ギリシャ, アテネ part α' 〜 1983年7月11-14日(写真16枚)
1983年4月26日に横浜港を発って始めたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, 7月10日にはイタリア・ブリンディジからフェリーでギリシャ・パトラへ
1983年4月26日の日本「出国」からイタリア・ブリンディジまでは以下 note *1 にあり, 特に日本を発つ前辺りから日本を出てブリンディジに辿り着く前までの振り返りについてはその第3章以降。
先に 1983年7月10日の旅日記からちらりと。これはイタリアのブリンディジの港で ギリシャ の パトラ行きフェリーに乗船した辺りのメモ。
*1 イタリアからギリシャに渡った, 1983年7月10日 〜 この機会に 同年4月26日の日本「出国」以降を振り返り
*2 イタリアからギリシャへと地中海を渡るフェリーで聴いていた 〜 ダイアー・ストレイツとピンク・フロイド
*3 おまけ 〜 今の「凋落」日本が「飛ぶ鳥落とす勢い」日本に見えた時代の, 世界における日本の立ち位置を, 当時のロックのアルバム, ダイアー・ストレイツ "Love Over Gold" (1982), ピンク・フロイド "The Final Cut" (1983) で振り返る
さてさて, いよいよ ギリシャ・パトラに着いて, 目指すは アテネ。
パトラから 列車で アテネへ(1983年7月11日), 以降, アテネとサントリーニに 1ヶ月滞在
ギリシャ「入国」は 1983年7月11日。パトラ に着いて, その足で(って実際は列車だけど!)アテネ に向かった。アテネ 到着は同日夜。アテネ にはだいぶ長く居た。細かいことを書いておくと(いま数えたんだけど, 笑)最初は 16泊17日, そして途中, 7月28日から8月1日まで地中海の島 サントリーニ に 4泊5日滞在し(行き来は夜行, 当たり前だけどそれぞれ 1泊2日のフェリーの旅, アテネをいったん出たのは 7月27日), アテネ に戻ったのは 8月2日。その後, さらに 7泊8日滞在してから, 8月9日に アテネ を列車で発って, 中東の第一訪問国/滞在国トルコのイスタンブールへ(イスタンに着いたのは 8月11日)。
さてさて, 今日のところはとりあえず 1983年7月11-14日 に関して。写真は次章, 本章はその間の 旅日記より(個人情報等あるので全部は載せなくて抜粋)。
1) 本 note 冒頭に載せた旅日記メモ「海の青さは筆舌に尽くしがたい」(1983年7月10日)の続き, 翌7月11日は昼過ぎまで, まだフェリーに乗船中(メモは 7月13日になって書いたらしい)。「アントニオイノキ」(勿論, アントニオ猪木のこと, つまり猪木寛至さん!)って凄いね, 1983年当時, イタリア人の少年たちの間でも名前が知られていたってわけで。
ギリシャ側の パトラ(ペロポネソス半島北西部の港湾都市)に着き, そこから列車で アテネ を目指した。イタリア・ギリシャ間のフェリーからの 地中海の眺め, その見事なまでの青さも素晴らしかったけれど, さらにパトラ・アテネ間の列車の「車窓から見た海の青さは TV でよく見たとおり 信じがたいね, あれは」。よほど綺麗だったんだなぁ。とにかく感動した様子。
2) 7月12日, 最初の一晩(7月11日)だけ泊まった駅近くのホテルをチェックアウトし, あらためて シンタグマ広場近くで宿を探した。「(テープきく)」とあるのは, イタリア・ギリシャ間のフェリーの船上でも AIWA のカセットボーイ(SONNY で言えばウォークマン)で聴いていたもの。詳しくは本 note 冒頭にリンクを置いた過去 notes の中。
3) 上の頁下部やこの頁冒頭にある通りで, 「ギリシャ人は親切」という好印象を早々から受けたようで。
この頁の「思い出しメモ」によれば, パトラ・アテネ間の列車の車窓から見える風景に関しては, 海の青さだけでなく, 田舎の風景, 大人から子供まで列車に手を振るギリシャ人の様子など, のどかな風景が旅人の気持ちを和ませていたもよう(日記にある「パトラス」とは パトラ, Πάτρα のことで, 上にも書いたように, イタリア側のブリンディジからフェリー 1泊2日の船旅で着いたギリシャ側, ペロポネソス半島北西部にある港湾都市。英語では Patras と表記していて, パトラスとも呼ばれるらしい。当時の筆者の旅日記ではずっと「パトラス」と書いてある)。
アテネ のことも, 「田舎的小都会」と書いてる。しかし交通渋滞や車の騒音は酷かったようで。
この頁の後ろ半分弱は, 1983年7月13日。
4) アクロポリス, そしてパルテノン神殿は素晴らしかった。神殿の柱と柱の間から見える透き通った青空, 丘(アクロポリス)からのアテネの街の眺望も見事だった。
「タベルナ」とは「食べるな」ではありません。これはギリシャのレストランのこと(タヴェルナ, ταβέρνα; ギリシャ語で, 通常ギリシャ料理を提供するレストランの意, 特に小規模のものを言うらしい)。
5) この頁は途中から 1983年7月14日。同日, 在アテネ・日本大使館に行って, 田舎の親からの手紙を受け取ってる。
6)
この頁は冒頭だけだけど, この後, ブリンディジで会った日本人女性バックパッカー(AIWA カセットボーイやテープを貸してくれていた人)と再会, リカヴィトスの丘に登り, やや暗くなってから街に戻った。
「ギリシャ」なのか, 「ギリシア」なのか? 〜 因みに程度の話を
仮に彼ら自身の言葉(ギリシャ語, ギリシア語)に基づくのなら, 「ギリシャ」もしくは「ギリシア」は Ελλάδα になるようで, 発音は Elláda かな, となれば強いてカタカナ化するなら「エラダ」。
だから「ギリシャ」も「ギリシア」も要するに日本語の世界, 内輪の話ではあるんですね。ググって少し調べてみたけれど, このカタカタ言葉(たち)の語源はさておき, 大雑把に括るなら, 国名だと「ギリシャ」という表記が一般的で, 古典や神話, 文化, あるいは哲学とか言語とか学問系の話題になると「ギリシア」と表記する例が比較的多いようで, 半ば慣行化している側面もあるもよう(いちおう理由, 背景あってのことだけど)。
ただこの note の中では, とりあえず全部, 「ギリシャ」で統一しておきます。
アテネ 〜 シンタグマ広場, アクロポリスとパルテノン神殿, リカヴィトスの丘(写真16枚)
写真 1) シンタグマ広場。アテネの中心部にある広場で, 別名は「憲法広場」(そもそも「シンタグマ」がギリシャ語では「憲法」)。隣接して国会議事堂, 無名戦士の碑などがある。ここは市民にとっても観光客にとっても「溜まり場」。
旅日記を見ると, 7月11日の夜にアテネに着き, 駅近くのホテルへ, 7月12日はあらためてホテル探しをして シンタグマ広場 の近くにホテルを確保, 日記にも「シンタグマ」が複数回登場する。一方で 7月13日は アクロポリスの丘に行って パルテノン神殿の見物をした日。日記の上ではその日は夜になってようやく「シンタグマ」の5文字が見られる。この写真は明らかに昼間だから, さてこれって本当に 7月13日だったのか, それとも日付表示の手動操作ミスとかしていて, 本当は 7月12日なのか。でもまぁホテルが シンタグマ広場 の近くだったわけだから, やっぱ 7月13日にパルテノンを観に行く時とかに, その時の気分で撮ったんだろうなと推測。
写真 2)
写真 3) アテナイのアクロポリス。アクロポリス はギリシャ語の意味は「高いところ」, 古代ギリシャのポリス(もともと都市, 都市国家, 市民権, 市民による政体を意味するギリシャ語であるようで, ここで言うポリスは古代アテナイなど, 古代ギリシャの「都市国家」)のシンボルとなった小高い丘で, 大抵の場合, その丘の上には神殿や砦が築かれていた。アクロポリス はギリシャに多数あるけれど, アテナイのアクロポリス は, 「アクロポリス」と言えばこれを指すくらいに世界的に有名なもの。
パルテノン は, 古代ギリシャ時代の古代アテナイ(アテネの古名だから古代に決まってるんだけど!), その アクロポリス の上に建てられた, ギリシャ神話の女神アテーナー(アテナイの守護神, そもそもアテナイの名の由来はこの「アテーナー」であるようで!)を祀るための神殿。着工は紀元前447年, 竣工は紀元前438年。その後も装飾などが紀元前431年まで続けられたとのこと。神殿は古代ギリシャ, 民主政アテナイの象徴として, 世界史上重要な文化遺産と見做されている(もちろん「世界遺産」)。
要するにここって「民主主義」が生まれた場所のシンボルとも言えるようなところで, 民主主義にとって, 遥か昔の時代にあった故郷みたいなところか(まぁ当時は奴隷制度がまだあったりとか, 当然ながら近代の民主主義と様相は異なるけれど)。
前章でも書いた通り, アクロポリス, そして丘の上の パルテノン神殿, 共に素晴らしかった。パルテノン の柱と柱の間から見える透き通った青空は, 何というか悠久の歴史を遡って古代ギリシャに流れていた時間につながっていくような感じ。1983年7月13日, ここで, この空の下で古代ギリシャ, 古代アテナイの人々は .. なんて想像していたような気がする。丘からの「現代の」アテネの街の眺望も見事だった。
写真 4)
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写真 7)
写真 8)
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写真 10)
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写真 14) 1983年7月14日, リカヴィトスの丘に登った。海抜277メートルだからそれほど高いわけではないが, アテネの市街地では最も標高が高い(因みにアクロポリスの方は海抜150メートル)。当然, こちらも見晴らしが良い。
写真 15)
写真 16)
さてさて, 今日も何か 音楽 を ♫
なぜなら,
ギリシャ神話の女神 Persephone 〜 "Persephone" by Wishbone Ash
何かギリシャに少しでも絡む曲を, というわけで, ギリシャ神話に登場する神の一人(女神)"Persephone" が歌のタイトルになっている, この曲。
"Persephone" はイギリスのロックバンド, ウィッシュボーン・アッシュ の 1974年の曲。同年11月にリリースされた彼らの 5枚目のアルバム "There's the Rub" に収められた曲だった。"Rub" は自動詞で「すれる」「すり減る」, 他動詞で「.. をこする」「磨く」といった意味があるけれど, 名詞となると「摩擦」とか「困難」「障害」とかになる。
で, "That's the rub" や "There's the rub" は, 「難しい」「それが難しいところだ」「困難がある」「障害があるね」といった意味合いになる。しかしこのアルバムの邦題はかなりの意訳, というか少なくとも字面だけ見れば飛躍かな, なんと「永遠の不安」。しかしそもそもこの曲 "Persephone" の邦題が「永遠の不安」になっていて(「ペルセポネー」でよかったと思うんだけど!), どうやらそれをそのままアルバムの邦題にしてしまったのではという(うーむ.. )。原題で言えばこの曲のタイトル "Persephone" はアルバムのタイトルとは明らかに違うものなのに, 邦題ではタイトル・トラックになってしまう, なんだか妙な具合の邦題マジック。
いま何気にこの曲が収録されたアルバム "There's the Rub" の英語版 Wikipedia を見たら,
The title is taken from Shakespeare's Hamlet; "To sleep—perchance to dream: ay, there's the rub."[citation needed]
[citation needed] と付されているものの, なんとシェイクスピアの「ハムレット」だと。ググると, 例のあれから始まる箇所ですね。
To be, or not to be: that is the question:
Whether ’tis nobler in the mind to suffer
The slings and arrows of outrageous fortune,
Or to take arms against a sea of troubles,
And by opposing end them? To die: to sleep;
No more; and by a sleep to say we end
The heart-ache and the thousand natural shocks
That flesh is heir to, ’tis a consummation
Devoutly to be wish’d. To die, to sleep;
To sleep: perchance to dream: ay, there’s the rub;
なんだ, シェイクスピアに話が移ってしまったじゃないか。ギリシャ神話に戻そう!(笑)
ギリシャ神話の女神 Persephone, Wikipedia やウィキペディアで引くと,
In Greek mythology, Persephone (/pərˈsɛfəniː/ pər-SEF-ə-nee; Greek: Περσεφόνη, romanized: Persephónē), also called Kore or Kora (/ˈkɔːriː/ KOR-ee; Greek: Κόρη, romanized: Kórē, lit. 'the maiden'), is the daughter of Zeus and Demeter.
Persephone, ペルセポネー はギリシャ神話に登場する女神ということなわけだけど, 英語版 Wikipedia にもローマ神話への「伝承」的なことについての言及がある通りで, 日本語版ウィキペディアによれば, 「ペルセポネー(古希: ΠΕΡΣΕΦΟΝΗ, Περσεφόνη, Persephonē)は、ギリシア神話に登場する生と死との間を廻る大地の女神で冥界の女王である」「ローマ神話ではプロセルピナと呼ばれ、春をもたらす農耕の女神となっている」ということだそうで(注:ウィキペディアは「ギリシャ」と「ギリシア」を使い分けている)。
何はともあれ ♫
Persephone 〜 from Wishbone Ash's fifth studio album "There's the Rub", released in November 1974
There's a light that shines on Persephone
Always a fire in her eyes
And the last time that I went to her
I could tell things weren't right
I just don't care to see your years go wasting
There's no longer magic in your eyes
In your time, you could outshine everybody else around
But your off-stage ways might be a bore -
You take a bow, you take a fall
I just don't care to see your years go wasting
There's no longer magic in your eyes
I came to be here in the footlights
To live with you through every song
And your face displays a peaceful field
I can't believe the curtain has to fall
Now I know your years were never wasted
Tonight I saw the magic in your eyes