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嫉妬とか羨ましさとか

ある有名な方と知人が一緒に何かしたらしい。
「有名な方と」という情報だけ切り取ってすごいなと一瞬思う。けれど、その見方が違うのかもしれない。

「羨ましがる」って相手の過程=通ってきた地獄を無視して、良さそうに見える今この一瞬だけを見る失礼なことなんじゃないか。

自分は自分で、「こうでしか自分はありえない」という自分の形を作っていく他ないんじゃないか。だから他者はどうでもいいというか、見ても仕方がないというか、自分も頑張ろうって刺激にする以外ない。

「有名かどうか」に反応したのはどうしてだろう。名前も知らない誰かであれば反応もしないし、その知人も投稿さえしなかったのかもしれない。
有名だと気が引かれるけれど、その人がすごいとか正しいとかを意味しないし、自分はその人をちゃんと知っているわけでもないのに。ここでも「過程を無視して羨ましがっている」だけで、自分の人生にとって本来なんでもないことなのかもしれない。

「羨ましがっている自分カッコ悪い」とこの気持ちを無視するのでなくて、「自分いま羨ましがっているよな、それって自分にとって正しいのかな」と考えれば良い。
だから気持ちは否定せずに、自分の中に発生したものとして考える材料にして受け取れば良い。

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お読みいただきありがとうございます。

毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せています。

明るい考えも暗い気分も、毎日なにかあって、日々とはすごいものですね。それをちゃんと受け取りたいなと思います。

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