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お米のご飯 6

藤林邦夫の3分メッセージ(『生きる楽しみ』1991年版、pp.9−10。)

日本人の主食は米でありますから、米だけは自給率を減らさないために
「どんなことがあっても輸入はしません。一粒たりとも!」
と政府は言っております。

実際、それが可能かどうかは知りませんが、お米さえあれば、何とかなるものだ、という気持ちは分かります。

この前の戦争(第二次世界大戦・大東亜[太平洋]戦争)中、また戦後しばらくの間、どんなにお米を有り難く思ったことでしょうか。

お米を買い出しに行く度に、タンスの中から着物が1枚、2枚と消えていきました。あの「タケノコ」生活をいささかでも体験した世代は、お米には深い愛着を覚えるものです。

一時「お米のご飯を食べると頭が悪くなる」と噂になったことがありました。多分、あまりにも美味しいので、食べ過ぎて眠くなり、勉強に力が入らなくなることがあるから、そう言われたのでしょうか。

しかし段々と、日本のハイテク製品が世界の市場を支配していくにつれて、お米の方が、パンよりも、ひょっとしたら頭が良くなるのではないか、という訳で、そのような風説は消えていきました。

川島四郎という栄養学者は「素材に手を加えない食品の方が栄養的には優れている」と言っています。
従って、加工する段階の多いパンよりは、お米のご飯の方が良いというのです。

人生も同じです。
神が与えてくださったのは、何でもあるがまま受け入れていくことです。

自分の人生という土地に、自ずから生じてきたもの、それがなんであれ受け入れて、自分の栄養にしていくと良いのです。

聖書の言葉も、こう語っています。
「感謝して受ければ、何1つ捨てるべきものはない。」

(日本聖書協会口語訳聖書 Ⅰテモテ4.4)


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<著者紹介>
藤林邦夫 1935年(昭和10年)生まれ。日本純信聖書学院自主退学、京都福音教会で、35年牧師として従事。ホザナ園園長も務めた。1992年2月召天。
この一連のエッセイは、亡くなる直前の4年間に書き溜めたもの。


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izaya Fuhibayashi
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