足に湿布
湿布はお友達である。
腰痛持ちの私は湿布と長い付き合いなのだ。
カットバンが友達だと思っていたが
特に仲が良かったのは小学生時代で
20代になってからはカットバンより湿布と仲を深めた。
ちなみに大親友はロキソニンとデパスだ。
ロキソニンがないと女の子の日は生きていけないし
デパスがないと日々の生活がなかなかに困る。
貧血の薬は謂わばパートナーだ。
代わりなど誰もいない
一生を共に生きるであろう大切な薬だ。
私はよく腰に湿布を貼った。
お風呂上がりにピタッと貼るとヒヤッとして
スースーして気持ち良い。
オォォォオ!
湿布を貼ると、貼られた場所の皮膚感覚が変わる。
効いている証拠であろう。
いいぞ。その調子だ。ナイスファイト。
私はまるでアスリートのコーチのように湿布に声をかける。
湿布を貼りながら寝て
朝になったら劇的ビフォーアフターのごとく
腰痛が治ることを願う。
腰痛は厄介だ。
見た目には変化はない。周りからは分かりにくい。
湿布を貼ろうが貼らなかろうが
周りには痛みは分かりにくい。
その特性を知っていた某利用者はよく、「腰が痛い。」と仮病を使い、作業をサボッた。
実に賢い。
仮病癖がある人だから半信半疑だが
腰痛は見た目には分かりにくい。
無理矢理作業をやらせては虐待になりかねない。
かといって仮病を許してしまえば
そのままサボり癖がついて非常によくない。
見極めが肝心である。
その人の施設利用は特殊ケースであり
各施設や病院や市役所を巻き込んで巨大チームを作っており
担当者は私が任命されていた。
近隣他施設やご家族が引き受け拒否をしており
我が現場も大反対していたが
施設長からゴリ押しされたのだ。
代わりに、利用の際には他の利用者より事細かなルールや制限があり
本人とご家族には了承を得ている。
もちろん、利用開始前だけでなく、利用開始してからも想定内や想定外の問題行動はいくつもあった。
警察沙汰だ。
だから受け入れ反対だったのに…
と言ったところで無駄である。
私はその利用者の担当責任者であった。
問題行動は責任者の私の力量不足として上から怒られる。
責任者として放っておくわけにはいけない。
利用者を信じる。
ただし、言うこと全てを盲信してはいけない。
これは、福祉職員の鉄則である。
自称腰痛の利用者をじっくり観察した。
私も腰痛持ちだから分かる。
腰痛の人は腰を庇うあまり前傾姿勢になりがちだったり
立ち上がる時に痛みから「いででで…。」と言ったり、顔を歪める。
動作がぎこちなくなり、鈍くなる。
作業を休むほどの腰痛とはこういうことだ。
ところが、その人の動きは前日と全く変わらなかった。
仮病のレパートリーはあるが、演技性が伴わないところがまだまだな方だった。
数年後には歯の痛みというこれまた素人目には分かりにくい仮病を習得し
ご飯を残すように調整するずる賢さを得ていた。
だが、甘い。
歯が痛いとご飯を残すというよりは
食べる時に顔を歪めるのがポイントなのだ。
いつもと同じ顔で好きなおかずは完食では
まだまだ演技力が足りない。
演劇大好きな職員である私を舐めてはいけない。
腰痛を訴えてから数時間、数日
私以外の職員も目を光らせていたが、いついかなる時でも態度は変わらなかった。
体調不良というのは目に見えて分かりやすい。
感情を言葉や表情にすることが苦手な利用者であっても
体調不良に関しては、体の動作や体の変化に出やすく
常にそばにいる職員ならば、違和感に気づきやすいのだ。
しばらく観察して、私は利用者の腰痛が仮病であるだろうと判断し
個室に呼び出した。
ここからが責任者の手腕である。
優しくするだけでは利用者は伸びない。
優しくするだけではなく、悪いことは悪いと叱り、その悪いことをするとどういった影響が起きるのかを伝えなければいけない。
個室でしばらく話した後、利用者は作業に戻った。
何故仮病を使うか
理由は分かりきっていた。
他施設のショートステイが嫌いなのである。
だから他施設のショートステイの前日、前々日になるとあの手この手で仮病を使うことは分かっていた。
本来ならば、利用者にも人権があり
行きたい施設を選択する自由がある。
嫌なら辞めてもいいし、嫌なら他施設を探すのが通常である。
本人の要望を聞いて、応えられる限りは要望に応じるのも分かっている。
ただし、限度はある。
その人は特殊中の特殊ケースであり
我が施設と、そのショートステイの受け入れ施設以外は
我が県の全施設がお断りであった。
複数の県も絡んでのプロジェクトであり
他県からも受け入れ拒否されているレアケースである。
我が施設は、ショートステイをしている施設が受け入れを了承したから利用を承諾したし
ショートステイ受け入れ先も、日中は我が施設を利用することが受け入れ条件だった。
つまり、この2施設もしくはどちらかを拒否するとなると、もう行き場所が全くない。
ご家族は受け入れ拒否をしているし、施設からの連絡も無視されていた。
問題行動もいくつかあったことから、甘い顔ができないタイプの利用ケースであった。
自分だけでなく、利用者の腰痛騒動の様子を見ると
私はあの日を思い出す。
湿布にまつわる思い出である。
あれは、私が23歳の頃だ。
私は福祉の専門学校二年生であった。
私の専門学校はボランティアが必修であり、半日以内のボランティアを0.5回、一日のボランティアを1回計算し
年間で5回以上(だっけな?)のボランティアを毎年こなさいと単位がもらえなかった。
ボランティアというと無償のイメージがあるが
ボランティアにも無償と有償のものがある。
そして我が学校の場合は、無料だが単位がかかっているので
純粋な善意だけのボランティアとは言い難かった。
もちろん、嫌々ではない。
ボランティア募集は学校掲示板にたくさんお知らせが貼ってあり
基本的には自分で好きなものを選んで行っていいのだ。
福祉の学生であった我々は、福祉施設のボランティアに興味はあったし
更に、福祉施設の入社の事情にも絡んでいた。
新卒者の場合、福祉施設はコネ入社が強い。
実習先やボランティア先で働きを認められれば「うちで働かないか?」と声をかけられ、形だけの入社試験、面接というのが当たり前の世界だった。
だから、自分が気になる施設にはガンガンボランティアに行き、自分を売り込み、また、内情を探って良い施設かどうか見極めるというのは大切なことだった。
大学の頃、大学院受験を目指した時期もあったし
一般就活をして内定をもらったりもしていた。
だから、ボランティアや実習先で内定をもらえることが当たり前という福祉業界のルールに
私はビックリしていた。
大学院試験には大学院試験の
一般就活には一般就活の
福祉業界には福祉業界の
それぞれのルールや当たり前があった。
戦い方は違うし、戦い方を知らないと勝利は得られない。
私は障がい者施設就職希望だった為
一年生の頃から、障がい者施設を優先して実習したり、ボランティアに行った。
二年生の頃には様々な経験から
①障がい者施設(授産施設)
②障がい児施設
③高齢者デイサービス
の順に、就職先に興味を抱いていた。
気になった施設で必ずしも求人が出るとは限らないし、声をかけられた施設が自分の条件と必ずしも合うわけでもなかった。
実習やボランティアを通して、落胆したことももちろんある。
まだ内定をもらえていない時期、私にできることはボランティアをたくさんすることだった。
私の家の近くに障がい児施設があったので、私は一年生の時にボランティアに行った。
障がい児と一緒にプールに行き、スイカ割りや花火をやった。
障がいがある人と夏のイベントに参加したのは
人生初体験だった。
そこは一年生の時には求人が出ていたので
もしかしたら私が二年生の時にも求人が出るかもしれないということで
私は二年生の夏休みも、ボランティア活動に申し込んだ。
そこは夏休み中に毎日ボランティア受け入れをしていたのだ。
ボランティアに行く二週間前、私は左足をひねった。
湿布を貼った方がいいだろうと
私は左足に湿布を貼り、サンダルで通学していた。
夏場は基本的に毎日サンダルで
スニーカーで通学はしなかった。
異変はあっという間に起きた。
私の左足は見るも無惨に赤く腫れ上がった。
私は慌てて皮膚科に通院した。
医師によると、湿布を貼っていた場所に日光が当たると腫れてしまう場合もあるという。
光線過敏症
というらしい。
湿布で腰がかぶれることはあったが、まさか湿布をしていた場所に光が当たったらそれ以上に激しくかぶれるとは思わなかった。
確かに湿布の保管場所は冷暗所というか、光に当たる場所にいちいち置いてはおかないが
まさかこういった注意点もあるとは知らなかった。
今まで湿布を肩や腰や背中以外に貼ったことはなかった。
全て、洋服で隠れる位置だ。
今回は人生で初めて足に湿布を貼った。
よりによって夏場だから
素足で過ごす事が多かった。
なるほど、だから今までは同じ湿布でも反応は出なかったのだ
と、私は感心した。
足に湿布を貼ったのは医師の指示ではなく、私の独断だった。
腰痛持ちの私は、湿布は家にいくらでもあった。
それを安易に自己判断で使った。
その結果がこれだった。
湿布を貼った場所に日光を当ててはいけない。
湿布を剥がしてからも、最大四週間は反応は出てしまう
と、腫れ上がった左足を見てから知った私は度肝を抜かした。
まさかそんなに湿布と日光が密接な関係とは知らなかった。
私は障がい児施設のボランティア中止を余儀なくされた。
左足が治るまでサンダル禁止令が出たし、包帯グルグル巻きにしたり、靴下をはいたりしないと野外に出られなくなった。
とんでもない夏になってしまった。
私は湿布を舐めていたし
日光も舐めていた。
日焼け止めを塗り、日焼けやシミを防ぐことばかりに意識がいっていた。
それからは湿布を買ったり、病院から処方される際は光線過敏症のことを伝え
湿布を慎重に選ぶようになった。
左足はすぐには治らなかったのだ。
私が社会人だった頃、福祉施設で働いていたこともあり
職員は腰痛持ちが多かった。
私がデスクの中にロキソニンとデパスを常に入れていたように
別の職員は常に湿布を用意していた。
職員から
ロキソニンの湿布
があると教えられ、1枚もらった。
ロキソニン×湿布はすごそうだが
肌荒れも気になったし
左足のトラウマもあったので
試すだけ試した後は
病院から処方された湿布を使い続けている。
私は肌が弱い。
すぐに反応が出やすかった。
もしかしたらあの時、左足が腫れなかったら
私はそこでご縁があったかもしれない。
就職していたかもしれない。
だけど、ボランティアキャンセルをきっかけに
学生時代にその施設と関わることは二度となかった。
再会したのは私が社会人五年目の頃で
障がい者や障がい児関係の研修時の講師が
その施設の方だった。
大規模の研修だったし、私は研修後は施設に戻って仕事だったので
あえては声をかけずにその場から去った。
人生とはそんなものである。
どこで何が縁になるかは分からない。
私が次に働く場所も、思いがけない人や場所から縁が繋がるかもしれない。
良縁になるといい。
私が信念を持ち、まっすぐにやりたい方向に進んでいたら
思いやりの気持ちを忘れずにいたら
きっとどこかで道は開ける。
そう信じて今日も生きる。
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