Bonn で ベートーヴェンの生家に行った 2日後, Trier で マルクスの生家へ 〜 1983年5月29日
日本を発って 1ヶ月余り, ソ連, フィンランド, スウェーデン, ノルウェー , デンマークの次に訪れた西ドイツ 〜 ハンブルク, ボンに続いて..
「前説」的な, 今日の note の第1章。「章見出し」で言い尽くした(笑)。とりあえず, 直前のボンについて書いた note, リンク貼っとこ。
あ、間違えた, これ ... 「貼っとこ」じゃなくて「ひょっとこ」だった(笑)。
仕切り直し。直前のボン note, リンク貼っとこ。
トリーアは誰あろう, カール・マルクスが生まれた街であるぞ
1983年5月26日から2泊3日滞在したボンを 5月28日に列車で発ち、トリーアに移動。トリーアにも 2泊3日滞在した(その後は 5月30日にトリーアを発って列車でケルンへ, そしてケルンからの夜行列車でベルリンに向かった)。
これまでずっとカタカナで「トリアー」と認識してきたけど、この Trier, カタカナ表記は「トリーア」の方がよく使われるかも。ウィキ見るとカタカナ的にはどちらもありなんだけど、見出し項目としては「トリーア」が使われていて、「トリアーとも表記される」と注釈付き。発音が [tʁiːɐ̯] だから「トリーア」の方が近そうだな。今日は一応, トリーアにしておこう!
トリーアはあの(若い世代にはもう「あの」なんて付ける人物名でもなさそうだけど, 1960年生まれの筆者とかその上の世代とかはたぶん「あの」付きかな)カール・マルクス が生まれた街(Karl Marx, 1818年5月5日にプロイセン王国のトリーアに生まれ, 1883年3月14日に大英帝国, イングランドのロンドンで死去)。
トリーアの 2日目, 1983年5月29日に カール・マルクスの生家 Karl-Marx-Haus を訪ねたんだけど、その日の日記にはこんなことが書いてある。
何しろ, 1983年に書いたことだからね, 我ながら, というか「我日記ながら」時代を感じさせます。
マルクスの考えをもとに「世界を変えた」はずの国, ソ連。
あの国はどうしてあんなふうになってしまったのか。
マルクスが生きていたら, どう解釈し, どう変えようとするだろう。
マルクスは世界を変えた。しかし, それは彼の望んだような姿かたちにはならなかった。
ってなわけで, ちょっと Back in the U.S.S.R. してみっか。
思い切り脱線した。今日はドイツ, 当時の西ドイツ, トリーアだった(笑)。
トリーア 〜 1983年5月28日, 5月29日(写真 8枚)
とりあえず, 旅日記。ボンのユース・ホステルで同室だったアメリカ人のことが書かれている。典型的なアメリカ人(アメリカ合州国の人)の「中東」観, 「イスラエル」観(まぁこれは 38年前の話で近年はある程度の変化が見られるようになって来たけれど, まだかなりこのテの「中東/イスラエル」観を持ったアメリカ人は多いだろう)。「イスラエルがベストだ」と彼は言ったわけだが, あ, そうだ, あの現在の, 21世紀日本の,「イスラム思想研究者」を名乗る日本人も似たり寄ったりかね。そう, 大雑把に言えば, 似たり寄ったり。大雑把な言い方過ぎる? いや, そもそもあの自称「イスラム思想研究者」のロンが粗っぽいんだからいいんだよ(ついでだ, 今日のこの note 投稿の最後の方, おまけであの人物の関連リンクひょっとこ, いや「貼っとこ)。
彼は "オレが中東を旅行することについて",「イスラエルがベストだ。次はエジプト, 他はよした方がいい」と言ったわけだが, "オレ" はその後, ヨーロッパの旅の後はギリシャからトルコに向かい, その先はシリア, ヨルダン, パレスチナ(この文脈で言う「パレスチナ」は 1967年6月の侵攻によりイスラエルが占領した東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区およびガザ地区)とイスラエル, そしてエジプトを旅したよ(その後は再びトルコ, そしてイラン, パキスタン, インド, タイ, 韓国を旅して日本に帰国)。なんつって, あのアメリカ人, "オレ" とそれほど歳が離れてたわけじゃなかっただろうから, 今も元気だろう。何してるかな? お互い楽しく人生の日々を生きているといいね。"オレ" はけっこう楽しくやってます。
なんと,
極度の孤独感におそわれた。
さてさて ♫
写真 1) 2) 以下の写真 2枚は, ポルタ・ニグラ。古代ローマの時代の建築物。
日記、続き(写真は撮ったものの, もう一度 ポルタ・ニグラ 行こうってか)。予定として, 5月30日にケルン(西ドイツ)から夜行列車でパリ(フランス, あまりにも言うまでもないけれど 笑)へ, と書いてあるけど、このプランは結局変更した。同日, 実際にはケルン経由でベルリンに向かっている。
もう一回, いっとく? .. 誰に言ってんだ(笑)
さてさて ♫
写真 3) 4) トリーアの街。
写真 5) これはトリーア 2日目, 1983年5月29日。高いところから撮ってるなぁ。
写真 6) Karl-Marx-Haus, カール・マルクスの生家。
次、1983年5月29日の旅日記。
写真 7) この写真のことは、上に載せた日記とこの写真の下に載せた日記に書いてある。
日記の続き。
自分の生まれ故郷を思い出していたようだ。それと,「オレは今, 旅してる ...」なんて分かりきったことも書いてある。
というわけで(この時,「早く家に帰りたい」とは思っていなかったものの, 笑)♫(旅と言えば, "Every Picture Tells a Story" の歌詞!)♫
写真 8)
モーゼル川。4頁分載せた日記の最初のやつに書いてあるように、大雨が降ったばかりだったようで。
トリーア には 1983年5月28日から 5月30日にかけて 2泊3日滞在したわけだけど, 5月30日の日記は、次回の旅 note の時に 気が向いたら 載せる!
気が向いたらってのは 相変わらず のアティチュード .. かな ♫
さてさて 。
付録: ではでは, 予告通り, アンコール(リンク) 〜 21世紀の日本の, 自称「イスラム思想研究者」
予告ってのは, まぁそんな大袈裟なもんでもないが、これの直前の章「トリーア 〜 1983年5月28日, 5月29日(写真 8枚)」の冒頭に, そのしょうもない経緯を書いてある。
1) 似た者同士(同志の方がいいかね?)の中山ナニガシ「日本国」防衛副大臣と, 21世紀の日本の, 自称「イスラム思想研究者」
2) 21世紀の日本の自称「イスラム思想研究者。博士(文学)」氏, 批判者のアカウントのブロックが趣味? 〜 おえっとした後の気分転換は Dua Lipa ♫
3) 21世紀の日本の, 自称「イスラム思想研究者」 〜 そのロン法に潜む, いや潜まない, 露骨なテク(略してローテク)
しょうもないトピックながら, つまり書いてる話題, その対象がほんと, 思い切り「しょうもない」トピックだからね, 気分保つためにそこかしこに素晴らしい音楽を散りばめてある。その音楽聴くだけでも価値あるぞ(笑) ♫
Bonus track 〜 "21st Century Schizoid Man" (King Crimson)
*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。
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