フランス, パリ 〜 10日目, 1983年6月12日, BGM は Mussorgsky, ELP, 加藤和彦, Date Of Birth, Avalon Jazz Band & Ella Fitzgerald ♫
1983年4月26日に日本を発って, ユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, 48日目 〜 ここまでを振り返る
パリ10日目は, パリを発った日でもある。その日の夜行列車でパリを発ち, 翌1983年6月13日朝, スイス・ジュネーヴに着。
1983年4月26日に日本を発ってからに関しては, 昨日2021年6月11日の別名(いま決めた, 笑) "フランス・パリ 1983年6月11日 note" でも振り返ったので, これの第1章「1983年4月26日に日本を発って, パリには 6月3日から滞在 〜 6月10日までを振り返る」と第2章以降を合わせれば, オッケー 👍
1983年6月12日付の旅日記は..
前章にリンクを置いた "フランス・パリ 1983年6月11日 note" の第3章「パリでカンボジア人移民(難民)と話した, 1983年6月11日 〜 その会話記録, そして フランス雑感, パリ雑感」の最後に, こんなことを書いていたけれど,
.. パリ を発った日, その 1983年6月12日の旅日記は, もっともっと小さい字, 細かい筆致でたっぷり 9ページ分, 当時22歳9ヶ月だった自分のフランス雑感・パリ雑感がぎっしりと書いてある。先日, 38年ぶりにそれを読んで, 我ながら驚いた。
これはほんと, 驚きだった。読むと, 「チュイルリー公園でこれ書いてる」とあって, 公園の芝生に座って書いていたようだ(当日撮った同公園の写真は次章)。
少し迷ったが, 今日の note では載せないでおくことにした。何というか妙な言い方だが, いつものようにただ日記を写真に撮って載せて多少の注釈を加えるかどうかという感じでは, 勿体ない感じがした。どうせなら日記の写真だけでなく, 併せて日記に書いてある自分の文章をそのままタイプ打ちするなり, その上でそれとは別途, いま振り返って考えることや今の考え(どのくらい今も同じで, あるいは更に何か加えることがあるかどうか等)なども書いてみたい気がした。
これまでしばしば写真を撮って note に載せてきている当時の旅日記は, 一昨年, 2019年10月19日に切っ掛けがあって(そのとき見ていた, 1983年秋に 3週間ほど旅したパレスチナ/イスラエルで撮った写真の中に, その写真がハイファなのかテルアヴィヴなのか, あるいはガザなのか写真だけでは自信を持って判別できないものがあったため ... カッコが長くなるが, 現在の状況ではほぼ起き得ないことだが, テルアヴィヴにいた時にガザからそこにやってきたパレスチナ人家族を撮った写真だった), その日, 我が家の押し入れから引っ張り出してきた段ボール箱に入れあったもので, その時に旅日記の一部を 30数年ぶりに捲ってみて, その時も驚いたものだった。日や旅先(滞在した場所)によって違いはあるが, 思っていた以上に様々なことを, しかも詳細に書いていた。
とにかく, 我ながら驚いた。自分が見たもの, 聞いたこと, 旅先で会った人たち(現地の人々, そして知り合った旅人たち)のことや彼らと話した内容, そして自分の頭で日々考えたこと, 実に様々なことを詳しく書いている。自分で想像していた以上に詳しく, 当時の自分の行動や見聞を, 毎日毎日, 日記に記録していた。
これらの日記によって, ソ連から韓国に至るまで, 1983年から1984年にかけての, その「時代」の世界が見えてきたりする(ほんの一例だがパレスチナのガザ地区が今のようにイスラエルによって封鎖されていなかった, しかし今現在も国連安保理決議違反のイスラエルによる占領が続く東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区と同様, イスラエルの軍事占領下にあったこと, などなど)。
これは歴史の記録だ。いつか, 誰か, 出版させてくれ(笑)。
以下は, 1983年から1984年にかけてのユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行の旅先で入手したり実際に使ったりした地図類, 旅先で受け取った手紙などと共に, 何冊もの旅日記が入っていた段ボール箱。押し入れから引っ張り出した 2019年10月19日当日に, 引っ張り出し記念で撮った写真 2枚。
地図類とか手紙とか, そして, 横浜港を出て当時のソ連のナホトカに向かうフェリーの中, そしてソ連ナホトカ, ハバロフスク, ハバロフスクからはシベリア鉄道でモスクワまで(3泊4日の列車旅でイルクーツク下車1泊, 更に列車旅4泊5日)のソ連, それからフィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, 当時の西ドイツ, そして当時まだアメリカ合州国・イギリス・フランスの占領下だった「ベルリンの壁」時代の西ベルリン, そして東ドイツの東ベルリン, フランス, スイス, 再びの西ドイツ, そしてユーゴスラヴィア(今はなき, 既に解体されている, 当時は健在だったチトー統治下の「社会主義連邦共和国」, 滞在したのは当時の「ユーゴ」の首都, 現在はセルビア共和国の首都ベオグラード), オーストリア, イタリア, ギリシャ, トルコ, シリア, ヨルダン, パレスチナとイスラエル, エジプト, 再びトルコ, イラン, パキスタン, インド, タイ, 韓国, そして帰国後の広島などで, 毎日(疲れて書けなかった日の分は後日になってでも)書きためた, 何冊もの旅日記。
真上から撮ってしまったので薄そうに見えるが, 実はこれが, 捲っていくと結構なボリューム。書いてある文字数は, 地球上に棲息する蟻の数に匹敵する(笑)。
いつか, これをもとに何か出版しようかなと思ってる。紙にせよ, ネット上にせよ。ソ連やら西ドイツやら東ドイツやらユーゴスラヴィア「社会主義連邦共和国」やら, 今はなき国々が登場したり, パレスチナには変わらぬイスラエルによる占領があったり(変わってほしいが!), この間に随分と経済「大国」になったインド, しかしあの頃から今も変わらぬ諸々が厳然とあることが分かったり。売れるかな。まぁ売れなくてもいいけど(笑), けっこう面白いとは思う。
さてさて。
パリ, 10日目(1983年6月12日) 〜 チュイルリー公園, BGM は 〜 ムソルグスキー「展覧会の絵」より「チュイルリーの庭」, そして "The Sage" from "Pictures at an Exhibition" by Emerson, Lake & Palmer♫
前章で触れた当日の日記によると, パリ滞在最後の日は, 何度目かのルーヴル美術館に立ち寄ったり, そしてルーヴルからチュイルリー公園にかけてぶらついたり, さらにチュイルリー公園の中をぶらついたり, 例によってというか何というか, セーヌ川沿いを散歩したり, 夜はモンマルトル方面に向かってみたり, などなど, そんなふうにして過ごしたようだ。しかし撮った写真は 4枚だけ。うち3枚はチュイルリー公園にて。件の旅日記には, 「チュイルリー公園でこれ書いてる」と書かれてる。
1) チュイルリー公園。日本語では「チュイルリー公園」とも「チュイルリー庭園」とも言われる。フランス語では Jardin des Tuileries, 英語では Tuileries Garden だけど, 実際, ネットを漁っても日本語の世界では「公園」と呼んでるサイトと「庭園」と読んでるサイトが混在。以下は Wikipedie 英語版。
昨日の note で, 前日の 1983年6月11日に リュクサンブール公園 に行ったことを書いてるけれど,
リュクサンブール公園はフランス語が Jardin du Luxembourg, 英語だと Luxembourg Garden, こちらも日本語では「リュクサンブール公園」と「リュクサンブール庭園」という二通りの言い方があるようで, 確かにフランス語の Jardin, 英語の Garden, 共にもともと和訳の仕方は文脈次第で微妙に変わるからなぁ。
さて, チュイルリー公園の方は, フランス観光開発機構ウェブサイト上の説明, 冒頭の一文を借りると,
西はシャンゼリゼ大通り、東はルーヴル美術館まで広範囲に広がるチュイルリー公園はパリ市内にある最古の庭園です。
ここにはその昔, 宮殿があったとさ。今はない。再建計画が一応あるが, 「現在のパリの景観を崩してしまうという反対意見もあり、計画は棚上げ状態である。」
なんて話はこのくらいで, ようやく, 以下,
1983年6月12日, パリのチュイルリー公園 で撮った, たった 3枚の写真(1枚目の下に BGM, ムソグルスキーの組曲「展覧会の絵」から「チュイルリー公園」)。
1)
19世紀のロシアの作曲家 Modest Mussorgsky による組曲 "Pictures at an Exhibition"「展覧会の絵」(あの Emerson, Lake & Palmer によるライヴも有名だなぁ, ってかガキの頃から何度聴いたことか ♫)の中に チュイルリー公園(チュイルリー庭園, チュイルリーは「テュイルリー」とも表記)を描いた絵を題材にした曲があって, タイトルは "Tuileries - Dispute d'enfants après jeux", 英語では "Tuileries (Children's Quarrel after Games)", 日本語では「テュイルリー(チュイルリー)の庭 - 遊びの後の子供たちの口喧嘩」などと訳されている模様。
英語版 Wikipedia には, "Hartmann's picture of the Jardin des Tuileries near the Louvre in Paris (France) is now lost." との記述があって(Hartmann とは Viktor Hartmann, 作曲者 Mussorgsky の友人で建築家兼画家), チュイルリー公園 を描いたその絵画そのものは, 今はもうないらしい。
Tuileries - Dispute d'enfants après jeux ♫
というわけで, 短い曲でした。短かったから, Bonus track を ♫
こちらは, Emerson, Lake & Palmer's rendition of Modest Mussorgsky's "Pictures at an Exhibition", あのライヴ・アルバムに収められた "The Sage", ただしこの曲は Greg Lake が Mussorgsky の原作組曲にある Bydło (Cattle) のコード進行を取り入れて作曲した, ELP のオリジナル曲。
*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。
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ELP の, ってか Greg Lake の "The Sage", 何度聴いても素晴らしい。沁みる ♫
さてさて, いくら勿体ぶっても, 写真はちょっとしか撮ってない。しかもセピア色, おまけにあの日の チュイルリー公園 の芝生, わりとハゲてたかな(笑)。
とはいえ, パリっ子, パリっ娘, パリジェンヌ, パリジャン, 移民, 外国人観光客, 皆がゆっくり時間を過ごせる, 憩いの場所ではありました。
2) 本章の冒頭にも書いた通りで, 前章で触れた当日の旅日記は, この チュイルリー公園 の芝生に座って書いていた。写真に写ってるのは筆者じゃなくて, たまたま其処に座っていたパリジェンヌたち(と思われる, 笑)。
3)
パリ, 10日目(1983年6月12日), その 2 〜 セーヌ河畔の写真屋さん, ポスター屋さん, 絵画屋さん, 本屋さん..
前章の冒頭に書いたことの繰り返しだけど, 前々章で触れた当日の日記によると, パリ滞在最後の日は, 何度目かのルーヴル美術館に立ち寄ったり, そしてルーヴルからチュイルリー公園にかけてぶらついたり, さらにチュイルリー公園の中をぶらついたり, 例によってというか何というか, セーヌ川沿いを散歩したり, 夜はモンマルトル方面に向かってみたり, などなど, そんなふうにして過ごしたようだ。しかし撮った写真は 4枚だけ, うち3枚はチュイルリー公園でのもの(前章), 残る 1枚はセーヌ河畔で写真やポスター, 絵などを売っていた店の写真。
1枚だけでは何となく寂しいので, この下に, 別の日に撮ったセーヌ河畔の他の露店の写真も掲載, 計 3枚。
他の日に撮った2枚のうち, 1枚はこの2日前, 1983年6月10日に撮った, セーヌ河畔の本屋さん。本だけでなく, 絵とかポスターとかも売ってた。
もう 1枚は, 5年近く後に撮った写真。カミさんとの新婚旅行(短い間だったけれどパリに滞在してヴェルサイユにも行き, パリの他にはオンフルールにも滞在した)で行ったパリで,
1988年3月19日に撮ったもの。ルーヴル美術館の中の超A級アートを堪能した後, やはりセーヌ河畔(ルーヴルの近く)で撮った。ここではポスターや絵画が売られていた(パリジャンの老紳士の向こうで売られていたのは本だったような)。
ってなわけで, 上のセーヌ河畔 3枚の写真は, 一昨日, 2021年6月10日に投稿した, "1983年6月10日パリ note" にも載せていたのだった。
パリはもう誰も愛さない 〜 加藤和彦 ♫
この写真の人はもちろん加藤和彦ではないけれど, 安井かずみでもなく(見りゃ分かるよね, 笑), 麗しのパリジェンヌ, つまりパリ出身のフランス人女優, ドミニク・サンダ。1960年911生まれの拙者=この note の筆者が小学校高学年から中学, 高校ぐらいにかけての頃, 好きな女優と言えば, この人か, イタリアのクラウディア・カルディナーレか, あるいはアメリカ合州国のキャサリン・ロスだった。3人それぞれ, 全然タイプ違うやんか(笑)。誰にも訊かれてないけど(再笑), 今, というか学生時代以降の一番好きな女優は, 当時はその3人の中に含まれていなかったアメリカ人女優, ダイアン・キートン。
さてさて, この歌の, この雰囲気には, ドミニク・サンダが似合うのだ。
「パリはもう誰も愛さない」(作曲・編曲 加藤和彦, 作詞 安井かずみ) 〜 加藤和彦, 「うたかたのオペラ」(1980年9月25日リリース)
*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた歌詞・全編を削除し, 歌詞の一部のみの掲載 に改めました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。
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見慣れた陽射しが..
頬にかかる髪
煙るような瞳..
She's staying in Paris
She's staying in Paris
あなたはパリに一人残る..
She's staying in Paris
She's staying in Paris
パリはもう誰も愛さない
パリはもう歌わない
パリはもう誰も愛さない..
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パリはもう誰も愛さない
Paris, Yesterday
composed and arranged by 加藤和彦 KATO Kazuhiko
lyric 叙情詩 by 安井かずみ YASUI Kazumi
from 1980 album うたかたのオペラ - L`OPÉRA FRAGILE
voice+guitar / KATO Kazuhiko 加藤和彦
guitar / OMURA Kenji 大村 憲司
moog / HOSONO Haruomi 細野晴臣
drums / TAKAHASHI Yukihiro 高橋幸宏
piano / YANO Akiko 矢野顕子
strings / Gunter Melde
メモリーズ 〜 加藤和彦 ♫
「メモリーズ」(作曲・編曲 加藤和彦, 作詞 安井かずみ) 〜 加藤和彦, 「パパ・ヘミングウェイ」(1979年10月25日リリース)
*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた歌詞・全編を削除し, 歌詞の一部のみの掲載 に改めました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。
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水平線に 燃えながら沈む 太陽が
今日を過去にする..
...
Cafe de Paris
5月のオペラ通りは
ああ あの頃は光に満ち
Everything was happy in my life..
刺激的だったフランス, パリ 〜 "退屈なフランス旅行" by Date Of Birth ♫
1983年6月, その年4月から翌1984年2月にかけてのバックパッカー海外「放浪」もどき一人旅の中でのフランス旅行(パリ, ヴェルサイユ)は「刺激的なフランス旅行」だったし, 1988年3月のカミさんとの新婚旅行のフランス旅行(パリ, ヴェルサイユ, オンフルール)は「愉快なフランス旅行」だったけれど,
この歌のタイトルは「退屈なフランス旅行」, 1997年7月25日にリリースされた Date Of Birth のアルバム "Folk Songs" の収録曲。
以下のヴィデオは, 今から 5年ほど前, 2016年8月5日に, 我が家の居間の CDコンポでこの曲をかけながら撮ったもの。途中, ボブ・ディランの 2016年4月渋谷オーチャードホールでのライヴの時に買ったポスターとか, ディランのDVDなどが映るが, それはご愛敬。つまり, 撮影者=筆者にとっては「ちょっとした難点」。同年秋にディランの恥知らずのイスラエル支持ソングを知って以来, ディランの歌は他のミュージシャンによるカヴァーしか聴かない。もっとも, 元々ディランのミュージシャンシップを格別に気に入ったことはなく, もちろんディラン・フリークであった時など一度もなかったオレだけど(*1, 2, 3, 4)。
ディラン話は, 今日の本題では, 全くない。ヴィデオに映ってるのでやむを得ん!
ではでは ,
「退屈なフランス旅行」 〜 Date Of Birth (words : SUSUMU, music : ISAO)
*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた歌詞・全編を削除し, 歌詞の一部のみの掲載 に改めました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。
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フランスへのグルメ旅行の
車の音も聞こえない
ひっそりとロマンチックなお城で
私の頭は想像力ゼロ
...
死者を弔うために全てのヒューズを切って
ロウソクに灯をつけた..
...
ルノワール・タッチの肖像画の前で
陰々滅々な呪文を唱えた
...
螺旋階段を通って地下室へ続く
風の流れを教えた..
...
あなたがこれは力作だと言った
サガンの小説をもう一度読んでたら..
さてさて,
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さてさて, しょうがない,
本章の最後, 注釈は サガン じゃなくて, ディラン。本章の冒頭, 曲をかける前, 5年前の夏に撮ったヴィデオを再生する前に, 触れざるを得なかった, ボブ・ディラン。
ディラン の話は今日の本題では全くない, と書いておきながらの注釈 note 4点。
1) ボブ・ディランの不都合な真実 ー 1982年イスラエルのレバノン侵略とパレスチナ難民虐殺事件の直後に書かれた, ボブ・ディランのイスラエル支持ソング
2) ボブ・ディランの不都合な真実(2)ー または 私が 37年余り購読し続けた「朝日新聞」の購読を止めた理由
3) ボブ・ディランの恥ずべきイスラエル支持ソングと、サブラ・シャティーラ、パレスチナ難民虐殺事件 38周年(2020年9月17日 note 投稿)
4) おまけ, ってか Bonus track ♫ All Along the Watchtower ー OF COURSE, by Jimi Hendrix 〜 歌詞和訳, 拙者による拙訳ならぬ良薬(口に苦し)ならぬ良訳つき!
パリはほんと, 刺激的で魅力的な街だった ... 住むと疲れそうな気もするけれど, でもきっと, 「住めば都」の「花の都」(笑)
結局, 9ページ分, 小さな字でぎっしり書いてある 1983年6月12日付の旅日記の写真は, 今日のこの note に載せなかったけれど, その日の日記の最後の方に, こんなことが書いてある。
今夜で「芸術と虚飾の街」パリにサヨナラだ。
何というか, 若気の至り的な気張った感じの書き方でちょっと笑えるけれど, 最後の最後にまた, こう書いてる。
パリはおもしろいところだと思う。きれいで きたなくて エキサイティングで。でもオレは 身も心も 最後まで適応できず, 本気で好きにはなれなかった。もっと時間が必要だったのかもしれないが。
その日, 1983年6月12日, 深夜といっていいくらいの時間になっていたが, パリのリヨン駅を夜11時59分(日記のメモだと 54分にも見える, 細かいなぁ)発の夜行列車で発ち, 10日間滞在したパリを去って, スイス・ジュネーヴに向かった。
当時 「本気で好きにはなれなかった」 パリへ 〜 "I Love Paris" by Avalon Jazz Band ♫
「本気で好きにはなれなかった」とは, Avalon Jazz Band のヴォーカリスト, Tatiana Eva-Marie の言葉ではなくて, この note の筆者=拙者がフランス・パリを夜行列車で発ってスイス・ジュネーヴに向かう日, 1983年6月12日にその日の旅日記に書いた言葉であります(前章に書いた通り, 笑)。でもまぁ, 5年ほど後に新婚旅行でまたパリに行ったくらいだから, けっこう好きだった, もしくはその後, 気持ちの何処かに変化が起きて, だいぶ好きになっていたのかもしれない。
https://en.wikipedia.org/wiki/Tatiana_Eva-Marie から引いておくと,
Tatiana Eva-Marie is a Swiss-born vocalist based in Brooklyn who sings 1930s-style swing and gypsy jazz. She moved from Paris to New York City in 2011, and formed the Avalon Jazz Band in 2014 with violinist Adrien Chevalier. Her singing has been compared to the jazz vocalists Cyrille Aimée and Cécile McLorin Salvant. Her band opened for vocalist and pianist Norah Jones. She is the daughter of musicians Louis Crelier and Anca Maria, and she grew up in France and Switzerland.
Eva-Marie was a finalist on the first season of the television show Music Explorer (fr, France), a musical competition show in France, in 2014.
I Love Paris (Cole Porter) 〜 Avalon Jazz Band
*この歌の歌詞の掲載に関しては, JASRAC より筆者に対し「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨の指摘は為されていない。ただ, 有名な歌である。指摘漏れかもしれない。二度手間はしたくないし, また筆者として拘りを感じるほどの内容の歌詞でもないので, 大事をとって, 本 note 投稿当初よりここに掲載していたこの歌の歌詞を削除することにした。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものをご確認あれ(2022.9.1 加筆/削除/編集)。
当時 「本気で好きにはなれなかった」 パリへ 〜 "I Love Paris" by Ella Fitzgerald ♫
「本気で好きにはなれなかった」とは, アメリカ合州国のジャズ・シンガー Ella Fitzgerald の言葉ではなくて, この note の筆者=拙者がフランス・パリを夜行列車で発ってスイス・ジュネーヴに向かう日, 1983年6月12日にその日の旅日記に書いた言葉であります(前々章に書いた通り)。でもまぁ, 5年ほど後に新婚旅行でまたパリに行ったくらいだから, けっこう好きだった, もしくはその後, 気持ちの何処かに変化が起きて, だいぶ好きになっていたのかもしれない(前の章でも同じこと書いてるやんか, 笑)。
I Love Paris (Cole Porter) 〜 Ella Fitzgerald
*上にも書いた通りで, この歌の歌詞の掲載に関しては, JASRAC より筆者に対し「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨の指摘は為されていない。ただ, 有名な歌である。指摘漏れかもしれない。二度手間はしたくないし, また筆者として拘りを感じるほどの内容の歌詞でもないので, 大事をとって, 本 note 投稿当初よりここに掲載していたこの歌の歌詞を削除することにした。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものをご確認あれ(2022.9.1 加筆/削除/編集)。