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溶ける、角砂糖、ユリイカ
暑さで体がうまく動かなくて、キシキシという音がする。蝉はこの季節らしく、喧しく鳴いている。いつまでもねっとりした汗が身体中を取り巻いて、離れることがない。私は俯き加減でスマホを見ながら、駅までの道をトボトボと歩いていた。このどうしようもない暑さを直視したくなくて、ただただひたすら歩き続けている。
例年にない暑さに辟易していて、日中はリビングでクーラーをかけているし、夜は除湿モードにして熱を和らげている。いつの間にか、家に入り浸る習慣がついてしまった。私の安否を気にしてくれたのかわからないが、友人やら家族やらが定期的に連絡をくれて、私はその期待に応えるべく夢遊病者のようにとりあえず外に出る、という日々を繰り返している。
会社の後輩くんたちがさる7月の三連休の真ん中の日、私が住んでいる場所(都内からそれなりに離れている)に遊びにきてくれて、カレーパーチィなるものを開いた。私は朝からせっせせっせと食材を切って鍋に入れてスパイスを入れてぐつぐつ煮る、という工程を繰り返して、準備万端、お昼時に彼らを招き入れる。私の部屋はさぞかし、香ばしいカレーの香りに包まれていたに違いない。私からしたらスパイスの香りは食欲をそそるいい香り、なのだが、嫌いな人からしたらたまったものではないかもしれない。
インドのゴア地方でよく食べられているポークビンダルー、既存のペーストを使ったレッドカレー、ほうれん草を使ったサグカレー、4種類のキノコをペースト状にしたホワイトカレー。さまざまな色をそろえた。割と手間暇かけたカレーたちは食欲旺盛な若者たちの胃袋の中に消えていく。彼らが私のカレーを食べて美味しい、と言ってくれるたびに救われた気持ちになった。あなたも、この場所にいていいんだよ、というような。
※ちなみに私が愛用しているメープロイのペーストシリーズは、他にもグリーンカレーやらイエローカレーやらがあってこれが結構おいしいのです。
いつまでこの生活を続けることができるのだろうか。後輩たちは皆、次々と結婚して新しい生活を手にしている。私自身も、今とは異なる生活を手にしたいと思いつつも、このまま何かにしがみつづける日々が正しいのだろうか、ということも感じてしまう。
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青信号は安全に渡れ、というサインのはずなのに思わず足を止めて私は片手に持った本をじっと見入ってしまった。チカチカと信号が点滅する。
ふと図書館で手に取った一穂ミチの『光のとこにいてね』という本。どこかで聞いたことあるような気がしていたら、直木賞候補となった作品だった。ガールミーツガールの物語なのだが、文章が美しくて一気に引き込まれて、そして彼女たちの数奇で偶然の重なりにどこか胸がドキドキした。年齢を重ねても、不思議なめぐり合わせで再び会うなんてことは、それこそおとぎ話に近いと思っているし、現実にはそんなことありえないと思っているのだけど、それでも、こうした運命が寄り合う行為はちょっとあこがれるかもしれない。
「傍にいてご飯食べさせて愛情をかけるのは、誰だっていいんだよ。産んだ人間のすることだけが特別で尊いなんて思わない」
『そして父になる』でも思ったけれど、愛なんていう言葉はその人のことをどれだけ思ったのかということが重要であって、そこに介在する血のつながりといったものは副次的なものでしかないのだろうと思った。誰かを思う、って言葉にすると単純なことのように思うけれど、実際それを体現しようとすると簡単にいくことではないのではないと思う。
楽しかった時間は、突然柱時計のポーンという音にかき消されてしまう。誰かが、「あ、もう帰らなきゃ」と言って、ゆらゆらと立ち上がる。私は彼らの背中に向かって、「またね」と声をかける。残された廃棄物を目の前にして呆然と立ち尽くす。しばらくそこにあった余韻の塊は消えることがなく、どうすれば良いのかわからずに、とりも直さずコーヒーを淹れてそこに瓶の中に閉じ込められた角砂糖をぽちゃんといれる。
均整のとれた立方体が眠剤となって、口の中で甘く蕩けた。夢だとか希望とか、現実とは少しかけ離れたものはこうしてゆっくりと口の中で瓦解していく。ゆっくり、ゆっくり。人との関係性も、最初はぎこちない距離感で育まれるものだけれど、次第に時間をかけるうちに、いつの間にかその距離感が近づいていく。その反対も同じで、その人を気にかける時間が減っていくと、次第に心が離れていく。
どうしたら、その人との距離感を繋ぎ止めておけるのだろう。わからなかった。いまだに人との距離感に戸惑う。近くなった気がしているのに、いざ足を踏み出そうとするとうまく体が動かなくなる時もあるし、それほどの熱量を釣り合うような形で相手も持っているとは限らないし。
居心地の良い関係性、時間との相対性理論、角砂糖の溶ける距離。
どうしても気力がわかないときは一定期間存在していて、私はその間どうしたらいいのかな、ということをプールの上に浮かびながら最近考えている。どうしたら、私の人生は光を浴びる場所にたどり着けるのだろうか。右手に木べらをもってひたすらフライパンの中身を混ぜ続ける。
人の魂は基本的には三つ子から変わらない。心の本質をとらえようとしていて、一瞬ですべてが消えてしまった日を思い浮かべる。ゆっくり何か記憶が消えて、また新しいものがあとからあとから入ってきて、きっと明日はまた違う人物がそこに立っているのだろう。
どうかその日まで、光のとこにいてね。少し舌足らずで物分かりの悪い子が、何とも言えない顔をしながらその場所に立っている。角砂糖をお菓子代わりに手に持った彼女が、いつか生きている中で世の中の本質を分かったように、「ユリイカ」、と叫ぶ。
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