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「足るを知る」 - 中国山地004号 / 住むこと
3連休はとにかくインストールする情報が多くて、頭の中が良い具合に揺らされ気持ち良い日々だったのであと四日は同じことをしていたかったけど、時だけは淡々と進んでいくので悲しい。
三連休で中国山地を読了し、暇と退屈の倫理学も半分まで読み進め、たくさんの自問自答ができた。映画・ドラマは4作みた。「レオン」「ルーシー」「BEEF」「Good Will Hunting」。BEEFはネットフリックスシリーズで、人間の飽くなき欲と現代に生きる私たちの心の底の一番暗いところを前面に出した作品で、希望という希望を見出せそうで見出せなかったのがとても良かった。
3連休最終日の夜に読了した中国山地では「住まう」ことをテーマとした回で個人的にも非常に興味深いトピックだった。もしUターンをするのなら古民家を改修してすみたいと思っていたので多くの人の「住まう」ことについて触れることはとても参考になった。また以前より夫と日本の家屋の短い寿命については議論をしていて釈然とした結論に至っていなかったので今回の対談や記事は一つの回答としてとても納得できるものだった。
ちなみにヨーロッパ圏の人からしたら日本もまあまあ寒いのにアルミサッシの窓枠から風がピューピュー入ってくる家の作りや、プラスチックを用いた家づくりが理解できないらしい。私は日本は震災などがあるため家は短命なもので、あまり作り込まず使い捨てるという概念が昔からあったのではないかと思っていたが、どうやらそれは高度経済成長後の消費社会の中で作られた概念のようだ。暇と退屈の倫理学をちょうど読んでいるため、消費社会の記号の消費という考えが家にも当てはまると感じた。私たちは家というものを消費しているのではなく、「マイホームを持つ」という概念や「新築」という状態、そしてマイホームを持った「私」というものを消費するようになったのだろう。その記号としての消費を実現するためにはスクラップ&ビルドするしかなかっただろうし、そこまでの躊躇いもなかっただろう。「夢の」マイホームマーケティングは大成功である。
「足るを知る」という言葉は道標になるのではと思った。はっきりとしない金銭的な不安。何があれば幸せなのか。広告やマーケティング戦略に巻き込まれない私たちは何を望むのだろうか。自分よりも他人あるいはマシーンが自分の欲しいものを知っている今の世の中で一度考えてみようと思った。「足る」という状態に覆い被さっている消費社会で作り出された偽りの欲の皮を一枚一枚剥がしていく作業だ。これは簡単ではない、とても難しい。一枚一枚剥がしていくということは今の社会の中でいいとされる概念や状態を保持したいという自分自身のエゴと戦うということだ。社会の「Should」がいつの間にか自分の「Should」になった、これと戦うことだ。
まだまだ時間はかかるけど、ゆっくりでも一枚一枚戦っていくつもりで、最後の時に何を感じるかがとても楽しみである。