あなたが辛い理由と異端について。そして僕たちはプリズン・ブレイクする。
「みんなはできるのに?あなたがサボってるだけでしょう?」
ちょうど2年ほど前、僕は上司に呼び出されそう告げられました。
こんにちは、ライフコーチのだいです。
僕は今でこそこんな感じでぬるぬると生きていますが、ほんの数年前は全く違う世界に住んでいました。
自分の良さなんて役に立たないだろうと切り捨てて、足りない部分をどうにか埋めようと自分で自分を叱咤する日々。
頑張れば頑張るほど苦しくなって、それなのに一向に前に進めない、それどころか泥に足を取られるような心地でした。
そんな世の中で生きていくしかないと「諦め」という蓋をして生きていました。
それでも、遠くの方を見つめると、短所や長所などには目もくれず、自由にやりたいことを楽しそうに遊んで暮らしている人たちが目に入ります。
僕はこんな世界で生きているのに、なぜあんな自然体で楽しそうに生きてる人がいるんだ?何が違うの?
それはまるで、境の見えない牢獄のようでした。
もし、あなたが過去の僕と同じような世界に住んでいるのだとしたら、その辛さはどこから来るのでしょうか?
そして、辛さの牢獄から脱獄する術はあるのでしょうか?
今回は、そんな辛さの仕組みと異端、そして牢獄からプリズン・ブレイクする方法について話していきたいと思います。
はじまるよーーー!
あなたは異端
まずはじめに、
僕たちには、それぞれ自分たちの価値観があります。
価値観とは言い換えるとその人間の文化と言え、これまで培ってきた経験の結晶でもあります。
簡単には揺らがない、それぞれが持っている人生観。その価値観が人の行動や人間関係、喜怒哀楽といった感情にまで直結します。
そしてそれらは、人によって異なります。いわゆる多様性、多種多様、まさに人の数だけ存在します。
ですが、ここに、辛さの原因となる忘れてはいけない問題があります。
法は一つなのです。
価値観の数に対して、絶対的に法の範囲が狭すぎるのです。
そこにズレが生じます。
法というと分かりにくいかもしれませんが、ルールや常識と言い換えてもいいかもしれません。
「だいたいこれはみんな一緒だよね」という理由で決められるものです。
会社やコミュニティであれば独裁者の一存で決められるかもしれません。
そして、他人に「枠」を決められるということは、「枠外は間違えてる」ということであり、その部分を非難されると「異端」となります。
そのズレがあなたの辛さに繋がっているのです。
要するにあなたが悪いというよりは、あなたの価値観にその法が適応されなかっただけのことなんです。
イエス・キリストさんはユダヤ人の教えを「そんなに頑張らなくても救われるんじゃね?」と、教えて回ったから「異端」として処刑されました。
時代によれば「星じゃなくて、俺たちが回ってるんでね?」と主張したら処刑されました。
それと一緒ですね。
ちょっと悲惨なのでもっと身近な例えでいうと、
「じゃがいも」
規格を誰かが決めて、生産者はその規格と照らし合わせて出荷し、規格外のものは廃棄されます。味も栄養素も変わらないのに、です。
そして規格はその「誰か」によっていかようにも変わる。
あなたも私もじゃがいも。「誰か」の一声で出荷もされれば、異端となり廃棄もされるのです。
じゃがいもに例えても悲惨だなあ…
じゃあ、どうするの?
それなら僕たちは、そんな悲惨な法の中で生きていくしかないのでしょうか。
他人が決めた法なんてものはいわば檻です。そこからはみ出ることは許されない。
その檻から出れずに、価値観の違いから「異端」として辛い思いをして生きていくしかないのでしょうか。
違います。
外で遊んでる人がいるのなら、頑張れば檻から抜け出す方法もあるはずです。
ということで、、
レッツ!プリズン・ブレイク!
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