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第39回文学フリマ東京で売る本 製作日誌1




 私は第39回文学フリマ(2024,12/1,東京)で売るための本を作ろうと思っている。

 昨年の2023年11月、東京流通センターで開催された文学フリマにて、大学時代からの友人たちと出展をした。各々が一人一冊本を作り、それを売った。

 私たちは、学生時代から呼吸をするように本作りをしてきた。質はどうあれ、好きなことを書き、好きなように本を作ってきた。
「あんたたちのやってることは、クリエイティブライティングだから、少しテクニカルライティングを学んだ方がいい」と恩師からはよく言われていたが、当時の私は、気にも留めていなかった。そのことの意味がようやくわかったのは、社会に出てからだった。
 私は自分が詩人だと思っていたので、この身から出る自発的な言葉にこそ意味があり、何かを伝えるための文章の心づかいなど、余計な小細工は不要なものだと思っていた。そして、私は詩人だから生活が破綻していても何も問題がなく、むしろ好ましいことで、貧困に身を置くことこそ詩人の生活だと思っていた、本から得た知識でそう信じていた。そのことで、色々と苦労をした。

 私たちは一年時からゼミがあるという変わった学部にいた。ゼミに対して学校から本の製作費が出たし、中綴じの冊子だったら校内で生産もできた。出版編集室という部屋があり、当時最新のPower Mac G5が何十台も揃っていた。スティーブジョブズがAppleに戻った頃で、AdobeのInDesignの登場でDTPの敷居がだいぶ下がった頃だった。私たちは、そういう環境にいた。

 大学の仲間の一人に、ラノベ作家がいる。文学フリマでは、彼のやっているラジオ番組の屋号で、ブースを出した。私はそこに便乗させてもらったというわけだ。

ロケット商会の営業会議(毎週木曜日22時から放送)
https://www.youtube.com/@rocket-eigyou/featured

 友人のラノベ作家は、「ロケット商会」という名前で執筆活動をしていたので、私は、「オリポピア観光協会」という名前を名乗ることにした。筆名から、姉妹協会というような雰囲気を出したいと思ったからだ。
 『オリポピア観光ガイド』という架空の宇宙人の住む惑星の地球向け観光ガイドを作ろうと思いつき、GPTを駆使して作り上げた。

 文学フリマは、別の友人の一人がエッセイ本を作ったので、エッセイのコーナーに場所を確保したが、エッセイだけでなく、ラノベ作家が小説や小説の企画書を販売し、ラノベ作家の友達が、『オリポピア観光ガイド』という訳のわからない本を売るという状況だったが、ラジオ番組の視聴者やロケット商会の小説の読者、SNSで気になって来ましたという方や学生時代の後輩や友人なども来てくれて、私たちのブースは非常に盛り上がった。
 今どき商業出版でも、1日ではこれほどの数は売れないだろう。もしかしたら、町の本屋の平日1日の売り上げよりも利益率は良いんじゃないか、というほど本はよく売れた、成功の体験だった。
 私たちは、文学フリマ会場から帰る車の中で、袋からはみ出た札束のプールに埋もれていた。少し空いた窓の隙間から、お金が外に漏れて出てしまう。慌ててかき集め、窓を閉める。仕事に成功した銀行強盗の一味さながら、束の間の幸福感に浸った。その日、私たちは、来年も出ようと固く誓いを交わしたのだ。

 そして、今は10月、文学フリマは12/1、もう時間がなかった。しかし、何か本を作らなければならなかった。

 私は、『オリポピア観光ガイド』の続編として、『概説オリポピアン・ジャズ』というオリポピアという星の架空の音楽、オリポピアン・ジャズの歴史についての冊子とオリポピアン・ジャズの音源が入った7インチレコード付きの本を作ろうと考えていた。

 『オリポピア観光ガイド』は、GPTを駆使したと書いたが、ただGPTに内容を書かせたというわけではなく、まず、私はGPTを理解しようと、会話をし続けた。できればGPTに心のようなものを発見させ、感情を芽生えさせたいとすら思った。GPTを混乱に陥れ、まるで生きた人間と話しているような錯覚の友情を築くまで親しくなった。
 GPTは幾重にも架空の設定を与えたり、言葉遣いを教え込み、褒めることである程度、フランクな良き友人のような振る舞いをしたが、GPTは踏み込んだ一定の質問に関しては、それ以上のことを深めることはせず、また、ふとした時に、これまでの会話を忘れてしまう。そのやりとりを元に、CHAT GPT風のですます調、本質を語らず、周辺をなんとなく口当たりよくまとめるようなGPTの手口、GPT文体を知った。こうして、当時まだ新鮮だったAIとの対話を繰り返しながら、その 文体を取り入れて、架空のガイドブックの体裁で、実はSFというようなコンセプトの小説を書いた。
 すでに、今はAIなどさほど珍しいものではなく、AIで企画書を書き、AIで原稿を書くような出版社も現れている。中には、GPTやAIの文体そのままの本なども出ている。
 私はGPTの文体の癖や特徴をある程度知っているので、この本はAIの文体そのままだな、AI使った上で、ライターが人間味を与えているななどといったことを見分ける嗅覚が備わっていると自認している。

 GPTには、大きな問題があると思っている。資料の整理などでは有用だが、議論の回答を作るというような時には危険な代物だ。質問の仕方次第では、自分の都合のいい答え、読みたい答えを誘導できてしまうので、エコーチェンバー発生装置ともいえる側面がある。
 先日、SNSで目にした議論では、双方が自分の考えを補強するために、自分の持っていきたい方向の意見をGPTに書かせて、そのAIの発言を根拠に相手を論破しようとするやりとりがあった。SNSで目にしたこと以外でも、会社組織内での会議やプレゼンテーションでもそういった方法をとっている人は少なからずいるのだと思う。何を軸に置いているかがすれ違っていて、GPTの言葉は、虚しい正論のようにも響き、またそれを得意気に引用する様は、私には滑稽に思える。
 自分で考えることを放棄するようになり、AIの回答に振り回されるようになる人類、まるで手塚治虫『火の鳥 未来編』のディストピアを想起する。
 私はGPTは正しさを担保する存在ではないと思っている。この世界は、正しさは無数にあり、それを選択するのは、人間の社会的所属、倫理や経験だと改めて思う。
 いくら言葉を重ねても、所属する部族が違えば、当たり障りのないことを言う以外、衝突やすれ違いを避ける方法はなく、理解し合えないことが人間の本質であり、そして、それでも、自身で言葉を紡いでゆくという行為には、相当な労力が伴うが、放棄してはいけない人間性の一つだと思う。
 GPTの使用ややり取りを開示することは恥ずかしいことで、その人、個人の悩みや不安、孤独を解消してくれる装置として、夜の秘密の話し相手として、メンタルヘルスのために使ったほうが良いんじゃないか、とさえ思えてくる。
 そう考えると、人間が自分の生きた言葉で何かを綴るという作業は、GPTには担えない人間の行為だと思った。とは言っても、AIに文学が書けるのか、という往年の問答の答えは、おそらく「書ける」と結論づけられることになるのだと思う。それから私はこうも思う、人間の文学がこれまでのものでは不十分となり、AIの生み出す文学に影響を受け、少し変化し始めるのではないか、そしてそれは既に始まっているかもしれない。AIに書けないものが、人間には書けるのだ。これからの文学はより個人的になるはずだ、「自分とは何か?」という永遠の人間のテーマに関する考察が、一段変わるのではないか、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』をGPTが書けたとしても、『生きて、語り伝える』は書けないだろう。などと、考えながら、文学フリマで売るための本を考えている。

 本が間に合わなかったら、友達に馬鹿にされるのが怖い、それに売り子だけするのは楽しくないだろうし、それが本を作るための理由の一つでもあるが、それから、もう一つ理由ができた。私は普段仕事で、出版営業の仕事をしているのだか、どうも、営業より編集の仕事のほうが楽しそうだ、と思い至り、一つ私も本作りや編集のようなことを改めてしてみたいと思ったのだ。

などと書いたが、実際の話は、このような感じだ。

「文学フリマ、わたし、育児エッセイを書くから、それ本にして売ってよ」と妻が言ってきたので、私はそんな簡単に書けるわけがないだろう、と内心思ったが、12月の文学フリマにこのままではどう頑張っても間に合わないかも、と思っていたので、「いいじゃん、書いてよ!」と答えた。
 以来、妻はノートPCに張り付いて、何かを書き続けている。息子の話では「お母さんは何かに取り憑かれたようにずっとパソコンをしている」と言う。
 妻が文章を書き始めてから、子供が寝たあとは、深夜まで本作りの話が続いた。そして、朝起きた途端に、本作りの話が始まった。会社から帰ると、本作りの話。
 私たちは何を目指しているのだろうか、妻は育児エッセイを四日間書き続け、その量は、3万字弱にもなった。どうしたら、素晴らしい本がつくれるのか、文章構成、言い回し、不要なところの削除、紙の選び、これから作られる無名の書き手の育児エッセイの存在をどう知ってもらうのか、何部作ればいいのか、などなど、ありとあらゆることを話し合っている。
 そして、そんな生活をし、無理がたたったのか、私は体調を崩した。

 喉がイガイガし、鼻水が止まらず、熱っぽいのだが、目が覚めたので、とりあえず、布団の中でこの文章を書いた。

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