「生きる」とは
人間における「生きる」と人間以外の動物における「生きる」の定義は違うように思う。
先日、こんな文章を目にした。
本など読まないヤンキーのほうが、むしろしっかり生きています。若くして結婚して、子どもをたくさんつくって、仕事をして、家族を支えていくというほうが人間としても生物としても正しい。大学を出て頭でっかちになって、オレは何かできるはずだと妄想して、勘違いして大学院まで行ってしまい、結局仕事がなくて結婚もできない。それでいて「結婚なんて意味がない」とか「家族なんて幻想だ」とか、こじれた考えをもってしまう。そうやって、本人は生きづらくなり、けっきょく大学院から精神病院に転院することになり、周りは迷惑し、少子化も進む。
沢山の暴論(ネタ)を含んでおり批判が集まりそうであるが、これは本を書いている著者が自身を皮肉っている文章とも取ることができ、非常に面白いと思った。
確かに「本など読まないヤンキー」は比較的『動物的な生き方』をしていると言える。子孫繁栄という我々の動物的使命のためには、社会的体裁どうこうなど関係なく、早くに結婚して子供を産んでもらった方が良い。だから彼らの生き方は動物として正しい生き方である。ついでに汗水垂らして働いてもらって税金を納めて子どもを学校に行かせてくれれば、彼らは搾取の対象になるので社会から重宝される存在となる。
しかし「頭でっかち」な人々らは人間らしく頭を使ってしまって、そんな生き方のデメリットを認識してしまう。
実際、特に日本は子どもを産み育てることが難しい環境である。現代における『普通教育』を提供するのはなかなか大変だ。義務教育は中学までとはいえ、中卒での就職はなかなか難しいのが現実であるため殆どの学生が高校進学を志すが公立でも高校に行くのにはある程度の金がかかる。それに加えて友達と遊園地へ行ったりするのにも娯楽費が必要だし、部活をやり始めたり塾に通ったりしたらまた金がかかる。僕のような『留学したい』とか言い出す子どもを産んでしまったなら尚更である。
出産・育児は学べば学ぶほどブルジョワの趣味のように見えてきてしまう。だから当然少子化は進む。
また、日本社会には問題が山積しており、学ぶことによって生まれる不安をメディア、本などがさらに煽っている。おかげさまで一部では『日本はもうダメだ』とか『戦争の危機が迫っている』とか『民主主義が崩壊している』とか、「頭でっかち」どころか陰謀論に近いような考え方まで生まれて手に負えなくなってくる。
加えて、視野を広くしたいとか言いながら大学や大学院へ行って、無意識な情報の取捨選択によって余計視野が狭くなり悪化する。最終的にそれが発展して「こじれた」人生観などを形成してしまうのだろう。
これまた面倒臭い。意図してこうなりたいと思う人はいないだろう。しかしながら、大学や大学院へ行って経済的に成功する人が多いのも事実であり、多くの人が「本など読まないヤンキー」ではなく大卒・大学院卒を目指している。
だからきっと今後もこういう人間は形成され続けるのだ。
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では「本など読まないヤンキー」は何故、動物的な生き方をしているのだろうか。
頭でっかちとの差はいわゆる『天秤』である。産み育て働くことにどれだけのメリット・デメリットが存在しているのか。
当然この天秤は人それぞれの価値観によって異なる。彼らはただ早くから働き子どもを産み育てることの方がメリットがあると考えている、もしくはそのデメリットを考えられるほどの教養がないがために動物的な生き方を選択していることが比較的多いと言える。
『デメリットを考えられるほどの教養がない』というのは問題だ。現在の経済格差(≒教育格差)の帰結と言えるだろう。
しかし、結婚して子どもを産んで働いて税金を納める、悪く言えば『社会に搾取される生き方』は人間が子孫繁栄していくにはもちろん、社会的にも当然必要である。彼らの人生観が「頭でっかち」の人ら同様にこじれたら少子化は急速に進行し、社会保障費は爆増し、それに伴って様々な問題が噴出する。
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どんな生き方が正しいかは神のみぞ知ることでこれは非常に哲学的な問いだ。だから、要は『我々がどう生きたいか』なのだ。
子どもを産まずに経済的成功を目指す、という生き方も認められるべきだし、早くに結婚して子どもを産むことも何も悪くない。両方の生き方にメリット・デメリットがある。
このnoteを見ているあなたはこれからどう生きていきたいのか。
大学へ行って勉強して経済的な成功を目指すことが本当にあなたの生き方なのか。早いうちに結婚して子どもを産むという生き方は駄目なのだろうか。
偏見で天秤のおもりを設定することで盲信的に物事を決めてしまうと、予測していなかったデメリットが現れたときに対処が難しくなる。
それは生き方のみならず、さまざまな選択において重要なことだ。進路選択はそのうち多くの人が人生で一番最初に立たされる岐路であり、今僕はそれを盲信的に選んだことを反省している。
我々は何をすべきなのか、何の為に生きているのか、社会的なしがらみを抜きにして今一度考えてみるべきなのかもしれない。
-profile--
2003年、東京都生まれ。小学校の時に不登校を経験。都内公立高校に入学するも高校1年に中途退学。直後からカナダ・ブリティッシュコロンビア州で約2年間の高校留学に挑戦し、2021年6月末に現地高校を卒業予定。高校1年から現在まで無料塾でボランティア講師を務めている。現在、日本で国内大学への進学を目指して受験勉強中。
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