インドでは市井の人に「哲人」顔の人がいたりする 〜 デリー 1983年12月12日から25日
1983年4月26日に横浜港からのフェリーで当時のソ連を目指し日本を発ってから 7ヶ月半, インドでの 3箇所目の滞在地デリーには 2週間ほどいたことになるけれど, 38年前の「明日」, 1983年12月23日には デリーから日帰りの旅で タージ・マハル で有名な アグラ(アーグラ)にも行っている。タージ・マハル については, 明日(気分次第で明後日かも)別途 note 投稿するつもり。
1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロからイスタンに飛んだ後は2度目のトルコを東へ東へ 〜 そのまま陸路イラン入国, さらにパキスタンを旅し, そして インド に入って, アムリトサル と ダラムサラ に滞在
長ぇ見出しだなぁw .. インドに入る前までの道のり, 各国各都市・街・遺跡などの旅 note へのリンクに関しては, 以下 note *1 アムリトサル 旅 note 第1章に。
note *1 インド入国, まずは シク教「黄金寺院」の街 アムリトサル へ 〜 1983年11月29日-12月3日
note *2 ダラムサラ(インド北部) 〜 チベット難民が住む標高2,000m超の山中で暮らした, 1983年12月の10日間
「哲人」顔のクルター・パージャーマー仕立て職人と出会ったデリー
本当はそれだけじゃないんだけど, 近頃, つまりあの「哲人」顔のおじさん(お爺さん)と出会ってから 38年後の2021年の自分の「師走」が何だか色々と俗世間事で忙しいので, 今日のところは デリーで撮った写真たったの 6枚を掲載するだけにしてしまうのだった(しかもウィキペディア多用という横着ぶり!)。
そうだ, 自分にとっては極めて大事なことがあって, ここでは詳細を書かないけれど, アテネで出会い, イスタンブールの宿で同宿し, エルサレムでも同じ宿になった 3歳年上の日本人バックパッカーと此処デリーで再会, しかしその人はそのとき肝炎に罹って現地の病院に入院中だった。それで, 見舞いに行ったり, (回復を待って旅を続けるよりも帰国して日本で療養に専念した方がよいと思われたので)帰国の為の航空券の手配をしたりした。その人とは 1984年2月の自分の帰国後, 今に至るまでずっと友人としてお付き合いさせていただいており(人生の先輩なので「友人」と呼ぶのは些かおこがましいけれど), その後の自分の人生において困難な時期に助けていただいたりもした。したがって, インドでその人と再会したことは個人的に兎にも角にも大きな意味を持つことになった。
が, その自分自身の重大事については 本 note ではここまで, 以下からはデリーで撮った写真掲載コーナーなり。
写真 1 クトゥブ・ミナール。インド最古のミナレット(イスラームのモスクなど宗教施設に設置された塔)。1983年12月16日撮影。
1200年ごろに奴隷王朝の建国者であるクトゥブッディーン・アイバクによって、クワットゥル・イスラーム・モスク(クトゥブ・モスクともいう)に付属して建てられた。ヒンドゥー様式とイスラーム様式が混在した様式となっている。おそらくヒンドゥー教・ジャイナ教の寺院などを破壊し、その石材を転用して制作されたものであり、建築に携わった職人もヒンドゥー教徒であったと推測されている。
奴隷王朝またはマムルーク・スルターン朝は、北インドを支配したデリー・スルターン朝最初のテュルク系イスラム王朝(1206年 - 1290年)。首都はデリー。
クトゥブッディーン・アイバク、シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ、ギヤースッディーン・バルバンという3人の君主(スルターン)の子孫たちが相次いで支配した。いずれもマムルークの出身であり、これを英語では Slave Dynasty と訳し、さらに日本語において奴隷王朝と訳した。
ただし、マムルークを奴隷とするのは適切な訳ではない。マムルークは奴隷ではなく解放奴隷である。イスラーム世界では奴隷を解放する事は善行とされて盛んに行われ、解放された奴隷は元主人の忠実な家来となったため、逆説的に忠実な家来を得るために奴隷を買い求める事が行われた。マムルークもそのひとつであり、騎馬民族がむしろ栄達のために子弟を奴隷商人に売り渡した経歴を持つ。そのため一般的な奴隷とは全く異なる存在である。
奴隷王朝という語では誤解を招くおそれもあるので、同じくマムルーク出身者がエジプト・シリアに立てた王朝がマムルーク朝と呼ばれているのにならって「インドのマムルーク朝 (Mamluk Dynasty of India)」という呼び方も行われている。
まぁとはいえ, 初期のイスラーム世界に奴隷が存在したことは確か。なんたって, 聖典クルアーンや預言者ムハンマド(彼自身も奴隷を所有していた)の言行録であるハディースにだって, 奴隷の「扱い」に関する決まり事が記載されている。
再び「まぁとはいえ」, ヒンドゥー社会にはご存知の通り, 悠久の歴史を持つ差別制度「カースト制」が厳に存在する。法律で禁止してもなお, それは厳に存在する。何百年もの昔, そんなインドにおいて, 「奴隷」の存在はさておき(さておいてほしくないのだが!)神の前の平等を謳うイスラームが多くの人々に受け入れられたのも事実。
そんな話はさておき, 写真!
写真 2 インド門 の前で撮った写真。1983年12月16日撮影。撮ったのが拙者なので, 写っている日本人らしき人は拙者ではない。同じ宿だった人かもしれぬ。旅日記を捲れば分かるかもだけど, 今日は兎に角ただ掲載。顔ははっきり写ってないので問題ないのであ〜る。
インド門 (India Gate, 原名は全インド戦争記念碑 (All India War Memorial)) はインドのデリーにある慰霊碑。ニューデリーの「儀式の軸」の東端にあるラジパース(以前はキングスウェイと呼ばれた)に沿って建つ戦争記念碑である。1914年から1921年の間に第一次世界大戦、フランス、フランドル、メソポタミア、ペルシャ、東アフリカ、ガリポリなど近・極東、第三次アングロ・アフガン戦争で戦死したイギリス領インド陸軍の兵士7万人の記念碑として建てられた。門にはイギリスの兵士や将校を含む13,300人の軍人の名前が刻まれている。エドウィン・ラッチェンスが設計したこの門は、ローマのコンスタンティヌスの凱旋門などの凱旋門の建築様式を思わせ、パリのエトワール凱旋門やムンバイのインド門に例えられることが多い。
写真 3 1983年12月17日, デリーのメインバザール内の仕立て屋で, クルター(上着)とパージャーマー(ズボン, 元はペルシア語でパジャマの語源)というインド男性の伝統的衣装の上下を注文した。仕立て職人のおじさん(お爺さんと呼ぶべきか)は白い髭をたくわえた, そして実にいい顔をした, なんというか今にもインド哲学の真髄とか語り出しそうな表情の人だった。写真は, 4日後の 12月21日 に, 出来上がった自分のクルターとパージャーマーを受け取りに行った時に撮らせてもらった, いやいや撮らせていただいた, その「哲人」職人の写真。
さて, 「哲人」「哲学」と聞いて真っ先に拙者が思い浮かべるのは フリードリヒ・ニーチェ。で, ニーチェ の「ツァラトゥストラ(は)かく語りき」(「ツァラトゥストラはこう語った」)にインスパイアされて リヒャルト・シュトラウス が作曲した同名の交響詩が使われた映画が, スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」(2001: A Space Odyssey, 1968年)。なんとこれが, ちょっとだけ上記の「哲人」クルター・パージャーマー仕立て職人と関係あるのだった。パジャマの語源となったパージャーマーは元はペルシア語で, ニーチェ の「ツァラトゥストラ」は, 古代ペルシア発祥の宗教であるゾロアスター教の開祖ザラスシュトラ(ゾロアスター)をドイツ語読みしたもの(ニーチェの「ツァラトゥストラ」の思想自体はザラスシュトラの思想とほとんど関係ないんだけど, 名前は借りていたのだった)。というわけで, どうだ, この微妙な関係!(笑)
え〜い, ついでにこれも!
さてさて, 話が坂上二郎「飛びます, 飛びます」してしまった(すまん, 「昭和」の人にしか分からない)けれど, 残る写真は 3枚。
写真 4, 5, 6 以下の 3枚は, 確か オールドデリー をぶらり散歩した時に撮った写真だったかと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/デリー#オールドデリー
全て, 1983年12月21日撮影。
さてさて,
38年前の「明日」, 1983年12月23日に行ったアグラ(アーグラ)の タージ・マハル については, 明日 2021年12月23日にあらためて note 投稿する ... かどうかは, 「小沢昭一の明日のこころ」だぁ。まぁ古いけどね, しかし何しろ 1983年ってまだ「昭和」58年だったんだから。それはともかく,
今日も note の最後は音楽で。
The Spirit of India 〜 Ravi Shankar ♫
The Spirit of India 〜 Ravi Shankar (April 7, 1920 – December 11, 2012)
Alap 00:00
Jor 13:40
Gat I (Tala: Jhap-tal) 26:21
Gat II (Tala: Ek-tal) 43:31
Raga Hameer 50:13
Musicians :
Sitar -- Ravi Shankar
Tabla -- Alla Rakha
Tambura [Tanpura] -- Mrs. Jiban, Mrs. Widya