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「人間の自由」2話・にいちゃん、お金ってなぁ人間の価値を計る基準みたいになってるやろ?

 悟りをひらくために出家をする。出家というのは、書いて字のごとく「家を出る」ってことだ。つまりホームレスになることらしい。もともとは仏門という集団の中に入っていく意味ではなかった。悟りとは家という制度や社会を取り巻くすべての柵から、解き放たれて人間が個人になることなんだ。

 山下清は、千葉にある八幡学園という施設で「ちぎり絵」と出会った。学園が手工の一つとして教えた「ちぎり紙細工」はやがて清の稀有な画才を発揮させる。山下清はちぎり絵に没頭した。山下清には放浪癖もあった。学園から逃げだすことも。
 18歳の山下清は風呂敷包みを一つ持って、学園から姿を消した。
 山下清は千葉周辺を放浪した。使用人として働かせてくれる家を見つける。その家が嫌になったら逃げしだして、別の住み込める家を探す。何年もそんなことを繰り返した。実家にふらりと姿を見せて数ヶ月住んだり、また八幡学園にまいもどったり。またまた逃げだしたり。しまいには精神病院に入れられた。
 精神病院での3ヶ月の監禁生活は、清の人生で最も辛いものだった。山下清は入浴しているときに素っ裸のまま逃げだし、運よく逃げ切ることができた。恋しくなった八幡学園にもどった。清は脱出の名人だった。日記には「下手に逃げるとつかまるので上手に逃げようと思いました」と書いている。
 
 26歳くらいから、清の逃亡のスタイルは変化していた。ルンペンと自称している路上生活者としての放浪へ。山下清は、誰かに雇われようとはしなくなった。寝床は旅先の各駅のベンチ。リュックを一つ背負う。交通手段は自分の足。山下清は歩いた。
 定職や定住をせずに、気の向くままに動きつづける理由はたった一つ。綺麗な景色を見たい。まだ見たことのない美しい光景を体感したいって思いだった。
 お腹が空いたら大きな家の門の前に座る。すると、おにぎりをくれるそうだ。おにぎりをくれそうな家は佇まいで感知できる。清の旅はほとんどお金がかからなかった。ときには東北まで。ときには九州まで歩く。身体と意識の運動をひろげつづけた。
『裸の大将』シリーズの劇中のように、旅中スケッチや作品をつくることはほとんどなかった。おにぎりを持って山に登る。木々の葉をみること。空気を吸うこと。土や石のうえを歩くこと。世界を感じること。

 冬になると八幡学園にもどって、貼り絵に没頭する。春が訪れるとまた旅にでる。ルンペン(旅すること)と絵を描くことは、両方とも楽しいし苦しいこともある。そんな風に綴っている。山下清にとって創造することは、旅と地続きにあるものだった。記憶に内在する旅の光景に、もう一度歩くために絵を描く。
 

 世界をそのままに感じること。簡単なようでじつは難しい、崇高な奇跡を絵に描きつづけた。

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 大阪、西成の街をひさしぶりに歩いた。20年くらい前。毎日のように通った街並み。知人が自転車を貸してくれた。ぼくは西成の街へと自転車を走らせた。足はペダルを回転運動させる。徒歩より、少し高いところから街を眺める。自転車からの目線で、大阪の街を見ていた。地面から2メートルほどの視界から、どばぁぁ、と記憶の地平があふれてきた。
 
 90年代の終わり頃。仕事がまったくなかった。就職氷河期。バイトの面接ですら何10社も落とされる。1年くらいバイトすら見つからないこともあった。なかなか実家からもでられない。どんどん自分にも自信がなくなってくる。ぼくには何の価値もない。そう思い込んでいた。なんとか実家からでたのは23才のとき。それからも、ずっと大阪の大国町に住んでバイトしてギリギリの生活していた。ぼくはただ作品を創って生きたいだけだった。大人たちは「お前の芸術行為には夢や目標がないのか?」と急き立ててくる。大人たちの語る、夢や目標って資本主義に飲み込まれたものばっかりで聞いてるだけでウンザリした。創造という個人的な運動に、何でそんなにお金や評価ばっかりが必要なのか、まったく理解できなかった。
 
 街は、おだやかに何かを失速させていた。アメリカ村にタワーレコードがなくなって、ビンテージの古着屋が消えていった。高学歴の人たちも就職できずにコンビニで一緒にバイトした。
 スーパーで食料品は、ウソみたいに安い値段で売られはじめた。安くてそこそこ着こなせる服を安く売るチェーン店がいっぱい現れた。最初は生活費が安くなっていいなあ、と気楽に思っていた。人々のなかで物質の価値はどんどん下がっていった。
 
 運よく就職できた友だちの給料を時給換算した。当時の最低賃金よりも安かった。働くことって、人間に大きくて重い十字架を背負わせることなんだろうか。ぼくを含めたみんなが我慢しながら働いていた。何故か我慢の量は年々ふえてくる。友だちたちの目は虚ろになった。物が安くなったことで人々の給料も安くなった。

「目が死んでる」って面接官に言われたことがある。ぼくたちの目を殺したのは自分自身なんだろうか。 

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 貯金もないから家賃も払えない。来月からホームレスかな。そんなギリギリのときもあった。なんとか西成にある薬局で働きはじめた。西成の街は日雇い労働をしている人や、路上生活をしている人がたくさんいる。薬局はアーケードがある商店街の中にあった。スーパーでは、1円で豆腐は売っていた。どうやってお店が成り立っていたのかは謎だ。

 薬局には、段ボールを集めるオジさんが毎日きた。真っ黒くかたそうなヒゲが20センチほど。ヒゲは2本の茎に分かれている。先端はツノのようだ。皮膚はこんがりと焼けて浅黒い。ぐりぐりとした大きい目の白目の部分は、浅黒い肌とのコントラストでさらに白く見えた。オジさんのことをバイト先の仲間と最初は冗談で、「トモダチ」って呼んだ。トモダチは喋るとき、唾を大量に飛ばした。液体と言葉は空気を振動させる。トモダチはとにかく明るい。いつも楽しそうだった。
 トモダチはいまの生活が辛くないんだろうか? 正直に聞いたことがある。薬局の裏口にゴミ置場があって、そこへ段ボールを崩さずに置いているとトモダチがたたむ。
「ぜんぜん辛くないよ〜。おれ、いまが人生で一番楽しい! もちろん会社で働いたこともあった。会社はやりたくないことやらされるもん。拘束されて誰かのお金稼ぎの手伝いをやるのはもううんざりや。辛いだけやん。
 いまは自由やで! ブルーシートと廃材で家をつくったから家賃もいらんし。段ボール集めを1日2、3時間だけやったら十分やってけるもん。後の時間は何をやってもいいやんで!」

 ぼくはトモダチが羨ましかった。住んでいる大国町のワンルームマンションから西成まで自転車で10分くらい。毎日毎日バイトするために通った。1日10時間も働いた。家に帰っても疲れきってしまって創作もできない。働くためだけに生きていた。
 夕暮れの街を自転車で駆け抜ける。くすんだ灰色のビルには真っ黒に汚れた部分がある。灰色と黒とのコントラストが絵を描いているようだ。ビルの壁面には黒いお化けのカタチが佇んでいる。夕日で赤く染まった空には油っぽい匂い。ホルモンを焼く鉄板にカンカンとコテを弾く音楽が木霊した。
 何かは想い出せない。何かを忘れてしまった気がする。何か大切なことを。抽象化した焦りが、精神を硬く閉じさせた。

「にいちゃん、お金を1000円でええから貸してくれへん?」
 どうしてもお金が必要だったそうだ。ぼくもカツカツだった。それに読みたい本がネットオークションで安く出品されていたので、その本も欲しかった。そうトモダチに伝えた。
「何の本が読みたいん? おぉ〜、サドかいな。にいちゃん、若いなあ〜」
サドの名前をトモダチは知っているようだった。それどころか文学に精通していた。「にいちゃんは、深沢七郎のように生きたらええ」
 と1冊の本を貸してくれた。
 深沢七郎は『人間滅亡的人生案内」でこんなニュアンスのことを書いていた。

 ゴーイングマイウェイでいいじゃない。ただし、我が道というのは生きている「楽しさ」のこと指すのであって、職業のことではありません。

 トモダチになけなしの1000円を借した。返ってこなくてもいいと思った。1週間経っても姿を見せなかった。
「おそくなってすまん! ありがとう!」
 1ヶ月くらいだろうか。随分と時間が経ってトモダチは1000円をぼくに返してくれた。以前より痩せこけていた。何をしていたかは教えてくれなかった。 

 バイトの帰り道。公園にトモダチがいた。ベンチに腰をかけている。ペンを持って紙に何かを書いている。ぼくは自転車を止めてトモダチに駆け寄った。
「おぉ、にいちゃんか……」
 こちらをちらっとだけ見て、また紙にトモダチの目線は移行した。こんな真剣な顔を見たことがない。いつもの気楽なへらへら顔ではない。じぃぃーと紙の先を見つめて、その先にある不可視気な世界をペンですくい取るように。トモダチは若いときから小説を書いている。

「記憶は、触ったりこねたり、のばしたりひっくり返したりして再形成されるんや。現場検証された結果が、真実だったかどうか何て本当は誰にも本人ですらもわからんやろ。物的な証拠を集めて、複数の証言から検証する。そこから導きだされた答えは、世界を縮小化しただけのものかも知れん。わしはわしのなかにだけにある真実を、血沸き肉踊らせて世界に響かせるんや」

 トモダチは会社員時代の想い出をよく語ってくれた。真面目な会社員で社畜だったときの話。ヤクザでかなり反社会的な会社員だった話。それらは分け隔てなく並列で語られる。たとえ矛盾してようと、アンビバレントと二極は共生する体験だ。
 40時間も拘束労働させられて、車の運転中に意識を失った。いや意識はあった。助手席には死んだはずの友人が死んだままそこにいて、トモダチと会話している。後部座席には骨だけのヤクザがいる。髪だけは何故か生えていてパンチパーマだった。骸骨のヤクザは融資を打ち切ってきた銀行に、斧を持って出向いて脅そうと持ちかけてくる。死んだはずの友人は半透明な姿で反対した。友人はヤクザに肉を削がれて透明の骨になった。斧を銀行員に投げつけて、首の横ぎりぎりを通りすぎて壁に刺さった。壁に刺さった斧からは血が滴っていた。血は銀色にきらきらと輝いていた。銀行員は、おしっこを漏らして融資をふたたびするとトモダチに詫びた。運転中に意識を失って、車はクラッシュした。トモダチは集中治療室で一命をとりとめた。それでもまだトモダチは車に乗っているし取引先に向かっている。トモダチも肉を削がれた骸骨になっても、会社で働きつづけた。これは意識を失っているときの夢だろうか。「いやこれは現実や」トモダチはそう言い放つ。
 語る表情に嘘や偽りは微塵もない。トモダチの精神によって育ち、ひらいて拡散した体験は、事実よりも真理に近い。自分にひたすら正直なトモダチは、今日も人からホラ話と言われそうなことを堂々と語る。トモダチの精神は小説そのもののようだ。

「若いときな、出版社に包丁を持って原稿を持ち込んだことあんねん。この小説を文芸誌に掲載せえへんかったら、お前ら全員を刺すぞぉーって脅したんや! 流石に警察を呼ばれて拘置所に連れてかれたけどな」
 トモダチはいつも一方的に話す。ひとしきり語り終えると、ふぅぅーと空気の抜けた風船のように抜け殻になる。ぼくのことを尋ねることはない。この一方通行な関係が心地良かった。まるで小説を読んでいるように、トモダチの体験は体のなかに染み込んでくる。

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 年の瀬の街は21世紀の前夜でお祭りムード。オレンジ色の給料袋を上着のポケットに入れて、夕暮れの西成の街を走った。その日は疲れ切っていた。家に帰ってからすぐに寝た。朝まで寝てしまった。起きてからポケットにオレンジの給料袋がないことに気がついた。大国町のワンルームマンション。部屋中を探したけど、どこにもない。西成の薬局から、大国町のワンルームマンションまでの道を何度も往復して探し回った。
 20世紀が終わる。慌ただしい人々の意識。お金ために生きているのか。生きるためにお金がいるのか。ぼくたちは、地面を地の底を、見つめてアスファルトのうえを歩いた。
「みれ〜にあむ〜やで! にいちゃん!」
 トモダチが呑気な顔で道端に現れた。事情を話すと一緒に探してくれた。
「あ! オレンジの袋や! あった!」
 トモダチが叫んだ。2人で駆けよる。そこには捨てられたスナック菓子『おさつどきっ』の袋があった。おさつどきっは光沢のあるオレンジ色で、ぼくたちをまやかした。ぼくたちが掴もうとすると強い風が、おさつどきっをさらって埃ともに宙を舞った。100メートルほど先に見える府営住宅群に、またオレンジ色の袋が光っている。
「今度こそ、給料袋や!」
 駆け足で府営住宅に駆け込んだ。府営住宅のビルとビルの間に、強く空へと一直線に抜ける風がまたもや、おさつどきっの袋をさらって行く。
「また、おさつどきっや……」
 ぼくたちは、空に舞ったオレンジの光を何度も見た。夕暮れまで探したけど、一ヶ月分の給料は見つからなかった。年末の忙しい時期にガッツリとシフトに入れられたから、20万円くらいあったと思う。西成の警察署に届けをだした。おっちゃんの警察官は笑った。
「絶対にもどって来ないなあ。残念だけど。西成のおっちゃんたちのボーナスになっちゃったな。いまごろ、宴会してるじゃない。わははは」
 給料は諦めた。誰かが楽しい年末を過ごせるなら、まあいいか。
「にいちゃん、まえにお金貸してくれたことあるやろ。わしあのときめちゃ助かったんや。少ないけどなぁ、これちょっと生活の足しにしてくれや」
 トモダチは1万円をくれた。これはトモダチが1ヶ月生活できるお金だ。ぼくは泣きそうになった。

 お正月が明けた。またいつものように薬局で働いた。トモダチが段ボールを拾いにくる。
「なんかお正月にな、西成の三角公園でめちゃめちゃ景気のええ、やつらがおってなあ。わし酒をめちゃめちゃ奢ってもらったんや。来る人来る人にみんな振舞っとったわ……。あいつら、もしかするとにいちゃんの給料袋を拾ったんとちゃうか? わっはっは。もしほんまやったら、にいちゃんに奢ってもらったことになるなぁ〜。酒。うまかったで。ありがとう。1万円、お釣りがくるくらいに返ってきたで」

 その後、しばらくして薬局をやめた。トモダチには全く会わなくなった。トモダチが小説を書いていた公園に自転車でときおり通る。彼はいつもいない。どこかで小説を書いているんだろうか。   
 
 5年くらいの歳月が流れた。
 夏のじめじめとした空気。アスファルトに立ち込める、もあっとした熱気。どこからともなく漂う、アンモニアの匂い。古ぼけだコンクリートのビルが立ち並ぶ街。御堂筋はけたたましく排気ガスを吐きだしながら、車が無数に走りさる。

「にいちゃん、芸術家やろ! わしはそういうの一発でわかるんやで」
 ぼくは自転車にまたがって欄干に足をかけていた。小さな橋のうえでドブ川を眺めている。手で掴もうとすると、ふあっとどこかに消えてしまう。それは何なのか。わからない。限りなく黒に近い灰色によどんだ川でも夕陽の赤色は、水面に鮮やかに映しだされていた。ボロボロのアロハシャツを着たおっちゃんは、あさ黒い肌から珠のような汗を流している。小さなリヤカーには段ボールが一箱。そこには本が数冊入っていた。雰囲気が変わっていてなかなか分からなかったが、そのアロハのおっちゃんはトモダチだった。トモダチもトモダチで、ぼくのことには全く気がついていない。

「悩んだり迷ったりしてるやろ?」
 図星だった。作品は創っているけど、芸術家と言い切れる自信も根拠もない。
 トモダチに薬局での想い出を話した。それでトモダチはぼくのことが誰だか分からないようだった。憶えていようがいまいがどうでもよかった。トモダチがぼくの目の前にいて、記憶の小説を語りだそうとしている。五年間の空白の時間。トモダチという運動はさらに勢いをましているようだった。

「これはなあ。わしが書いた本やねん。立派な装丁の本が手渡された。これはどこかの出版社からでたんとちゃうで! わしがつくったんや! どうやって出版したと思う? お金もかかりそうやろ? わしにそんな金はなさそうやと思ったやろ。
 わしはまた書いた原稿をプリントアウトして、出版社に持ち込んだんや。もちろん、どこも相手にされんかったわ。それでも諦めんと、何社もまわってみた。一人やってる出版社があってな、そこで『出版してもいいですよ』って言ってくれたんや。でもなあ、本の利益から5パーセントしかくれへんっていうねん。出版されるだけでも嬉しいから、まあええかなとも思ったんや。1冊1500円やったら、75円やで。100冊売っても7000円ちょっとや。書店は売り上げの3割くらい。あとは利益は出版社。わしが書いたんやけどなぁ。書いた人が一番、もらわれへんのやなあ。何万部も売れる人しか本を書いて生活なんてできひんやん。もうな出版社からだすのやめようと思ってん。
 原稿を持って、街にいる人たちに読んでくださいって手渡したんや。プリントアウトした原稿の最後のページには、わしの連絡先と出資してくださいって振込先も書いた。大阪の街を歩きまわって色んな人に渡したで。するとな、半年くらいで出版費用が集まったんや! すごいやろ!
 それでこんな立派な本が出版できたんや! 今度はこの本を引っさげて、昼から1日2時間、歩いてるんや。散歩やな。朝は新しい小説を創造する時間や。
 にいちゃんは月にどのくらい生活費かかるねん? わしか? 月に1万円あったら十分やな。ブルーシートと廃材で1人用の家をつくったから、雨つゆしのげるし、冬はあったかいんやでぇ〜。家賃は0円や。服とか生活に必要なもんは、拾ったりゴミの収集センターでもらえたりするなぁ。にいちゃん、街を見てみい。世界を純粋な目で見つめることやな。この社会は物質をつくりすぎた。戦後30年くらいは物がなかったから大量生産にも意味はあったんやろな。つくりすぎたもので、いまは溢れてる。本10冊でもええやん。これからは最小限の必要なもので回っていく社会に絶対になるで。
 わしが必要なお金は食費と酒代くらいやな。1万円あれば、めっちゃリッチや。踊って暮らせるで。つまりな、1500円のこの本を7冊売ったら、ちょっとお釣りがくる感じやな。あんまり売れたら、所得税とか取られるからな。税金取られるのアホくさいやろ。泣けなしの金から取るのは税金ちゃうで、ただの罰金や。税金を免除されるギリギリの額で、自分が豊かに暮らせる生活圏をつくりだすことやな」

 ぼくはリュックから財布をだした。本を買わせてもらった。トモダチは小説を書いて本をつくってシンプルに生きている。夕暮れの空に電線がこの街に絡みあっている。まるで空とぼくたちを分断するかのように。曲線を描いて、電線は電柱と電柱の間を伸びて行く。線と線は重なり合って、蜘蛛の巣のように電線は待ちかまえる。空の青さを見つめようとする者の、体感を捕まえる。トモダチはぼくたちを捕らえようとする意識から、すっぽりと抜けだし自由になった。

「やったぁ〜! これで今月は7冊売れたから、あとはのんびり新しい小説を書こう! ほんまにおおきに!」

 ぼくは自転車に乗って、空を見上げた。スズメは電線をかるく越えて飛び立っていく。赤から紫色に変化して夜を迎える空へ。

 作家、稲垣足穂は「読者は10人いたらいい」と豪語していた。足穂は生活やお金のために文学をしていた訳ではない。言葉で生活できないのなら「新聞紙のうえで寝たらいい」という覚悟で生きていた。足穂が実際に新聞紙に上半身裸で寝そべっている姿を、どこかで見たことがある。新聞紙は広大な宇宙空間ように見えた。足穂の「書く」という時間と向き合う真摯さが、新聞紙の世界を拡散させた。

 家に帰ってからトモダチの本を読んだ。タイトルは『人間の自由』。

 一人で息継ぎする間もなく喋りつづけている喋り言葉と、文体は少し違った。静かで穏やか。トモダチが、月200時間もサービス残業していた会社を退社した後。社会に疲れきったトモダチは資本主義とさよならした。
 枠に囚われない自由な生き方を探した。山奥で20人くらいのコミューンに参加して生活した。食べ物を自給自足した。コミューンは独自の通貨や憲法もつくりだした。既存の社会とは別の、小さな社会を創りだすことが真の目的ではない。人間は社会集団の意識なかで考えることに慣れすぎた。コミューンは社会のサイズを小さくして、人間が個で思考する練習をする場所だった。1人1人が自分の考えで生きる術を見つけると、共同体は解散した。トモダチは生きづらい資本主義社会から輪から肉体と精神を抜けだした。この社会の輪を否定しない。たまにちょっとだけ輪に手を入れて、必要なものだけ抜き取る。トモダチは新しい人間になった。

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「にいちゃん、お金ってなぁ人間の価値を計る基準みたいになってるやろ? 確かに計れてるようにも感じるねん。幸せとか。愛とか……。人間はお金という均一化した個性のないもので価値を計る社会の輪を完成させた。わしが書いた『人間の自由』って本の草稿もな、じつはお金のことめっちゃ書いてたんや。お金にコントロールされたくないから、めっちゃ稼ぐって人たちもいるやろ? まぁ気持ちはわかる。でもな、精神の中心を貨幣化させたらあかん。何かが閉じてしまうねん。閉じて小さくなってしまう。やっぱりなぁ、お金によって収縮されてしまった常識の外側に、小説の言葉や芸術もあるんとちゃうかな。

 小説は「書いている時間」と「読んでいる時間」のなかにしかない。お金や評価、未来や過去のどこにもない。「書く」「読む」という「いま」のなかにしかないんや。 

 毎日な、日課のように小説を書いているんや。ただの日課や。それ以上でも以下でもない。書いてたら『あっ、きた』みたいな瞬間があるやろ? 集中や意識を超えたような〝ゾーン〟が立ち現れるような瞬間や。わしは〝ゾーン〟を〝直観〟と呼んでいるんや。
 直観はお金とか競争社会をぶっ壊してくれるんや。みんなのなかに直観はあるんや。才能ある人だけの特権じゃない。1日に数分でもいい。自分が楽しいことのなかで、体感できたらいいんや。芸術だけじゃないで、料理や掃除や生活の営みのなかにも直観はある。手を使うことやな。手を感じること。
 直観できる自由な時間がある。そんな新しくて懐かしい人間が増えたら、この競争だけの資本社会の輪なんて小さくなってしまうで」

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 トモダチと会うのは、本を手渡してくれた日が最後になった。もう15年くらい経つだろうか。ぼくは大阪から東京へ。その後、因島に住まいを変えた。家賃は0円の我が家とアトリエは、足穂の新聞紙のように宇宙を感じさせてくれる。トモダチの影響もあったと思う。日課のように毎日、書くようになった。また読みたくなったのでトモダチが書いた『人間の自由』を探した。何故かまったく見つからない。ぼくは弟子が師匠が書いた経典を書き写すような気持ちで、いま自分なりの『人間の自由』を綴っている。直観にゆだねてこの先も書こう。

「もりのなかの ひみつのばしょにいこうよぉ〜」

 ぼくと、娘のゆもちゃん、奥さんのミワコちゃん、犬のエマと一緒に山へ散歩にいく。春の日の昼下がり。森のしげみの中の空気は、まだ冷んやりとしている。けもの道を登った。エマのリードを外す。エマは風になって木々を抜ける。葉と葉の間から、漏れた光はエマの黒い毛並みに、キラキラとした白いカタチを描く。深い緑とキミドリの葉は生いしげりグラデーションを混沌とさせる。カタチと彩色が無限の世界を拡張する。森に降りてくる太陽の日差し。葉の影からこぼれ落ちた小さな光の粒が、木陰に星雲を創りだす。
 エマがどこにいったのかわからなくなった。みんなが心配しはじめると、そよそよと風が吹く。ぼくたちの少し汗ばんだ身体に涼やかな感触。風と共にエマは帰ってくる。
「ねえ ここ まえにもきたことある みちだよね? わからなくなっちゃったぁ〜」
 エマは、道に迷うぼくたちの道しるべをしてくれる。竹やぶを抜けると、トゲトゲした草が鬱蒼と生えている。じめじめと暗い草のトンネル。
「いたい」ゆもちゃんは何度も刺されながら、やっとこさで進む。エマは軽々と草々のトンネルを抜ける。山の斜面に生いしげる草の間からうえを見上げる。雲ひとつない青い空が、ぼくたちを迎えてくれる。丘に辿りついた。

「わぁ〜 めっちゃきれいぃ〜!」
 
 ゆもちゃんは、この社会で固定化された事物に触れると「なんでぇ? どうしてぇ?」と常識や価値に裂け目を入れる。同一であることが当たり前になりすぎると、森からカオスや宇宙は消える。子どもや動物はカオスをカオスのまま、無分別に森と世界を体感している。

 丘には切り株のイス。大きな石のテーブルがある。ぼくたち4匹はテーブルに水筒を置いてお茶を飲む。島の古びた街並み。ポコポコと小さな島が浮かぶ、雄大な海を丘から見つめた。街という宇宙には人間が星屑のように生きている。造船所で船をつくる鉄の音。鳥たちのさえずりが溶けあう。空は円を描いてぼくたちを包む。

 山下清は山に登って景色を見つめた。その視界の先には、ただただ素朴な世界がひろがっていたんだろう。 

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