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不眠症気味の父親
11月に入り、父親が眠れない日があるというので非常に驚いた。
何故なら父はよく眠る人だったからだ。
父は20:30~21:00くらいには寝て
5:00くらいに起き
掃除やラジオ体操、ゴミ出しをしたら趣味の散歩に行き、昼寝し
お昼ご飯を食べ、仕事に行く。
そういうルーティンだった。
母が入院してからは散歩には行かず、お見舞いや買い物や雑用で出掛けていた。
休日もよく昼寝をしていた。
寝つきがよく、いびきがうるさかった。
むしろ時間さえあれば昼寝しているため、寝過ぎていて母と私で心配になるくらいだった。
そんな父が、眠れないとは。
その話を母から聞いた時は驚いた。
焦った父は昼寝をしないようにし、日中体を動かした。
それでも、眠れなかった。
話によると12:30くらいに目が覚め、30分以上眠れないらしい。
原因は母娘で分かっていた。
仕事を今月から休職しているからだ。しかもそれが事実上の退職だからだ。
休職は母の不調によるもので、働けるなら父はもっと働きたかった。
不本意な休職といっていい。
母は母で休職中(事実上の退職)だし、今後の生活や母の介護、金銭的な不安が無意識に募り、それが不眠につながっているのだろう。
「仕事辞めてから眠れないよね。」
私が指摘すると、父は驚いていた。
気づいていなかったらしい。
むしろ気づいていなかったことに私は驚いた。
退院してから母は心身不安定になったが
父親の休職が決まると、メンタルは以前より安定してきたし
以前よりデパスを飲む回数は減った。
そして逆に父は眠れなくなった。
悩ましい問題だった。
自分が休職することでメンタルが落ち着いた妻を見ると、仕事がしたいとは言えないだろうし
今もまだ心身不安定なため
諦めざるを得ないのは父も分かってはいるだろう。
それでも思うところはあるのだろう。
以前よりお金にうるさくなったのは不安からだろう。
母は麻痺足だが、歩行器を使ってよく歩いた。
私からも病院からも「お母さんの骨折に気をつけろ。骨折したらもう車椅子生活かもしれない。」と強く言われた父は
母親が危なっかしい行動をするとよく怒った。
私もよく怒った。
母親は以前はしっかり者だったが、入院により認知機能低下が見られ、そこにまた私や父は母親をよく怒った。
母はできた人で怒鳴り返さず、叱られた子犬のような顔をしてうなだれ、涙ぐんだり、泣いたり、落ち込んだ。
「お母さんは役立たずになった。」
「なんで生きているんだろう。」
「なんでこんな病気と体になっちゃったんだろう。」
「こんなお母さんでごめん……。」
それを見たり、聞いた私も父も罪悪感を感じた。
私は部屋で一人泣き、父は怒鳴り過ぎた日はより眠れなくなったという。
それでも一緒に生活をしていると噛み合わなかったり、ストレスや負担を感じ
父はやっぱり母を責めた。
家族介護は限界がある。
だけど母は要支援2のため、使えるサービスは限られているし
心身不調なため、容易に外出もできず、生活に制限も多く、気分転換もなかなかにはかれなかった。
いい方向にいくはずはなかった。
私は私で両親無職のプレッシャーがかかり
今の仕事に不満はあるが辞めるに辞められず
転職活動や転職の気力も体力もなかった。
求人を見てはいるが、なかなかに条件が合うところは見つからない。
帰宅後の愚痴や苛立ちや泣く日が増え、デパスを飲む日が増えた。
父は父で試しにデパスを飲んだらよく効き、眠れない日はデパスを飲むようになった。
不思議なものだ。
あんなに父は早寝していたのに。
あんなに父は昼寝していたのに。
寝ることが容易い人だったのに。
お父さんは無自覚なだけで、相当今の生活が負担なのだろう。
お父さんが倒れたらどうしよう。
私は私で将来への不安が募った。
両親を一人で支える力も自信もなかった。
仕事もいつまで心身がもつか分からない。
分からない。