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2001年宇宙の旅 と ピンク・フロイド 「エコーズ」 の シンクロニシティ 〜 歌詞和訳
前説
正確に言うと、スタンリー・キューブリック監督、1968年公開の傑作映画「2001年宇宙の旅」 "2001: A Space Odyssey" の最終章 JUPITER AND BEYOND THE INFINITE と、ピンク・フロイド 1971年リリースのアルバム「おせっかい」 "Meddle" の最後に収録された ECHOES との間のシンクロニシティの話。
と言っても、これはピンク・フロイド のファンにはつとに有名な話。昔々、ジュラ紀か白亜紀ぐらいの昔、あ、15年前か、2005年10月29日付の筆者のホームページ上の日記でざくっと書いていたので、そこから以下、転載(転載にあたり note 投稿テキスト内での表記上の統一等の考慮をした箇所のみ編集)。
2005年10月29日(土) ECHOES & JUPITER AND BEYOND THE INFINITE
"2001: A Space Odyssey" の紹介(これは note ではこの後に投稿、今日もしくは明日)の中に書いたこと。最後の追記部分。
ピンク・フロイドの "Meddle" (邦題「おせっかい」) の中の ECHOES の音楽と歌詞(詩)が、"2001: A Space Odyssey" (邦題「2001年宇宙の旅」) の最終章 JUPITER AND BEYOND THE INFINITE の映像とその展開(物語)に強烈にシンクロするという話。
これ、一昨日の夜中、実際にやってみた。昨日は終電で帰宅、一昨日は少しは早かったし、アマゾンに注文した懐かしの "Meddle" が今週届いていたんで、やってみたのさ。
最終章 JUPITER AND BEYOND THE INFINITE のタイトルが出た直後に ECHOES を始める。映画の方は消音モードにしている。そこから時間にして 23分半。
映画と ECHOES はほぼ同時に終わる。同じなのは時間だけでなく、その映像の展開と ECHOES の音楽の展開、その間の両者のダイナミズム、ストーリー展開(最終章はストーリーという言葉が似合わない展開なのだが)と ECHOES の歌詞(詩)の構成と展開。
・・・ 見事だった。画面に映る映像とその展開。そこに完璧に重なっていく ECHOES ・・・。いや、本当に予想以上、期待以上の体験でしたね。
クレジットが出る直前のラストシーン、宇宙空間上に浮かぶ、眼を見開いた胎児の顔のシーンまでで ECHOES が終わり、時差は3秒程度。 ECHOES を映画の最終章タイトルが消えた直後にかけ始めていれば、ほとんど時差ゼロだっただろう。
見事だったのは、その秒単位の違いしかない同期の時間の中で展開された、ECHOES の音楽、詩の世界と、消音モードにした "2001: A Space Odyssey" 最終章の映像と展開、その両者の間で反応し合った、いや、反応というより、ほとんどそのまま重なり合った強烈なシンクロニシティ。
印象的な、宇宙空間に浮かぶ、眼を見開いた胎児の姿のラストシーン、そこに至る前に流れる ECHOES の歌詞の最後は・・・ No one sings me lullabies, And no one makes me close my eyes, And so I throw the windows wide, And call to you across the sky ・・・。
最終章の全編を通じ、最後にクレジットが出る直前の時点でフェイドアウトして終わる ECHOES の音楽は、"2001: A Space Odyssey" と見事なまでに重なり合っていた。あまりにしっくりくる映像と音。その展開と歌詞(詩)。
細部にまで亘るシンクロニシティ( Synchronicity )の感覚の体験は、まさに神秘的なものと言っていいだろう。摩訶不思議です。
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「神秘的」とか「摩訶不思議」とか書いていたものの、まぁ何と言うか、当然ながら、偶然ではある。流石に偶然に違いあるめぇと拙者、筆者は思うけれども、それでも面白いものは面白い。とこれは note 転載にあたっての蛇足。蛇に足があったら「神秘的」だし「摩訶不思議」だけどね。
* 上記の日記は、筆者のホームページに掲載してきたもの(近年全く更新していないホームページ、でも今もネット上に置いている)。
ただし、同ホームページは 2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化けする(威張ることじゃないけど、まぁ威張ってはいないけれど、いつも繰り返しこれ書いてるんだけど、でも初めての人には「初めて」なわけで)。
The Synchronicity between JUPITER AND BEYOND THE INFINITE from "2001: A Space Odyssey" (1968, Stanley Kubrick) and ECHOES from "Meddle" (1971, Pink Floyd)
ではでは、勿体ぶって見出しを英語にしてしまったけれど、早速(でもないか)、スタンリー・キューブリック「2001年宇宙の旅」最終章「木星 そして無限の宇宙の彼方へ」とピンク・フロイド 「おせっかい」最終曲「エコーズ」との間の非因果的連関の原理、あ、カール・グスタフ・ユング、あ、勿体ぶった、そもそもユング、読んだことないかも。学生時代、ジークムント・フロイトは読みました。フロイトって Freud だけどドイツ語発音では確か最後は t, ところが英語発音では d, 英語発音の方で無理矢理カタカナ表記するとフロイド、となると拙者のような r と l の発音の区別が苦手な典型的日本人には Sigmund Freud と Pink Floyd のそれぞれのラスト・ネーム(!)は殆ど同じに聞こえてしまい、というか英語発音でカタカナにしたら共にフロイドで、両者は同じ家系だったのかよという無茶苦茶な話になって ... あり得ん(笑)。
大体 Floyd Pink は誰かの姓名、氏名だったのかなんて滅茶苦茶。荒唐無稽な話になったところで、要約、じゃなかった、ようやくシンクロニシティ(ユング提唱、「意味のある偶然の一致」、「同時性」「共時性」)の話、話じゃなくて、「木星 そして無限の宇宙の彼方へ」の映像と「エコーズ」の音楽と詩、筆者による歌詞和訳つき。
JUPITER AND BEYOND THE INFINITE, with ECHOES
*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。
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頭上 空高く アホウドリが (*1)
宙に舞い上がったまま静止して垂れ下がる
そして 揺れる波間の奥深く
珊瑚の洞窟の迷宮の中
遠く離れた潮の流れ 遥かな過去の残響が (*2)
砂地を越え 風に舞う柳の如くゆらゆらとやって来る (*3)
そして 何もかもが青々とした緑色を成し 海の底に (*4)
誰も我々を陸地に導かなかった
誰もが 何処にいるのか 何故そこにいるのかを 分かっていない
しかし何かが目覚めて動き出し 何かが試みを始める (*5)
そして 光に向かって 登り始めるのだ
通りすがりの見知らぬ者どうしが
偶然にも 一瞬その視線を交わす
実は私はあなたであり 私が見ているのは私自身なのだ
私はあなたの手を取り
この地の何処(いずこ)かに導き
自らができる最上のことは何なのか 理解することになるだろうか?
先に進むよう呼びかけるものなどいない
視線を落とすよう強いるものもいない
言葉を発するものはいないし 我々のように試みるものもいない
太陽の周りを飛ぶものなどいないのだ
雲ひとつない毎日 あなたは 覚醒した私の眼に舞い降りる
私に起き上がるよう 誘い(いざない) 鼓舞しながら
そして 壁に埋められた窓を通し
陽の光の翼に乗って差し込んでくるのは
眩い(まばゆい)ばかりに光り輝く何百万もの朝の大使 (*6)
私に子守唄を歌ってくれるものなどいない
私の目を閉じさせるものもいない
だから私は窓を大きく開け放ち
空の向こうのあなたに呼びかけるのだ
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* 歌詞、歌詞和訳、和訳歌詞に関する注釈
*1 albatross
鳥の名前、アホウドリのことだけれど、アホウドリは南太平洋に沢山いて、翼が長いのが特徴の水鳥。この鳥を航海中に見たらそれは嵐の前兆だとされたとかいう話もあるようで、それと関係があるのかどうか、"albatross" には「心配のもと」、要するに、心配なので「頭痛の種」になるようなものを意味する場合がある。
"albatross" が「頭痛の種」を意味する場合がある鳥の名前だと思えば、この歌の歌詞が "Overhead the albatross hangs motionless upon the air", 「頭上 空高く アホウドリが 宙に舞い上がったまま静止して垂れ下がる」で始まっている点、英語で「頭痛」を意味する "headache" にも「頭痛」だけでなく、「頭痛の種、悩みの種、困ったこと」といった意味があるわけで、"Overhead" と "albatross" の意味上の関連があってこうした wording, すなわち言い回しなり言葉遣いなりが為されたのか、その辺り、興味深いものがある。
つまり、単に「アホウドリ」という水鳥のイメージだけでなく、「アホウドリ」=「頭痛の種(心配事、困り事、悩みの種)」が「頭上」にあってといった意味合いが込められている、そういったダブル・ミーニング的なニュアンスがあるのかどうか。
*2 time (tide)
この箇所、"time" にも "tide" にも聞こえる。文脈上、"tide" であっても不自然ではないと思うが、ネット上の歌詞サイトで見る限り、"time" としている方が多いようだ。
"distant time" なら「遠い過去の時代」といった意味合いになると思うが、"tide" も「潮の流れ」「潮流」の他に文語として「好機」「潮時」、更にはやはり文語で「季節」「時期」といった意味として使われるケースがあり("Christmastide" などのように結合語の一部としてというケースが多いようだが)、"distant time" なら「 遠い時代」「遥かな過去」といった訳し方ができる一方で、"distant tide" も似たような意味で解釈することは可能だと思う。
そこで、当該の箇所 "The echo of a distant time (tide)" については、"tide" の一般的な意味が「潮の流れ」であることも踏まえ、かつ "distant tide" としての解釈を先に持ってきた方が日本語としてのリズムがいいように思えたため、「遠く離れた潮の流れ 遥かな過去の残響が」と訳すことにした。
*3 willowing
willowing は難関。"willow" が動詞として使われることは、極めて稀だろうと思う。"willow" だけなら通常は「柳」の意だが、これを動詞として使うなら「開繊機にかける」という意味の極めて特殊なケースの場合になる。
結局、筆者は、"Comes willowing across the sand" については、些か苦し紛れであるが、前後の文脈を考えた上で、「砂地を越え 風に舞う柳の如くゆらゆらとやって来る」という長めの日本語表現にした。
この歌の歌詞における "willowing" の解釈は非常に難しく、英語話者の間でも議論されているくらいのもののようだ。
以下は、訳す際、"willowing" という、"willow" は「柳」の意の名詞でありながら "willowing" と動名詞に変化しているかに見えるこの箇所について、何か特殊な意味の(「開繊機にかける」の意味以外の)動詞としての "willow" があるのかどうか、何か手掛かりがないかとググって見つけたウェブ上の複数意見。ただし、これを見ても、結局、はっきりした結論は出ない。というか、正直言って、途中まで読んで、最後まで精読しないままに、歌詞和訳の作業に戻ってしまった(笑)。
なお、前項 *2 time (tide) との関連で言うと、前項において筆者が 〜 "time" にも "tide" にも聞こえるがネット上の歌詞サイトで見る限り "time" としている方が多いようだ 〜 としている件、以下のリンク先では質問者は "tide" の方を採用している。
*4 green
"green" は当然ながら、普通、日本語では「緑色」ということになるわけだが、英語の "green" には(形容詞として)「緑の」「緑色の」といった意味の他に、「(植物などが)青々した」とか、「(青々とした植物のように〕若々しい」「元気な」とか、「(果実が)青い」「未熟の」、それが転じてということなのだろうが、「(青い果実のように人が)未熟な」「経験の浅い」「世間知らずの」といった意味がある。ついでながら("Echoes" の歌詞の中においてどこまで「ついで」か分からないが)、「(顔色が)青ざめた」「吐きそうな様子で」「体調が悪そうな様子で」といった意味もあるようだ。
また、上記より更に「ついで」ながら、交通信号の中の日本語でいうところの「青信号」は英語では "green", "green light", "green signal", "green traffic signal", "green traffic light" といった言い方になり、いずれにしても "green", つまり日本語に直訳すれば「緑」「緑信号」であって、これに関しては英語話者の色彩感覚は日本人一般のそれと異なる事になる。要するに、英語の "green" と日本語の「緑」、英語の "blue" と日本語の「青」は、その意味するところがぴったりイコールで一致するわけではない。
"And everything is green and submarine" については、上記のような微妙なニュアンスを気にしつつ、「そして 何もかもが青々とした緑色を成し 海の底に」という日本語のフレーズに置き換えることにした。
*5 stir(s)
"stir" と言えば、筆者の頭に最初に浮かぶのは他動詞で「(スプーンなどの器具で液体を)かき回す、かき混ぜる」、自動詞で「(スプーンなどで)かき回せる、かき混ぜられる」といった意味になる単語だが、"stir" (はこの歌の歌詞の該当箇所では自動詞) には自動詞として他に「(位置が)わずかに動く」「ずれる」「揺れる」、「(休息後に)目覚める」「活動する」、また(文語として)「(感情が)呼び覚まされる」「(感情が)湧き上がる」、(話語として)「(騒ぎなどが)起きる」「発生する」といった様々な意味がある。
"But something stirs and something tries" については上記を踏まえ、「しかし何かが目覚めて動き出し 何かが試みを始める」と訳すことにした。
*6 A million bright ambassadors of morning
"A million" はもちろん、日本語に直訳すれば「百万」。ただ、ここで表現したいことは、「数え切れないほど沢山の」といったニュアンスだろうと思う。些か冗談めくが、通貨価値からしても "A million" US dollars はかなりの大金だが、「百万」円となるとそれと比べた場合にはそこそこの大金(筆者にはそれもかなりの大金だが、笑)。
いずれにしても、この歌詞の上記フレーズの中での "A million" は、日本語に置き換えた場合は「何百万もの」とした方が相応しいと考え、"A million bright ambassadors of morning" は日本語で「眩い(まばゆい)ばかりに光り輝く何百万もの朝の大使」と表現することにした。