「ときをためる」とは、身のまわりにある服にも家にも食べものにも、かけた時間が内包されて分厚さが出てくること。
パートナーさんが「人生フルーツの"ときをためる暮らし"ってどういう意味なんだろう」と投げかけてくれて会話が始まった。
自分でもこれまではっきりしなかった意味が、聞かれて答えることで出た。
引き換えにお金を払って完成品を買うことは、その過程に1秒も関わっていないインスタントな行為。
逆に野菜もお家も丁寧に育てて手をかけて、身のまわりにある服にも家にも食べものにも、かけた時間が内包されて分厚さが出ている。
それは「貯める」というより「溜める」に近くて、その中に時間や手間がこめられている。
それが「ときをためる」なのではないか。
子や孫にも「お金ではなくより豊かな土地や祖母の味を」と言っているのも、時間や手間をかけた分厚さみたいなものが伝わったり溜まっていったり積み重なっていくことを言っているのではないか。
こういう話ができて面白いよな。お互いの描くものが重なっていく。そしてやっぱり「ときをためる暮らし」をしたいよなと思う。
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毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せています。
明るい考えも暗い気分も、毎日なにかあって、日々とはすごいものですね。それをちゃんと受け取りたいなと思います。