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『恋する惑星』に巡り巡って不時着する

※『恋する惑星』について、結構 #ネタバレ している部分がありますので、これから鑑賞しようとしている方はそっと本記事を閉じてください。

 疾走感と共に、さまざまな色が錯綜している。

 香港に行った時のことを思い出して記事を書いていたら、数年前に鑑賞した『恋する惑星』を久しぶりに観たくなった。

 どこかで観られないかなと思って調べたところ、ちょうどU-nextでリマスター版が観られると知って、お盆休み前に早速リモコンを手にとった。

 初めて観た時は正直ストーリーの筋をよくわかっていなかったので、前半が終わる頃まで「あ、これって二つの異なる物語やったんや!」と気がつくほどだったのだが、今回新たに観ることによって前よりも全体を俯瞰して見ることができたような気がする(今改めて当時の映画の鑑賞記録を見ると、かなり断片的な部分しか見られてなかったのが窺い知れる)。

↓前回の鑑賞記録

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物語の全体像

あらすじ

 改めて、ストーリーのあらすじをここに記載します。こちら以前に執筆したところから抜粋。

麻薬取引にかかわる金髪の女ディーラーと、恋人にふられ落ち込み気味の刑事モウとの不思議な出会い。そして、モウが立ち寄る小食店の新入り店員フェイと、スチュワーデスの恋人にふられる警官との出会いとすれ違いという、平行線をたどる二組の関係を軸にして展開する、香港ニューウェイブ、ウォン・カーウァイ監督が描く恋愛映画。

 前半と後半で異なる二人の男性が出てくるのだが、どちらも共通して言えるのは、警察官でかつ彼女に振られたばかりで意気消沈している。そして、ウジウジと彼女から連絡が来ることを夢見ている、ちょっぴり痛い男たちなのである。

前半部分(認識番号:223号)

 物語が始まるのは、4月28日。そして舞台の中心となるのは重慶大厦チョンキンマンションの1階にある惣菜やさん。ちなみに、邦題は『恋する惑星』ではなく、『重慶森林』という名前なのです。邦題の方がとても有名だけど、原題は原題で個人的に好き。

 恋人に振られ落ち込み気味のモウは、認識番号として223番が与えられている。彼はメイからまた連絡が来ることを夢見て、時間があればずっとポケベルの伝言メッセージを聞き続けている。

 彼女に振られたのは、4月1日のエイプリルフール(世界共通なんですね)。その日からずっと毎日、5月1日まで彼女が好きだったパイナップルの缶を買い続けている。そしてその缶詰は、決まって5月1日が賞味期限なのだ。きっと彼女のメイと、自分の誕生日である5月1日を掛け合わせているのだろう。実は別れの言葉は嘘で、「ドッキリでしたー!」と言われることを夢見て。そういうなんかダジャレみたいな掛け合わせもめちゃくちゃ好き。

 そして彼はやがてゆきずりの女性と一晩を共にする。彼女もまた、麻薬密輸者として複雑なミッションを抱えていた。ボスから与えられた缶詰には、同じく5月1日の賞味期限。それは同時に彼女の命のリミットも表している。麻薬を密輸してもらうはずのインド人に逃げられ、彼らを無事見つけ出さないと、自分の命も危うい。ギリギリのところで綱渡りをしている状態だったのだ。

 そうした同じ期限のリミット(両者で重さが違うけれど)を抱えたもの同士が出会い、そして交わる。そうした数奇な巡り合わせみたいなものが、不思議と胸にグッとくる。事情を知れば知るほど面白くなる。金城武扮するモウが、「彼女との距離は0.1mm」とつぶやく瞬間、その空気感も好きだ。

 本当に、記憶の缶詰に賞味期限がないといいのにね。

後半部分(認識番号:663号)

 サラダばかり食べる警官、認識番号663号(確か具体的な名前は出てこなかった)は、モウが通っていた惣菜屋に毎晩顔を出し、CAである彼女が好きなサラダを買っていったのだが、飛行機で出会った彼女はある時彼の前から姿を消す。

 彼女はきっといつか戻ってくるはずだと思いながらも、傷心している663号。そこで、現れたのは惣菜やの店長の親戚であるフェイだった。二人は最初は特にそんな意識をしている感じではなかったのに、やがてフェイは彼に恋心を抱くようになる。そして663号宛に、元カノが置いていった手紙から彼の部屋の合鍵をゲットするのである。

 そして663号がいない頃を見計らって、彼の部屋へと侵入し、コップを変えたりサンダルを変えたり、自分が好きな曲のCDをプレーヤーに残したりして、自分の痕跡を残すのである。でも、なかなか663号は自分の部屋が変わったことに気が付かない(これがある意味、この作品のサスペンス的要素の一つでもある 笑)。

 でもやがて663号は、ついにフェイと鉢合わせ。そこで彼女が自分の部屋に合鍵を使って侵入していたことを理解する。こうした一連の流れというのはどこか歪んだ愛情に見えるが故に、やけに新鮮なものとして私の目に映った。

改めて鑑賞した上での、感想

 前回見た時とは比べ物にならないくらい、映像がクリアになったというか、一度見ただけではわからない細かい部分がわかるようになり、もしかしたらこれこそが名作が名作と言われる所以なのかもしれない、と今回再鑑賞して思った。ちょっといくつかご紹介したい。

見事な疾走感あふれるカメラワーク

 これは昔の映画の特徴かもしれないけれど、人が動くと同時にその人に合わせるのではなくてあくまでその動きにフォーカスしている部分がある。今だとパンフォーカスというか、その人に焦点が当てられてカメラワークが進んでいってあまりブレるということがないと思うけれど、あえてブレブレの瞬間があることによって、臨場感というか、その場がどのように動いているかがわかるようになっている。これが冒頭に触れた疾走感につながっている。

男側の主人公のオーラ

 男側の主人公のオーラというか空気感、それからギャップといったものが改めて見るとじわじわくる。主演の一人であるモウこと金城武は、昔日本でも『ゴールデンボウル』とか『リターナー』とか(リターナーは今でも見返したい映画10本の指に入るくらい好き)にも出ていて、その頃から妙な色気がある人だと思っていたけれど、本作品ではどこか未熟な部分も見え隠れして、それがまた変なところを刺激される(電話するときなんかかなり甘えた口調でちょっとびっくりした)。

 それから、もう一人の主人公である663号ことトニー・レオンは、なんといっても渋い。タバコを吸っているのが様になる。それなのに、人形やタオルに話しかけたりなど、改めて見るとかなりコミカルというかむしろシュール。そしてブリーフ一丁でタバコを吸うのもまた、微妙なギャップがあるのだけど、それもなんだか許せてしまうところにこの作品の良さが表れているように思う。これを意図しているのであれば、ウォン・カーウェイは天才である。

それぞれの物語が錯綜する瞬間

 そして今回改めて気づいたのだけど、前半と後半って途中物語が切り替わるところ以外は関わるところってないと思っていた。ところが、だ。

 再度見てみて、実は本人たちが預かり知らないところで、後半の主人公がさらっと現れているところに気がつく。フェイは、663号の部屋に置く人形を買うために玩具屋から現れるシーンが一瞬前半部分出ててくるし、663号自体もこれまた一瞬だけ橋の上で立つ姿が出てくるのだ。

 これ他人の空似じゃないよね……と思ってその後の展開を見て、「あ、やっぱり彼女だったんだ!」と見つけた時は勝手に部屋の中ではしゃいでいた(もしまだ見つけていない方は、ぜひ再鑑賞を!)

 この登場人物同士の、本人たちの意思とは関係のない部分で関わっているといったところが見え隠れする部分、ディズニーランドで隠れミッキーを探すかのようなちょっとした余韻を伴った楽しさがある。

彼女は夢遊病者?

 これは私の穿った見方かもしれない。663号の部屋にフェイが入った時、彼女は薬のようなものを2錠、彼の冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターの入ったボトルにポトリと入れるのだ。正直、この光景に私は頭の中で「?」が浮かんだ。単純に彼を眠らせて、部屋にいられる時間を伸ばしたいのかと思っていた。

 でも、その後の流れを見るとさしてそうした目的のために入れたとは思えない。そして物語の途中で、店長とフェイが言葉を交わすところで「病院に行ってきた」と話す場面があったのだ。もしかしたらフェイは、なんらかの精神疾患を抱えていて、そのために処方されたのが睡眠薬2錠だったとすれば筋がとおる。それを彼の飲み物に混ぜることによって、彼をなんらかの代替とみなしたかったのではなかろうか。

 それを踏まえると、最後の場面もまた様相が変わってきて、彼女がこれまでとは異なる姿で現れたということも、果たして事実として受け入れていいのかどうかが怪しくなってくる。

なぜ前半と後半で分かれているのか?

 これも今回気になったところの一つだった。あえて邪推するのであれば、前半は後半に対する伏線になっているのではないだろうか。

 前半のエピソードでは、モウが一晩の関係を持った金髪の女性は真の正体が麻薬密輸人。そして彼女はその姿がバレないようにサングラスをかけている。対して後半に登場するフェイは、むしろ開けっぴろげな性格でその感情がむしろ表に迸っている状態である。

 男との関係性も正反対で、金髪の女性は警察官から追われる立場、対してフェイはむしろ男を追う側として描かれている。そうして、一種対照的な関係性を描くことによって光と影の密度を高めようとしたのではないかと思ってしまう。

 まあそうしたさまざまな考察ができるところも本作の魅力で、単なるラブロマンスとして見るのではなく、なぜ監督が「森林」というともするとおどろおどろしい名前にしたのかも色々推察したいものである。

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 名作は、噛めば噛むほど味が出る。
 彼女の夢が醒めないように、とただ祈るばかりだった。ママスアンドパパスの『夢のカルフォルニア』、この作品を見ると本当に夢に出るのかと思うほどリピートされてしまう。


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だいふくだるま
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