辺境にて 【アイスランド - リングロード一周キャンプ旅】
Day0: 僕が旅に出る理由
僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって、ひとつめは新婚旅行、コロナで行けてなかった、なんて思っていること。くるりの歌詞になぞらえながら、レイキャヴィク行きの航空券を予約したのは半年近く前のことだ。
2年ほど前、コロナ禍のさなかに僕は結婚した。当時はまだ海外への自由な渡航が難しいとされていた時期。それで仕方なく、いわゆる新婚旅行というものをずっと先延ばしにしたままだった。
新婚旅行の行き先をアイスランドにした理由は、それこそ3つくらいある。1つ目は旅をテーマにした雑誌「BIRD」と「TRANSIT」がこぞってアイスランド特集を組んだこと。そこに描かれていた青白く薄ぼんやりとした幻想的な風景は、当時20代だった僕の心を鷲掴みにした。(TRANSIT アイスランド号の特集記事の1つが、今の同僚ご家族による旅行記だったことを知ったときは本当に驚いた。)
アイスランドは日本と同じ、火山や温泉などの観光資源を持った島国でありながら、行き過ぎた資本主義や急速な経済成長の道を歩んだ日本とは逆に、自然との共存を選び、過剰な都市開発に背を向けた神秘深い国。平和度や幸福度、ジェンダー平等度など、今の時代に重要視される様々な指標で世界上位にランクインし、地理的にもちょうど日本から北半球で真裏の場所にある。ユーラシアプレートと北米プレートが沈み込むことで地震が起きる「おしまいの国」が日本なら、地球の反対で2つのプレートが生まれ、左右に少しずつ広がっていく「はじまりの国」がアイスランド。その地下で生まれたプレートが何億年もの時間をかけてゆっくりと移動し、最後は日本の地下でその営みを終える。地球を母に見立てたときに、日本とまったく違う将来を選んだ兄弟性のようなものを、アイスランドに対してどことなく感じずにはいられなかった。
2つ目の理由は、僕が人生でいちばん好きといっても過言ではない映画「LIFE!(原題: The Secret Life Of Walter Mitty)」の物語における重要な舞台がアイスランドだったこと。あまりに好きすぎて、それだけで記事が1本書けてしまうので詳細は割愛するが、主人公が新たな一歩を踏み出した先に待ち受けていた壮大な景色がアイスランドだった。僕も大好きなDavid Bowieの名曲「Space Oddity」に背中を押され、酔っ払いが操縦するヘリコプターに主人公が意を決して飛び乗るシーンは、楽曲の美しさと相まって、毎回観るたびに心震える名シーンだ。
とどめとなった最後の1つは、冒険家・石川直樹さんの個展を見に行ったときのこと。彼は旅人であり、登山家であり、写真家でありながら、紡ぎ出す文章もまた素晴らしい。写真展の傍に掲示されていた、彼がグリーンランドにある町・イルリサットを訪れたときの手記が、僕の心の中の辺境につむじ風を吹かせてくれた。
自分の中にある辺境を探す旅。妻に行き先を提案すると、不思議とすんなりOKがもらえた。アイスランドを一周するリングロード(国道1号線)を、キャンプをしながら1週間かけて車中泊でまわる。そんな新婚旅行にあるまじき提案を、3000m級高山でのテント泊経験が豊富な妻は快諾してくれた。
妻のご両親への言い訳に、わずかばかりの新婚旅行要素も加えた。イギリスの北西に位置するアイスランドへは、ヨーロッパ圏でのトランジットが必要となる。それを利用して、行きはパリで1泊観光し、帰りは早朝着・深夜発の便で、ミラノからフィレンツェへの弾丸旅行を行うことに。行きと帰りにフランスとイタリアを挟むことで、一般的な新婚旅行の雰囲気も味わおうという作戦だ。結果、アイスランドの大自然と、フランス・イタリアの文化という対照的なコントラストで、どちらも目一杯楽しむことができた。
行き先を決めた後は、アイスランドに関する情報をかき集めることに。先述のBIRDやTRANSITを除けば、日本語のガイドブックは少なく、同じようにリングロードを車中泊で一周した旅行客のブログなどが助けになった。
そんな中、そういえばと思い出したのが、アイスランドの風景が美しいと評判の映画「春にして君を想う」だ。せっかくなので観てから向かうことに。
遠い田舎の故郷を目指す2人の老人が描かれた美しいロードムービーは、国民の半分以上が妖精の存在を信じているというアイスランドの世界観を感じるのにぴったりだった。
出発が数日後に迫った夜。最後に読んだのは、昔一度読んだことがある、ふかわりょうのエッセイ「風とマシュマロの国」。アイスランドの魅力に取り憑かれ、毎年通っているという彼が綴った複雑な町の名前を復習し、ようやく旅の準備を終えた。
そうして、約2週間の新婚旅行が始まった。電動自転車で名所を巡り、モンマルトルの下町散歩やおいしいフレンチを楽しむも、汗だくになるほどの気温で美術館が避難所のようになってしまったパリをそそくさと後にする。
アイスランドの国際空港・ケプラヴィークへは、シャルル・ド・ゴールではなく、聞き慣れないオルリー空港からの数時間の空の旅だ。到着すればそこは待ちに待ったアイスランド。「旅行」と「旅」の違いを考えながら、その時が来るのをぼんやりと待つ。たぶん、ここまでは前者で、ここからは後者なのだろう。何かを見に行くのが旅行なら、何かを見つけに行くのが旅なのかもしれない。きっと、新婚旅行のイメージとは程遠い体験が待ち受けてくれている。そんなことを思い耽っていた矢先、急にドシンと音がして、真夜中の滑走路に叩き起こされた。
さぁアイスランドだ。旅が始まる。
Day1: レイキャヴィクからスナイフェルス半島へ
到着早々、いきなりの空港泊。到着ロビーに着いた深夜0時から、レンタカー屋が迎えに来てくれる朝8時まで、この空港で一夜を過ごさないといけない。ベンチを見つけて寝袋にくるまったまではよかったが、ひっきりなしに訪れる利用客の喧騒と自動ドアから吹き入る冷たい風で、なかなか眠ることができなかった。振り返ってみると、今回の旅でいちばん辛い夜だったかもしれない。
未舗装道路も安心な4WDの車を借りて、いよいよロードトリップへ。飛び石保険も忘れずに。最初の目的地は、世界最北端の首都・レイキャヴィク。物価の高いアイスランドにしては良心的な価格のスーパー・BONUSに立ち寄って、旅の食料やキャンプ機材を揃えるのが目的だ。
空港からの道中は、慣れない右側通行(追越車線も逆)と左ハンドル、さらには頻繁に現れるラウンドアバウト(環状交差点)に焦り、何度もウィンカーと間違えてワイパーが飛び出る始末となった。
レイキャヴィク観光はリングロードを一周した後の6日目に予定していたので、身支度を整え次第、出発となる。天気予報サイトの週間予報を見る限り、時計回りで一周するのが良さそうだ。まずはレイキャヴィクの北西、スナイフェルス半島へ。海岸線や半島の名前にもなっているスナイフェルス氷河、キルキュフェットルの山と滝などが見どころのエリアだ。
暗くなる前に、その日車中泊をする場所を探す。Googleマップで「camping」と検索すれば、近場のキャンプサイトがいくつも見つかるから便利だ。アイスランドの9月は東京の冬と同じくらいで、夜も氷点下にはならず、至る所にある温泉で疲れも癒せる。設備が綺麗に整備され、場所によっては暖かいキッチンやシャワーも完備されたキャンプサイトでの車中泊は、北アルプス山頂でのテント泊よりはるかに快適なものだった。
Day2: 北の町アークレイリとミーヴァトン湖
2日目は東に進路を取り、アイスランドの北部に位置する第二の都市・アークレイリへ。地平へと続く未舗装道路。ハンドルを強く握って、ガタガタガタと突き進む。少し不安になってステレオの音量を上げると、アイスランド出身のミュージシャン・Sigur Rósの音楽が優しく包み込んでくれた。
朝日が昇る。風が大地を揺らす。目の裏にまで、光が鋭く突き刺さる。岸壁からは名もなき滝が滔々とこぼれ落ちる。あぁこれが、アイスランドの夜明けだ。
アークレイリは首都レイキャヴィクとは違った文化的な雰囲気をまとった美しい街だった。絶景を見ながらランチを食べる。そこから足を伸ばして、「蚊の湖」の名の通り、大量のユスリカが飛び交うミーヴァトン湖周辺を散策。途中、アイスランドで見たかった5つの滝のひとつ、神の滝・ゴーザフォスにも立ち寄った。楽しみにしていた温泉施設「ミーヴァトン・ネイチャーバス」で旅の疲れを癒した後は、湖の眺望が素晴らしい、湖畔の高台にあるキャンプサイトへと向かう。
深夜、ふと目を覚ますと、車の窓に何やら光の気配を感じる。「まさか、この時期に見えるわけないよな」。そう思いつつもドアを開けると、白いぼんやりとした帯のようなものが満天の星空の中に浮かんでいる。イメージしていたオーロラは、もっと鮮やかで妖艶に光り輝く美しいものだったので、「これは、オーロラ、なんだろうか?」と、第一印象は半信半疑なものだった。光も弱く、肉眼ではたなびく細い雲のようにしか見えないその姿に、やや肩透かしを食らった印象で、込み上げてくるはずの感動は、喉元あたりで止まって消えた。しかし、これが序章であることを、この時の僕はまだ知らない。
Day3: フィヨルドの町セイジスフィヨルズル
3日目。まずは2つ目の大滝・デティフォスへと向かう。リングロードを外れた先にあったのは、SF映画の撮影にも使われる赤土の荒野。それはまさに、この惑星の原風景。宇宙飛行士がどこかの銀河で、人類が移住できる惑星をついに見つけた時の風景は、たぶんこんな感じなのだろう。このあたりから、あまり写真を撮らなくなる。シャッターを切ったところで、残念ながらこのスケールや感動は、到底写しきれないことに気づいたからだ。
デティフォスの桁違いのスケールを楽しんだ後は、東へと向かう。アイスランド東部の拠点・エイイルスタジルの町で再びリングロードを外れ、丘を越えて、フィヨルド深部の隣町・セイジスフィヨルズルへ。そこはこの旅で最も楽しみにしていた町。なんといっても、町へと続く雄大な坂道は映画「LIFE!」のロケ地になったところだ。
この夜、2日連続のオーロラが夜空に現れる。しかし、昨夜よりさらに光が弱まったその姿に、車の外に出てシャッターを切ることよりも眠気が勝ってしまう。妻にいたっては、起きようともしない。オーロラ目当てに時期を選んで来訪しても、見れずじまいになることも多い中、写真を撮らず肉眼で楽しむだけという、なんて贅沢な旅なんだろう、などと思いながら、また眠りにつくことに。
Day4: 港町を越えてヴィトナヨークトル氷河へ
旅の折り返しとなる4日目。これまでの快晴とはうってかわって、時折にわか雨が降る曇り空。この日の最初の目的地、南東の町・ヘプンへは、フィヨルド沿いのグネグネとしたルートが続く。この旅初めての悪天候。アイスランドらしい青白い景色を楽しめたのも束の間で、あとは視界も悪く、曲がりくねった道をただひた走る。景色を楽しめない、単調で疲れのたまるドライブ。それが理由か、制限速度を20kmオーバーで走っていたところ、対向車線のパトカーに気づかず、すれ違いざまにUターンされ、真っ青なサイレンに追いかけられる羽目に。
謎の外国人割引とやらが適用されたものの、罰金にも物価高と円安が直撃。6万円の手痛すぎる出費となった。警察官は良い人で、「今日は雨で視界も悪いし、この辺りは羊が急に飛び出すから気をつけて。アイスランドの残りの旅を安全に楽しんで帰ってね」という言葉にほっこり。おかげで無事故で旅を終えることができた。
港町ヘプンで腹ごしらえをした後は、南へと進み、アイスランド最大の氷河・ヴィトナヨークトル地帯へ。ここからは、今まで以上に氷河を間近で感じることができる。青白く美しい氷河が、ゆっくりと流れ落ち、鏡のような湖面と相まって絵葉書のような景色を織りなす。アイスランドが氷の国であることを改めて感じさせてくれた。
氷河のそばにキャンプサイトを見つけ、今夜の宿営地にする。暖房やシャワーなどの設備が整った快適なキッチン。毎晩のキャンプ飯にも慣れてきた。そして夜、思ってもみなかった奇跡が起きる。なんと3日連続のオーロラ。これまででいちばん大きく、強く、美しい光。写真に写したその姿は、イメージしていた光の魔法そのものだった。さすがに妻も起きてくる。新婚旅行らしくないなんて言ってたものの、夫婦でオーロラを見れるなんて、最高じゃないか。アイスランドの祝福を全身に浴びながら、旅は後半戦へと向かう。
Day5: 滝にかかる虹と最古の温泉
5日目は、アイスランド南端から南西にかけての風光明媚な場所を巡る。まずは最南端の町・ヴィークへ。北海道をひとまわり大きくしたようなアイスランドの距離感が、ようやく少し掴めてきた。それと同時に、心の縮尺が変わっていくのを胸の奥に感じる。大地は広いし、それ以上に空は広い。昨日の夜見たオーロラが、風鈴のように心をさする。明日には出発の地・レイキャヴィクに戻ることになる。この旅も終わりの帷が見えてきて、僕は少しばかりアクセルを踏む力を緩めた。
ヴィークからはアイスランド南西部の大自然を辿る。中でも滝壺の裏側に回り込むことができるセリャラントスフォスは、アイスランドの風景を代表する美しい滝だ。ちょうど雲の切れ間から太陽の光が差し込んで、真っ白に輝くその姿を写真に収めることができた。
その後はリングロードを外れて内陸へと進み、贅沢にもまた温泉に浸かる。アイスランド最古のこじんまりとしたラグーンは、身の丈に合った程よい広さで、どこか懐かしさを感じる人肌のような温もりが遠い日本を思い出させてくれた。
Day6: 雨の都・レイキャヴィク
終日の雨予報だった6日目は、雨天でもショッピングや観光を楽しめる首都・レイキャヴィクで1日を過ごすことに。ランチに訪れたお店では、この旅唯一といえるアイスランド料理を注文。名物のラム肉を使ったメインディッシュやスープ、北欧といえばのスモークサーモン、ふんわりと甘いパン、どれもおいしく風味豊かで、どこか懐かしいクリスマスの味がした。
この旅最後の町歩きを終えて、首都近郊の都市型キャンプサイトへ。レイキャヴィクのサッカースタジアムに併設された公園エリアで、アイスランド最後の夜を過ごす。眠ってしまえば、最終日が来てしまう。少しセンチメンタルになりながら、買い込んだワインをがぶがぶと飲み干した。
Day7: 国立公園の大自然とブルーラグーン
いよいよ最終日。ゴールデンサークルと呼ばれるエリアを巡る。国立公園に指定されており、見どころも多い。レイキャヴィクから1時間ほどで着くため、大勢のツアー客が足を運んでいた。天候はまたしても快晴。とどめとばかりの絶景の数々に、この国を去る寂しさが少しだけ和らいだような気がした。
冒頭に紹介した、プレートが生まれる大地の裂け目・ギャウも訪れることができた。海中ではなく地表に露出しているのはとても珍しいらしい。想像を遥かに超えるスケールに、最初はここがなんなのか、本当に合っているのだろうかと、全貌を見るまで気がつかなかったほどだ。
ゴールデンサークルを巡った後は、有名なブルーラグーンへ。空港近くに位置するため、レンタカーを返す直前の、この旅の最終終着点に選んだ。レイキャヴィクを抜けて、空港のあるケプラヴィーク方面へ。旅の疲れを癒してくれる美しい温泉を目指す。
いろんな国のいろんな人種が、お酒片手に笑顔でひとつの湯に浸かる。桃源郷のようなその光景に、ここは世界でいちばん平和を感じられる場所かもしれない、なんてことをふと思う。炎と氷の国と称されるアイスランドは、数々のランキングが示すように、平和と幸福の国でもあった。
Epilogue: 僕らが旅に出る理由
ここまで、10000字以上に及ぶこの記録を読み進めてくれた人がもしいるなら、きっとアイスランドの様々な情景でおなかがいっぱいになっていることだろう。あわよくば、僕の旅を追体験した気になってくれているかもしれない。でもこれは、アイスランドのほんの一部であり、その表情のわずかな一面に過ぎない。この旅いちばんの感動は、有名な景勝地なんかじゃなく、3夜連続のオーロラでもなかった。それは、毎日何時間も運転しながら通り過ぎた、道中に広がる名もなき風景。写真を撮れない運転中の、僕と妻、小さな命ふたつを包み込む、広大な大地。前も後ろも、左も右も、地平線や水平線までずっと広がる美しい自然。これが地球。仮に写真が撮れたとしても写し出せないその感動は、ぜひ自分の目で見つけに来てほしい。今回一周したリングロードの内側にも外側にも、たくさんの手付かずの自然がこの国には残されている。どこに行っても人工物ばかりの日本とは違った、この惑星の母なる世界が広がっている。
旅に出る前に観たアイスランドの映画「春にして君を想う」。実はこのタイトルは邦題で、原題は「Children of Nature」という。この国の人々はみんな、自然の子どもたち。小沢健二の曲名にもなった邦題も良いけれど、アイスランドを旅した後は、原題の方が心に深く沁みこんだ。
昔、誰かが言っていた。
僕たちはみんな、自然の子どもたち。日本と違う未来を選んだ兄弟のような国で、そんな当たり前のことに気づかせてもらえた。この国は、自分を小さく、丸裸にしてくれる。誰が呼んだか、辺境の地・アイスランド。世界中を旅した冒険家が言うように、本当の辺境は、きっと自分の内にこそあるのだろう。
アイスランドの風景を切り取ったBon Iverの「Holocene」のMVも美しいけれど、今回の旅のプレイリストでいちばん心に突き刺さった曲は、"火星の道"を走る車内で聴いた、MIKAの「Any Other World」だった。
冒頭でも紹介した映画「LIFE!」は、アメリカで実際に発行されていたフォトジャーナル誌「LIFE」社が舞台だ。物語にも力強く登場する彼らのスローガンと「LIFE!」の映像を使った音楽で、この記録の最後を締めくくりたいと思う。
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