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イスラエルが 1967年以来 違法占領し続けるパレスチナ・ヨルダン川西岸地区のビルゼイト大学を訪問 〜 1983年10月12日

簡単で散漫な演説 .. じゃなかった、簡単な前説

筆者は 1983年4月26日から 10ヶ月弱の期間のバックパッカー海外「貧乏旅行」の途上、同年9月28日から10月18日までの 3週間にわたって、パレスチナとイスラエルを旅した(旅についてはこれまで繰り返しもう少し具体的に書いているので今日は割愛)。

今日の投稿は、今から ちょうど37年前の 1983年10月12日に訪問した、イスラエルによる違法占領地パレスチナ・ヨルダン川西岸地区にある大学の一つ、ビルゼイト大学訪問に関して。

Birzeit University https://www.birzeit.edu

上は同大学のホームページの URL で、下は英語版ウィキペディア。


1983年10月12日 〜 ビルゼイト大学を訪問

以下の 2枚は、学生たちに案内されたビルゼイト大学の学生評議会の部屋で撮った写真。写っている 3人は、当日、この部屋で、非占領地パレスチナの実情や彼らの考え、学内の様子などについて話してくれたビルゼイト大学の学生たち。もちろんパレスチナ人。

画像1


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昨年、2019年10月15日と同10月17日の 2回に分けて、当時のことを note に投稿している。



当時の筆者の日記(当時のママ、もちろん推敲などしてない殴り書き)


当時も 37年後の今も、イスラエル・違法占領当局に不当逮捕され続けるビルゼイト大学の学生たち

とりわけ女子学生の不当逮捕、不当拘留が目立ち、その期間が当初の拘留から延長されるケースも少なくない。



以下の Instagram 投稿(2020年5月4日付)にある写真は、昨年 8月から長期拘束され、イスラエルの違法占領当局の刑務所に留置され続けている、ビルゼイト大学でジャーナリズムを専攻する女子学生、Mays Abu Ghosh さんの写真。イスラエル当局の尋問官による取り調べの際の拷問も報告されているが、いまだ解放されず、健康状態が危惧されている。


同上、2020年1月16日付の Instagram 投稿。


同上、同日、Facebook 上の投稿。


上の Facebook 投稿をシェアした、筆者の 2020年1月17日付 Facebook 投稿。


同じく Mays Abu Ghosh さんに関する、2020年1月3日付の Instagram 投稿。イスラエル当局による拷問が報告されるなか、早期釈放を求めたもの(上に書いた通り、2020年10月12日の今日現在も釈放されていない)。


同上、同日、Facebook 上の投稿。


上の Facebook 投稿をシェアした、筆者の 2020年1月4日付 Facebook 投稿。


前々日と前日 〜 1983年10月10日はイスラエルのキブツを訪問、10月11日はイスラエル違法占領下のパレスチナ・ヨルダン川西岸地区の街ヘブロンを訪問

これについては、昨日、投稿した。


イスラエルを出て、パレスチナ人の「郷土への帰還の権利」を支持する活動を続ける、ユダヤ人


イスラエル国内で、パレスチナ人の「郷土への帰還の権利」を支持しつつ、ジャーナリストと作家としての活動を続けるイスラエル人

以下は、イスラエル人のジャーナリストであり作家でもある Gideon Levy による、イスラエルのメディア Haaretz 上の最近の記事から 2点。

1) 2020年10月4日付の記事

なお、記事のヘッド(見出し)にある Ben-Gurion (David Ben-Gurion) とは、1948年にパレスチナの地(パレスチナという名称は遥か昔の紀元前からあったが、この当時、直前 1920年から1948年までの正式名称は「委任統治領パレスチナ」, Mandatory Palestine もしくは「イギリス委任統治領パレスチナ」, British Mandate for Palestine で、その直前に関しては 16世紀以降の長い支配が続いた「オスマン帝国」の統治下にあった地域)の上に「建国」されたイスラエルという名の新興国家の「建国の父」であり、初代イスラエル首相であった人のこと。

当時の「パレスチナ」地域におけるユダヤ人の人口は、それ以前の数十年間にわたるシオニズムによる移民による急激な人口増加の経緯があっても、依然として同地域に住むアラブ人 = 現在いうところのパレスチナ人 = の人口の半分以下、そうした歴史的経緯があったため土地所有率に至っては実に 7% だったが、前年の1947年11月29日に当時まだ欧米諸国が支配的だった設立間もない国際連合の総会で採択された「国連パレスチナ分割案」は、国連の信託統治下となるはずだったエルサレムを除く「パレスチナ」全域の土地の 56% をユダヤ人、つまりイスラエルという名の新しい「国家」に与える、という極めて不当・不公正・不公平な内容のものだった。

そして、イスラエルという名の新興国家は、1948年5月14日の一方的な建国宣言(一方の当事者であるアラブ系、現在いうところのパレスチナ人たちの意思を無視したわけだから一方的、イスラエルはこれを「独立宣言」と呼ぶが、上にも書いたように、それ以前にそこにあったのはオスマン帝国の支配が終わった後のイギリス委任統治領パレスチナ = 人口の圧倒的多数はアラブ系、いま言うところのパレスチナ人 = であって、その地においてイスラエルという国やあるいは単にユダヤ人の国がイギリスの植民地下にあったというような事実は全く、文字通り全く無い)とその直後の第一次中東戦争によって、上記の前年1947年採択の「国連パレスチナ分割案」における不公正・不公平な内容のものよりも更に広い土地を得ることになった。

ヘッド(見出し)は、Even Ben-Gurion Thought ‘Most Jews Are Thieves’

本文の冒頭は、The quote in the headline wasn’t uttered by an antisemitic leader, a Jew hater or a neo-Nazi. The words are those of the founder of the State of Israel (David Ben-Gurion), two months after it was founded (on May 14, 1948) ... ( ) は筆者が加筆(May 14, 1948 は "it was founded" の日として、上記のイスラエルの一方的な建国宣言の日を付した)。


2) 2020年10月12日付の記事

ヘッド(見出し)は、Israeli Soldiers Raid a Palestinian Village at Night, Terrifying Residents – for Training Purposes

リードは、Armed Israeli soldiers wandered through backyards, peeking through windows during a nighttime exercise in a West Bank village. Imagine them doing the same in a Jewish settlement


前章で紹介した記事の見出しに 'Thieves' があったので 〜 'Said the joker to the thief' が出てくる "All Along the Watchtower" 〜 「見張り塔からずっと」歌詞和訳

これは実は、昨日の note 投稿の中でも載せたもの。実はと言っても、昨日の筆者の note 投稿を見ていない人にとっては初見なので、全然構わんでしょう。

以下は、ボブ・ディランのオリジナルよりもずっとカッコいい、ジミヘンのカヴァーによる「見張り塔からずっと」、その歌と演奏と歌詞と、筆者による歌詞和訳。

"All Along the Watchtower" written by Bob Dylan ー covered by Jimi Hendrix (November 27, 1942 – September 18, 1970)

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

..............................

「ここから脱け出す道があるはずだが」
 ジョーカーが泥棒に言った
「混乱し過ぎて心休まる時が全くないんだ
 商売人は俺のワインを飲むし
 農夫は俺の土地を掘り返す
 結局境界線の奴らは誰もわかっちゃいないんだ
 そいつにどんな価値があるかってことをね」

「エキサイトする必要はないさ」
 泥棒が優しく言った
「ここには人生はジョークに過ぎないと感じてる奴ばかり
 だけどあんたと俺はそいつを通り抜けてきたし
 これは俺たちの運命じゃないのさ
 だから俺たちは間違わないことだ
 死期を迎える時は遅くなりつつあるんだよ」

見張り塔からずっと
君主たちは監視を続けた
そのあいだ女達はみんな入ったり出たり
裸足の召使達も同じだった
遠く彼方で山猫が唸り声をあげると
馬に乗った二人が近づいてきた
風も音を立て始めたぜ

見張り塔からずっと
見張り塔からずっと

..........................................................

上も以下も、横着して下手な英語でやってる筆者の Facebook 上の自分の投稿から転載したので、そのまま下手な英語がほとんど。

*1 I didn't know it ALL ALONG, but actually Bob Dylan you have been supporting Zionist Apartheid "state" ISRAEL since the early days of your career, will you continue to do the same ALL ALONG your life?? .. We have been watching and will be watching,

Bob Dylan, ALL ALONG the watchtower.

*2 translation on my old-fashioned website

しかしながら、上に書いたように、なんたって An Old Fashioned Love Song ...

... じゃなかった、An Old Fashioned Website,

そういうわけで、筆者の旧式ホームページは、イマドキのスマホから閲覧しようとすると、OS次第で文字化けする。

が、まぁパソコンであれば、大抵のブラウザから問題なく閲覧可能かと。

*3 my diary I told that I translated these lyrics of this song

同上。

ただし、次章に載せる、ボブ・ディランの「不都合な真実」、1982年のイスラエルによるレバノン侵略とイスラエルが加担したベイルート内のサブラ・シャティーラ難民キャンプにおいて 3,000人以上が犠牲者となったパレスチナ難民虐殺事件の直後に、ユダヤ系アメリカ人で本名を Robert Allen Zimmerman というボブ・ディランが、破廉恥な「イスラエル支持ソング」 "Neighborhood Bully" を書き、その曲を、翌1983年に彼がリリースした、収録曲を踏まえれば極めて恥知らずなタイトルのアルバム「異教徒たち」(原題 Infidels)に収録していたことを、筆者は上のリンク先にある日記を書いた当時は知らなかった。

上で予告したように、上記の件については、次章にて。


ボブ・ディランの「不都合な真実」 〜 記事 4点と過去の note 投稿 3点 〜 イスラエル・パレスチナ問題に絡み、マスメディアもしくは「リベラル」な人たちが決して批判しようとしないセレブリティ 〜 前章でボブ・ディランの曲を取り上げたので!!

1) まずは、NYT とか The Washington Post とか The Guardian といった(日本でも例えばクソ朝日新聞その他)、世界の名だたる主流派メディアが無視し、取り上げようとしないボブ・ディランの「不都合な真実」について、イスラエルのメディアやアメリカ合州国のメインストリームでないメディア、その他アラブ系メディアなどが取り上げた記事 4点。

Unearthing Bob Dylan’s forgotten pro-ISRAEL song ー ISRAELI media Haaretz

Bob Dylan’s embrace of ISRAEL’s war crimes ー Chicago based media, The Electronic Intifada

Portrait of Bob Dylan as a defender of ISRAEL ー London based media, The New Arab (Al-Araby Al-Jadeed)

THE OTHER Bob Dylan ー Al Jazeera


2) 筆者の過去の note 投稿から 3点




簡単で散漫な演説 .. で始めた今日のパレスチナに関する投稿を 〜 前章でボブ・ディランの「不都合な真実」について取り上げたその流れに乗って、イスラエルの守護者ボブ・ディランに向け 〜 「簡単で散漫な演説」で締める

1) 筆者の Facebook 上の投稿から。


2) 上記で取り上げた曲、邦題は「簡単で散漫な演説」

YouTube にこれを上げた人はザクッと見る限り「宗教」っぽくて、無神論者、それも Militant Atheist である筆者とは気が合いそうもないけれど、でもこのヴィデオは秀逸。

この曲は、Paul Simon が彼の S&G 時代のソロ・アルバム "The Paul Simon Songbook" (1965年8月リリース) にも、そして S&G のアルバム "Parsley, Sage, Rosemary and Thyme" (1966年10月リリース) にも収録されている曲だが、歌詞は一部微妙に違う。

どちらの歌詞にも ボブ・ディラン, "Dylan" は登場するが、以下の音源は、上記の後者のヴァージョン。

アルバムが日本でリリースされた当時の邦題は「簡単で散漫な演説」だったが、"A Simple Desultory Philippic" というのは、無理して直訳すれば「簡単で散漫な、しかし攻撃的な演説」といった感じになる。

筆者はググって得た程度の知識しかないが、Philippic とは「激しく攻撃的な演説」を指し、由来は、B.C.351- アテネ Athens の雄弁家 Demosthenes による、マセドニア王 King of Macedonia, Philip II (Philip the Great) の独裁を非難し自国民の不甲斐無さを攻撃した演説、もしくは B.C.44- 古代ローマ Ancient Rome の政治家 Marcus Tullius Cicero による、Marc Antony (ラテン語 Latin では Marcus Antonius) を激しく攻撃した演説、とのこと。

歌詞の最後で出てくる "I've lost my harmonica, Albert..." の Albert は、Bob Dylan の当時のマネージャー Albert Grossman を指す。

もちろん、というか何というか、当時の Paul Simon は、なにもこの歌の歌詞の中で登場させた Bob Dylan を攻撃したかったわけではないだろう。

ただ、Dylan の歌い方、当時「プロテスト・ソング」と言われた彼の一連の歌の作り方などを、やっかみ半分に皮肉る気持ちはあったのでないかと想像する。

歌詞に登場する、"But it's alright, Ma", "Everybody must get stoned" は、むろん、Bob Dylan の歌から取っている。前者は Dylan の歌のタイトル "It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)" (1965年3月リリース) から、後者は "Rainy Day Women # 12 & 35" (1966年4月リリース) の歌詞から引用したものである(なお、この部分、Paul Simon の1965年8月リリースのソロ・アルバム "The Paul Simon Songbook" に収録されたこの曲のヴァージョンにおいては、"But its alright, Ma", "It's just sumpthin' I learned over in England" と歌われている)。


A Simple Desultory Philippic (Or How I Was Robert McNamara'd into Submission) ー From Simon & Garfunkel 1966 album "Parsley, Sage, Rosemary and Thyme"

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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