ラジオ世代とradiko世代
私はラジオを聞かない子どもだった。
父親の話によると
昔ラジオは大ブームだったし
みんなが深夜にラジオを聞いていたらしいが
私はラジオを聞いた覚えがない。
それどころか
周りの友達でラジオを聞く人も特にいなかったし
ラジオの話題になったこともなかった。
ラジオというと、母親の印象が強い。
家族で出掛ける際は母親がワゴン車を運転し
車内ではラジオがよく流れた。
母親と父親がラジオが好きだからだ。
両親が聞くラジオを私はついでに聞いていたレベルだったし
私は車酔いしやすく
車に乗り込んだらすぐに寝るように気を張っていたので
ラジオはいつも子守歌だった。
母親は福山雅治さんが好きで、土曜日に家事をしながら
福山さんのレギュラーラジオを流していた。
私は母親と話したり、料理を手伝ったりしながら
ラジオを聴いていた。
母親の影響で福山さんを知り、母親の影響で福山さんのラジオを知り、福山さんの話術が素晴らしいことを知った。
福山さんのラジオを聴きながら土曜日にまったり過ごし、思わず笑ってしまう時間は幸せだった。
私の中学時代の親友は福山さんの大ファンで
彼女ももちろんラジオを聴いていた。
友達とラジオの話をしたのは
これが初めてだったと思う。
当時、イケメンといったら、不動のナンバーワンがキムタクで、ナンバーツーが福山さんだった。
私、母親、親友は福山さん派で
福山さんの話でよく盛り上がった。
CDをよく聴いたし、カラオケでよく歌ったし、ラジオをよく聴いた。
親友も母親も部屋にデカデカとしたポスターを貼っていた。
テレビに映れば、三人でキャーキャー騒いで見た。
福山さんはイケメンなのに、下ネタやくだらない話が大好きで
ラジオでもリスナーを散々笑わせたが
親友に誘われて行ったライブでも
MCで散々笑わされた。
私が行ったライブでは、耳垢の話を力説していた。
イケメン人気不動のナンバーツーが
ライブで約三万人の前でマイクを使って耳垢の話をするのだからたまらない。
だから私は福山さんが好きだと思った。
母親がラジオを流していれば、ついでに成り行きで聴くだけの私は
やがて学校を卒業し、障がい者福祉施設に入職した。
そこでは、利用者を乗せて運転する業務があった。
「ともかさん、ラジオつけて。」
私の担当利用者の中には、熱狂的なラジオ大好き人間がいた。
私は普段自車ではCDしか聴かないし
利用者から要望がなければ、人を乗せている仕事での運転の場合、車内で何も流さなかった。
運転に集中したいから、雑音をシャットダウンしたかった。
そんな私のポリシーをぶち壊したのが、その利用者だった。
利用者からの要望は無碍にはできない。
「??ラジオってどこでつけるんですか?」
私は利用者に聞いた。
普段、自分の車でさえラジオを聴かない私は
公用車の勝手はなお分からなかった。
公用車は10台以上あるし
毎回同じ車に乗るわけでもなく
最低限の使い方しか知らずに乗る場合が多かった。
ラジオ大好き人間の利用者は、私にラジオのつけ方を教えた。
AMだかFMだか
周波数がいくつだとか
知識で知っていても、何が何だか分からず
利用者に言われるままに操作した。
そして、ラジオを聴きながら、送迎をすることになった。
夕方の送迎ではいつも、ビールを注いで飲むコマーシャルが入り
男性利用者や職員と
「あの時間帯のビールの音はヤバいね。」
と、話をした。
私はビールを飲まないからよく分からないが
その音に特化したビールのラジオCMは
ビールを飲まない私にさえ
「お酒好きには堪らない音だろうなぁ。こりゃあ。」
と思わせた。
ラジオではパーソナリティの人が色々話したり
リスナーからのお便りを読んだり
私の知らない曲や知っている曲を流した。
そのラジオの内容で
車内が盛り上がることがあれば
お互いに真剣にラジオを聴いてしばし無言になることもあったし
一緒に歌いながら帰ることもあった。
ラジオで流れた知らない曲に感動して涙し
仕事が終わり次第アルバムを買い、そのままライブチケットまで買った日もあった。
忘れもしない、平原綾香の「マスカット」である。
母親のついでで聞いていたはずのラジオは
社会人になり、特定の利用者を公用車に乗せる時に流すものに変わった。
なるほど、ラジオも案外いいもんだな。
利用者がきっかけで
私もそう感じるようになるほどに変化した。
アラサーになり、彼氏ができた。
その彼氏は某ラジオ番組が大好きで、毎週必ず聞いていた。
公開収録にも行ったり、ステッカーをもらうほどのガチさだった。
だからそのラジオの日にデートをすると
私もそのラジオを一緒に聴くことになった。
大抵は私がご飯を作るタイミングだった。
「あの番組、面白いよね。私も職場で聞いてるよ。上司があの番組好きなんだ。」
友達に話をしたら、友達もそのラジオが好きだった。
驚いた。
そんなに有名な番組だとは思わなかったのだ。
私はラジオを聴かないからラジオに疎いし
全然詳しくなかった。
大好きなポルノグラフィティのボーカルの昭仁さんが
オールナイトニッポン(ANN)レギュラーをしていても
あの有名なオールナイトニッポンか。
へぇ~。
でも深夜だし、ラジオだしなぁ…
と、あえては聞かなかったし
オールナイトニッポンをレギュラー番組で持つすごさに
私は気づいてさえいなかった。
ギタリストの晴一さんがCafe in 11(カフェイレ)というラジオ番組を持っていても
私は同様の理由で聞かなかった。
全シングル全アルバムを買い
インディーズ時代の音源や歌詞も手に入れ
歌詞は全暗記し
ポスターを部屋に貼り
テレビ番組は録画していたレベルにはポルノグラフィティが好きだった。
だが、雑誌を全てはチェックしていなかったし(新曲発表ごとに、当時は5誌くらいに出ていたし、一冊500円以上だ)
ラジオは全く聴いていなかった。
私は好きなアーティストであろうとなんだろうと
雑誌やラジオはおさえていないファンだった。
趣味は基本自由だし
好きだからといって全てチェックしなければいけないわけじゃないし
キリがないしと
私はマイペースに彼等の活動を追い、音楽を楽しんでいた。
そんな私に、革命が起きたのが2019年だ。
YouTubeで、「岡野昭仁」と検索をかけたら
様々なソロ音源が見つかった。
私は知らなかったが、ANNでは弾き語りのコーナーがあり、昭仁さんは様々なアーティストのカバーを歌っていたようだ。
YouTubeに上がっていたのは、そのラジオの一部を切り抜いたものらしかった。
私は驚いた。
昭仁さんが歌うカバー曲に驚いた。
それらは音源化されていないし、YouTubeで初めて聞いた。
昭仁さん、歌上手い…
しかも、こんなアーティストやあんなアーティストの曲を、こんなにも歌っていたなんて………
衝撃だった。
それほどに、カバー曲は素晴らしいの一言だった。
更に検索をかけたら、なんとラジオ番組のデータもアップされていた。
昭仁さんがANNをやっていたのはかなり昔のため
今でもアップされていることに驚いた。
私は再生ボタンを押した。
そして一時間、笑い転げた。
昭仁さんがラジオだと、こんなに面白いとは知らなかった。
テレビ番組ともライブMCともまた違う昭仁さんが、そこにはいた。
非常に魅力的だった。
もっと昭仁さんのANNを聞きたい!と思った私は
SNSを通じて
当時ラジオを録音していた方と繋がり
データを譲ってもらった。
YouTube等にあげるのは本来ならば違法行為だし
YouTube等でそれを繰り返し聴くことは
私も違法行為にあたる。
気が引けたのだ。
録音データを手に入れた私は
毎日毎日浴びるほどに、昭仁さんのANNを聴いた。
全て録音データがあるわけではないので
特定の収録のみを
繰り返し繰り返し聴いた。
そしてそのたびに大爆笑した。
眠れない夜や不安な夜は、昭仁さんのANNを流して眠ろうとした。
そんな中、radikoというアプリを知った。
radikoを使えば、リアルタイムではない時間帯でもラジオが聴けるらしい。
周波数を知らなくても
番組名やパーソナリティの方の名前を入力すれば聴けるのも魅力的だった。
radikoを使えば、晴一さんのカフェイレが聴ける!
そう知った私は
毎週火曜日にカフェイレを聴いた。
カフェイレは毎週月曜日23~24時で
普段23:30前には寝る私には時間帯がネックだった。
ポルノグラフィティファンになって15年以上が経つし
晴一さんもレギュラーを務めてから何年も経つのに
初めて聴いたのが2019年なのだから
なんとも不思議な気分だった。
晴一さんのラジオは、非常にクレバーだった。
為になる雑学を得られたし、晴一さんは好奇心旺盛で、鋭い質問をしたり、より話題を掘り下げる才能があった。
リスナーの悩みに寄り添う晴一さんは優しく頼もしいお兄さんだった。
そして、カフェイレでは基本的にポルノグラフィティの曲しか流さなかった。
一時間のラジオ番組は非常に濃かった。
昭仁さんのANNは、ひたすらに爆笑してしまうが
晴一さんのカフェイレは、うんうんと頷いたり、フフッと笑ってしまったり、時に嬉し泣きをさせられた。
見事なタイプの違いのラジオに
私はのめり込んだ。
時間があればANN(録音)を聴き
晴一さんのラジオを火曜日に聴き
更に、私の好きなアイドルも火曜日夜にラジオ番組を持っていたので
火曜日は好きなラジオ二本立てのような気分だった。
今までは、身近な誰かがラジオを聴くから
私もついでに聴いていた。
だけど私は大人になり、radikoと出会い
自発的に自分の好きなラジオ番組を聴くように変化していた。
自分で自分に驚いた。
たまたま、2019~2020年は昭仁さんも晴一さんもラジオ出演する機会が何度かあり
私はそのたびにradikoを起動した。
スマホで好きな時にたっぷり聴けるradikoは本当に素晴らしかった。
ファンによっては
ポルノグラフィティのラジオを文字起こしにしていたので
私は目で楽しみ
耳で楽しみ
そのたびにワクワクした。
ラジオは姿が見えないからこそ、音に凝縮された魅力が面白い。
コロナ禍という2020年を生き延び
2021年を迎えた。
1月2日25時から、11年ぶりに昭仁さんがANNを復活するとニュースになり
私は2021年が楽しみで仕方なかった。
25時はさすがに深夜過ぎて私は寝てしまったが
次の日に私はウキウキしながらradikoを起動した。
特番の二時間番組は、相変わらず爆笑の渦で
私はお腹を抱えて笑った。
相変わらず昭仁さんのANNは面白いなぁと
笑って笑って笑いまくった。
テレビをつければ、コロナ。
ネットを見れば、コロナ。
世の中は暗いニュースに溢れているのに
昭仁さんのANNを聴いている時間は
そんな現実を忘れられた。
ラジオと昭仁さんの存在の大きさを知った。
昨夜、ドラマ「教場Ⅱ」を見た。
ラストが思いがけずに怖くて、私は夜眠れなくなってしまった。
私はradikoを立ち上げた。
眠れない夜は昭仁さんのANNだ。
radikoからは、私の大好きな昭仁さんの声が聞こえた。
あたたかく、力強く、優しい、私の大好きな昭仁さんの声だ。
昭仁さんが話したり、笑うほど、私も穏やかな気持ちになり
気がついたら朝になっていた。
父親達の世代がかつて深夜ラジオにハマったのはこんな感じなのだろうか。
テレビやYouTubeが普及していなかったあの時代
退屈な夜や憂うつな夜を吹き飛ばす絶大な力が
ラジオにはあったのだろう。
今ならばその気持ちが、少し分かる。
当時、ラジオといったらリスナーはハガキを送っていたのだろうが
今はすっかりメールやTwitterが主流になった。
私は何度も送っているが
まだ一度も読まれたことはない。
晴一さんのカフェイレで私のメールやツイートが読まれることが
私の夢の一つだ。
noteを書き終わったら
昨日のカフェイレを聴こうと思う。