして」と打ち明けるのは、最後までハードルが高かった。


実は演劇やってまして。そう言うと、第一声、へーすごい。と返されることは多い。かっこいい、と言われることもある。本心は、知らない。でも、皆大抵優しいので、そう言ってくれることが多かった。何も、すごくもかっこよくもないけども。


中には、どうして、演劇なんですか?と聞いてくれる人もある。
どうしてだろう?
どうして、音楽やスポーツでなく、演劇だったんだろう。音楽の方が入り口だって広いし、スポーツの方が受けもいい(ほんと?)のに。なぜ、演劇だったんだろうな。


ずっと、そこに行きたかったから。


としか、答えようがない。考えてみると、私は小学生の頃から、演劇に憧れていた。北島マヤみたいな子だったわけじゃないけど、本が好きで、物語に没頭したくて、演劇なら、その中に入れると思ったから。それが、はじめだった。ドラマに出たいとか、芸能人になりたいとは、露ほども思わなかった。


たまたま、中学校に演劇部があった。
高校、大学、そして地元の劇団へ。たまたま、身近に演劇をしている人たちがいたから。そこに入った。入って、‥離れたこともある。でもまた戻ってきた。結果、13才から31才になるまで、演劇とずっと近いところにいて、いろんな役をした。いや、させてもらった。

夢を売る商人、魂を連れていく黒服の者、銀行員。高校生。純真無垢な少女に、主人公の不倫相手に、理想の社会のためボランティアに精を出すいいとこのお嬢さん。歌声喫茶の看板娘。彼氏に赤ちゃん出来たって言えないで悩む若い女。結婚式場から逃げ出す花嫁。



演劇は、何にだってなれる。
テレビではないのだ、極端な話、道具も衣装も要らない。お客さんがその世界に入るための仕掛けとして、それらはほとんどの場合用意されるけれど、一度幕が開いたら、お客が観るのは役者であって、それらではない。いつまでも、あーこの人は花嫁さんなのか、とお客さんが衣装ばっかり見ているとしたら、それは役者がつまらないからだ(それか脚本か)。


だが、14才の文化祭で気づいたことがあった。
演劇は、何にだってなれると思っていたけど、
私は、何にもなれない。
私は、私だ。


演劇部員には女子が多い。必然、男性の役も女子がすることになるが、宝塚のように男性を極める訳ではなく、そこは性別不問の役柄として演じればいいと、私は髪を一つにくくり、キャップの内側に丸めて入れた。性別不問なのであって、中学生の女子生徒ではない。いつもの私では困るのだ。ドーランを塗り、衣装に着替え、キャップは何本かのピンで固定した。第一声は大きな声で。道化のような役割だった私は、いつものように、飛び出ていった。

なのに、ピンが外れた。


帽子が浮いた。
いつもの私の黒い髪が、ピョコンとのぞいた。
お客さんは、見ている。
ああ、私じゃないのに。今ここにいるのは、私じゃないはずなのに。
必死で、セリフを言う。相手のセリフに答える。うなずいたり、笑ったりする。その間も私の左手は、ずっと帽子とその中の髪の毛を、抑えている。

悔しかった。
ピンの留め方が甘かったこと。
外れた瞬間、素に戻ってしまいそうになったこと。
いや、セリフを言いながら、その場にいながら、頭の中は「帽子が外れて焦っている私」でいっぱいになっていることが、悔しくて仕方なかった。



どんなに、夢いっぱいの舞台の上にいても。
この世ではあり得ない役をしていても。
今、ここに立っているのは、いつもの自分でしかない。
中学校二度目の文化祭で思い知らされたその事実は、その後も常に、形を変えタイミングを変え、私の前に現れた。
表情、姿勢、声の出し方。セリフを放つ時の間、相手との距離。
誰にだってなれる演劇だけれど、
演じる私は私でしかない。
私というフィルターを通してしか、私は私以外のものを演じられないのだ。


書くことも、同じかも知れない。
どんなに表現を磨いても、扱うテーマが変わっても。記事という体裁を整えても。
ここで書いてる私は、誰でもない私でしかないのだ、と思う。


結婚して、演劇を辞めてから。同じく、演劇をしていた友人に、声劇というジャンルを教えてもらった。
声劇は演劇よりもさらに制約がない。
肉体表現という方法を持たず、舞台空間も必要としない。声劇は、どんな物語でも、音声だけで表現することができる。お客さんに来てもらう必要さえないのだ。
ポチッとさえすれば、物語が始まる。


何にだって、誰にだってなれる。


絶世の美女にだって!
(これは、舞台の演劇だったらなれてない。多分、いやきっとね‥。)


でも、
演じる私はやっぱり、私なんです。


だから、楽しいんですよね。



声劇、初めて一人で録りました。20分近くあるので、いつでも‥という訳にはいかないと思いますが、ぜひ、ポチッとして聞いてみていただけたらと思います。
できれば倍速なしで‥


脚本は、ここnoteでも作品を上げている、和歌山の劇作家、松永恭昭謀 氏によります。松永さんのことは以前も紹介したことがありますし、その時もこの脚本については貼った気がしますが、もしわがままを聞いていただけるなら、このスタエフ聴いてから読んでもらえた方が、私としてはとても嬉しいです。

#好きなnoteクリエイター


私に声劇を教えてくれたのは、この方です。スタエフの前から、別のSNSを通じて声劇の世界に誘ってくれたリアルの友人です。ツダケンさんの情報とかも教えていつも教えてもらってます。教えてもらったアニメ「チ。」も、しっかり見てます!(すっごく怖いけど面白い。サカナクションの主題歌もいい!)
いつも本当にありがとう‥!!




なおこの記事は、ほかの誰でもない自分のために、自分を振り返って書く、#自分語りは楽しいぞ に参加したく書きました。文中「私」「自分」ばっかり出てくるのはそのせいかと。ご了承ください。

#自分語りは楽しいぞ


最後はお願いと紹介ばかりになりました、
今回も長くなってしまいましたが‥


#賑やかし帯





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