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働くことを振り返る その③ 飲食関連企業でのミスマッチ

まえがき

アルバイト時代、ファミレスでの経験を経て、学生時代に専攻していたプログラミングの経験を生かし、SEに。しかし新卒一発目の配属先が大炎上プロジェクト。頼れる先輩もいない状況に加え、長時間労働。耐えきれず半年で退職。同期の半数は辞め、社長にも退職を促すような嘘をつかれるも、知識がなく見抜くことができなかった。今回は退職してからの転職活動、そして2社目として入社した飲食関連企業での一年間について。
これまでの記事はこちら
その① ファミレスでのアルバイト
その② 新卒でSEとして入社したIT企業

転職活動と経済的不安

結論から書くと、8月に退職をし、11月に次の入社が決まりました。それまで2ヶ月間は転職活動に費やします。新卒を半年で辞め、やはり社会の風当たりは強かったです。当時はパワハラという言葉もまだ知られておらず、圧迫面接をする企業も多くありました。そして唐突に転職活動をすることになったこと、初めての転職活動ということで、転職活動のいろはも分かっていませんでした。毎日ハローワークに行っては求人を探し、応募してみる、この繰り返しでした。今のようにネット媒体を使おうとか、人材紹介を使おうとか、そういった事は分かっていませんでした。
また、それと同時に経済的不安がやってきます。学生時代は通学のための交通費や教材費と遊行費にバイトで稼いだお金は消えていき、貯金はほぼありません。当時付き合っていた彼女とも、会うことも少なくなり疎遠になりました。

助けてくれる人の存在

そんな中、助けてくれる人がいました。一人は学生時代にお世話になったファミレスの店長です。転職活動期間中は、深夜の人手が足りないからとお世話になることができました。日中は転職活動、夜はアルバイトと結構ハードな日々でしたが、とにかく速く働かなくては…の一心でした。それは、親の理解がなかったからです、SEを辞めた時も「あんたにSEなんて無理なのよ」と言われたり、「どこでもいいから速く働きなさい」と急かすようなことばかり。これが嫌になり、あまり家には居つかなくなりました。
そしてもう一人は、学生時代に付き合っていた彼女。当時派遣で働いていたようで、そこでシステムのテスト要因が足りないから来ないか?と誘ってくれました。彼女には精神的にも、経済的にも頼った部分が多かったです。しかし、親の圧力や若い男が派遣でいいのか、と良くわからないプライドから数日で派遣のお仕事は行かなくなってしまいました。

転職先として考えたこと

秀でた能力があるわけでも、なにか特異な資格があるわけでもなく、またIT業界で働くしかないのか、と思う一方もう少し腰を据えて落ち着いて働きたいという思いから、転職先を模索するようになります。そこで出会ったのが管理部門のお仕事でした。管理部門とは総務、人事、労務のようないわゆるバックオフィス。ハローワークで見つけた飲食関連企業に面接に行くと、社内には年配者が多く、若手であることに加えシステムに明るい人がいないという事で、内定をもらうことができました。社内で落ち着いて、会社の経営や運営について勉強できたらいいなと思って入社を決めます。

入社してからのミスマッチ(確信犯??)

しかし、入社してからの現実は違いました。この企業、学校給食を受託調理したり、社員食堂の運営を関東を中心に行っていました。そのため、パート、アルバイトの方が多く、お子さんの都合等で日々どこかで欠員が発生するのです。最初は研修だと思って、その穴埋めに日々あちこちを奔走していましたが、社内にいる日は何も仕事がありません。ボーッとしているわけにもいかず、無駄に書類を読んでみたり、一日が苦痛で仕方がなかったです。今のように一人一台PCがある環境でもありませんでした。想像ですが、おそらく最初からそのような穴埋め要因として採用したのかなと感じています。それまではマネージャークラスが欠員フォローに行っていて、若く言うことを聞く人が欲しかったんでしょう。

我慢するか転職するか

その後、入社前と入社後の職務が違うことを、上司と話をする機会を設けました。しかし、この企業は家族経営みたいな形だったので、明確な職務範囲とか、キャリアとか全くなく、「そういう人も必要だ」とか、「何事も経験だ」とかそんな精神論で丸め込まれていたものです。ただし、すでに新卒を半年で辞めている…という引け目もあり、すぐに辞めることは避けました。働きながら転職活動する道を選んだのです。そして介護職から内定をもらうことができました。しかし、不規則な勤務形態や、給与面で折り合いがつかず辞退する選択をしました。これは働きながら活動をしたメリットだったと思っています。そして、それから数カ月後、地元の総合病院に内定をもらうのでした。

辞めると伝えた時

正直なところ、働いている中で今ならパワハラと取れるような発言や、人を見下したような言動がこの職場には多かったと思います。
そして転職先が見つかったので、退職をしたいと伝えると、最初は断固拒否されましたが、もうこれ以上現場の調理補助みたいな事をしていても、自分の将来もない、そう感じていたので退職届を出し強行突破。約1年勤務したましたが、当初言っていたバックオフィスのお仕事はほぼしていません。
日々現場に駆り出され、学校給食は調理し始めるのがとても早いのです。
一番早かった所は5時、ほかは大体7時から始まります。ただその分終わるのも早いです。2時、3時には仕事は終了します。しかし、自分の場合、その後事務所に戻っていたのですが、残業代も一切ついていません。これは完全は違法ですね…。ちなみにタイムカードもなく、勤務管理簿のようなものに手書き。といっても毎日9:00~18:00と記載するだけでした。

こういう企業は衰退する。

結局、この企業数年後に大手に経営権を売り、今は存在していません。
あのような組織運営をしていたら、企業規模の拡大もできなければ、おそらくコスト管理もできていなかったからでしょう。私は早々に離れて良かったと思っています。そしてこの経験はその後の仕事に対する考え方や、人事面のお仕事をする際に、一方的に仕事をさせる視点ではなく、相手の幸せにもつながるのかという視点を持つことができるようになりました。
また嘘はつかないことです。入社させてしまえば、後は何を言っても辞めないだろうとか、そんな人を大切にしない企業は存続しません。

早くも3社目へ

この企業を退職し、総合病院へ転職します。ここではシステム経験を買われ、電子カルテやオーダリングシステムの導入プロジェクトに携わったり、医療事務にも従事します。目の前に患者さんがいるという社会的責任など、とてもやりがいのあるお仕事と出会うことができ、周りも同世代が多く、仕事だけでなく、深い人としての出会いもありました。
このお話は第4回で。


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