お墓を買った祖父と墓じまいを考えた孫
私は本家の娘である。
謂わば墓守りの役目がある。
自宅から歩いていける場所に
先祖代々のお墓がある。
その墓地にはたくさんのお墓があり
うちのお墓の隣には
分家のお墓もあった。
毎朝仏壇に手を合わせる。
仏壇の部屋には亡くなった親族の写真が額に入れられて飾られ
お盆には迎え盆送り盆を行う。
親族がたくさん集まる。
本家とはそういう場所である。
私が中学生の頃
祖父が家族に内緒で大きな買い物をした。
お墓である。
我が家のお墓は周りと比べても大きな物であったし
立派な方だったと思う。
ただ、年季は入っていた。
祖父は寡黙な人であり、家族ともほとんど会話をしない。
そしてお金を貯めるのが好きで
無駄遣いをしない人だった。
そんな祖父がいきなり、お墓を買った。
500万だったらしい。
私達家族は後からその話を聞き
それはもう驚いた。
祖父がお墓を新しくしたがっていたなんて寝耳に水だったし
お墓が500万もするということも私は驚いた。
中学生の私はお墓の相場を知らなかったが
かなり高い方ではあったらしい。
そうしてあっという間に
我が家のお墓は新しくなった。
今までのものよりも大きく
立派で美しく
堂々としたお墓だった。
今風のお墓でもあった。
たくさんのお墓がある中
我が家のお墓は明らかに大きく
非常に目立っていた。
分家のお墓はもともとこじんまりとしていた為
余計に差が際立った。
祖母は祖父に「お金をそんなに勝手に遣って!」だかなんだか小言を言っていたが
できあがったお墓を見ると
これがおじいちゃんがどうしても欲しかったお墓か……
と、見とれた。
それほどに美しいお墓だった。
祖父は口下手で、本当に話さない。
未だになんであの時お墓を買おうと思ったのか
それは分からない。
ただ、祖父が貯めるに貯めたお金を遣って買ったものがお墓ということが
祖父らしさを表していたのかもしれない。
祖父はもしかしたら自分の死期を悟っていたのかもしれない。
だから自分が死後入るお墓を
新しくしたかったのかもしれない。
祖父が倒れたのは
お墓を建ててから半年後だった。
やがて私は社会人になり、障害者福祉施設に入職した。
そこで私は年配の利用者Aさんと出会った。
Aさんは強面で頑固な職人気質の方だ。
相手が施設長だろうが主任だろうが若い女性利用者だろうが
態度を変えず、強気だった。
相手がどんな人であれ媚びない様子が漢だった。
そんなAさんは
段々と自宅での一人暮らしの生活に支障が出てきた。
Aさんは奥さんが亡くなっていたが
息子さんがいた。
だが
ご家族との関係は良好とは言えず
息子さんは施設からの電話や福祉課からの電話に出ず
書類に目を通したりもせず
家族がやるべきことは放棄していた。
だが、年金をしっかり搾取しており
施設側としては頭を抱えた。
息子さんが家族としてやるべきことをやらないならば
本来ならば福祉施設や福祉サービスは利用できない。
Aさんに金銭管理サービスを適用したり
入所施設に入所できるよう話をしたりと
ご家族と話したいことはたくさんあった。
だが、Aさんは息子さんに対しては弱気だった。
現状維持を希望したのだ。
理由を尋ねると、「お墓に入れてもらえなくなるから。」と話していた。
お墓に入りたい。
それは私からしたら意外な答えだった。
祖父といい
Aさんといい
高齢者の方にとってお墓は
私が考える以上に大切なものなのだろう。
祖父やAさんと出会い
私はお墓に重きをおいている人もいると知った。
それから時は流れ
デザイン的なお墓が流行りだした。
それまではお墓といったら
灰色で長方形の墓石で、名前が入っているものが普通だったが
最近ではデザイン的なお墓が増えた。
墓石も灰色とは限らず
形も球体だったり、正方形だったりとバラエティ豊かで
そこに【絆】【愛】【ありがとう】等
メッセージが描かれていた。
お墓は段々と
ご先祖様のものというよりも
個人を大切にし
個人の趣味や生き様をあらわすものに
変わりつつあった。
祖父が新しくお墓を建てた後
墓場では同じようなタイプの新しいお墓が増え
やがてデザインチックなお墓も増えた。
お墓の移り変わりを見た気がした。
それから更に時は流れ
お墓は更に進化をした。
樹木葬の誕生である。
樹木葬はお墓のアパートのようなもので
値段も20万円前後と手軽である。
先祖代々のお墓ではなく
小ぶりなお墓で個人向きなもので
お墓の手入れは非常に楽である。
私は樹木葬を初めて見たのが
アラサーになってからで
しかも婚約破棄をしてからだった。
お墓は更に形を変えたのだと思った。
個人を尊重し
自分らしく生きるという時代の流れにより
晩婚化は進んでいる。
結婚をしても子どもがいない夫婦もいる。
子どもに恵まれなかった夫婦もいれば
あえて作らない夫婦もいる。
拡大家族から核家族化は年々増加し
更に生涯独身の方も増えつつある。
それがお墓にまで反映されだしたのだ。
今まで私は
本家を継ぐ者として
誰かを婿として迎え
子どもを生み
家族でこの地に住み
お墓を守っていくのだと思っていた。
それが普通だと思っていたし
私ならばできると思っていた。
だけど婚約破棄をして以降も
私は恋愛が上手くいかず
結婚には至らず
未だに独り身だった。
私は30数年生き
出会いと別れを繰り返し
もうこの年になったなら
この人生では結婚や妊娠は難しいだろうと思うようになった。
両親と私が元気なうちは
本家の者としてお墓を守り
手入れをしていきたいと思う。
だけど
私や家族が体調不良、もしくは亡き後
他の親族に墓守りを託すのは
申し訳ない気がした。
母親は私が跡取りを産めなかった場合
姉の子やいとこの子を養子縁組しようと考えているようだが
それもまた申し訳なかった。
もはや本家跡取りが呪いのように感じた。
強いしがらみのように重くのしかかっている。
本家跡取りの立場である私は子どもに恵まれなかったけど
姉やいとこは子どもに恵まれた。
血筋は途絶えない。
本家や分家にさえこだわらなければ
血筋は途絶えない。
子ども達にはいつだって未来がある。
お墓が形を変えたように
本家や墓守りにこだわるのは
もはや時代遅れなのかもしれない。
私は今年のお盆にみんなの前で話した。
「もしも私が今後結婚や出産ができなかった場合は墓じまいをして、私は樹木葬に眠っていいかな?
多分もう出産は厳しいと思う。」
父親は了承してくれた。
私はそれにホッとした。
本家が滅びるのにお墓だけあるなんて滑稽だ。
私が結婚できない場合は墓じまいをし
一人で樹木葬に眠る。
それが本家に産まれた私ができる
せめてものことのような気がした。
祖父は自分の死期を前に
立派なお墓を買った。
そして孫の私は自分が出産できないであろうことを悟り
墓じまいについて考えだし
樹木葬で眠ることを望んだ。
お墓の価値観は
その人により
その時代により
変わっていくものなのかもしれない。
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