北原慶昭

録音ミキサーとして、ながいこと映像制作に携わってきました。高円寺の「一徳バンド」のギターと雑用もやっています。これまで書いてきたものをnoteにまとめようと思いました。

北原慶昭

録音ミキサーとして、ながいこと映像制作に携わってきました。高円寺の「一徳バンド」のギターと雑用もやっています。これまで書いてきたものをnoteにまとめようと思いました。

マガジン

  • 2023

    2023年。じんわりやんわりと「コロナ後」がやってきた。暑いなかでもマスクを手放せないひともまだ多い。きわめて日本的な横滑り。あいまいさとばんやりとした霧のなか、統一教会やジャニーズ事務所の問題が、ぼやけた頭の上を通り過ぎようとしている。

  • 映画と印象

    レビューでも評論でもありません。話題のロードショー作品もあまり観ないので、ほとんどなにかの参考になったりしません。役に立たないけれど、映画や映画館にまつわる出来事や印象を書いてきました。それをまとめたマガジンです。

  • 2022

    ロシアのウクライナへの軍事侵攻。生々しい戦争のすがたを目の当たりにして、新型ウイルスばかりでなく、核兵器使用にもおびえることとなった年だった。世界はまぎがいなく混沌へと向かっている。なにが起こるかわからないそれは、いつも突然やってくる。

  • 戦争とことば

    戦争について書いてきた断片をここにまとめておこうと思います。過去の戦争、海の向こうの戦争、これからの戦争について。戦争を意識しないでいられる日のために、どんなことばを発したらいいかを考えます。

  • 短編創作

    長い物語を書く体力がないと実感しています。また長い物語を読む気力もありません。短くて完結するものが好きというのもあります。そんな短編創作をマガジンにしました。

最近の記事

イノベーション

今年に入っていわゆるえらいひと、大学の総長やら、大企業の取締役などが、特に若い人に向けてメッセージを伝える機会に立ちあうことがなんどかあった。やはりいろいろと勝ち抜いてきたひたたちだけあって話の内容はおもしろく、ことばにもそれなりの重みがある。 壇上のえらいひとたちはみな一様に、これからを担う若い人たちには「イノベーション」を起こしてほしいと結ぶ。決まり文句のようだけれど、いまある閉塞したこの国の社会状況を根本から打開する変革や改革、そして独自性のある新しい基軸を強く求めて

    • 英語

      予算や規模の小さい映画、自主映画、学生映画などを観る機会が増えた。今年にはいってからも撮影実習で講師をした専門学校の自主制作を丸一日かけて観たり、S.T.E.P(大学連携による映画人育成のための上映会)にでかけたりした。 映画館でも、少人数で撮影された作品に目がいくようになった。これは自分にとって新しい映画体験ということもあり、おもしろくとても楽しめる時間である。けれども、こうした小さな映画たちを観て、少しだけ澱のようなものが残るのは否めなかった。ただそれがなんだろうかとい

      • 読了

        辺見庸の新刊「入り江の幻影」を読了した。灰色の帯には「諸君、戦争である。入り江に地獄の叫びが響く。」と、仰々しくある。 購入したのが、熊本から一時的に帰ってきた八月のなかばだから、この167頁を二ヶ月半かけて味わったことになる。小皿にとった南京豆を前歯をつかってコリコリと喰むように、ゆっくりと、行きつ戻りつ噛みしめた。収録の多くが、唯一の連載であった、雑誌「生活と自治」の「新・反時代のパンセ」からの考察である。つまりすでに読んでいるわけなのだが、なぜかはじめてのように驚き、

        • リアリティの温度

          映画ってすごいなと思うときがあって、それはどういうときかというと、好みとかが一瞬にして変えられていることに気づくとき。 食べ物だと、以前はじゃがいもが嫌だった。そのパサパサした食感とか中途半端な味とか、口のなかの水分奪われるようで、どうにも食べるのを敬遠していた。 で、あるとき「ニーチェの馬」っていう映画を観て、それはただただ親子でじゃがいもを食べるだけの映画なんだけれど、観終わったらもう、それこそいますぐにでもじゃがいもが食べたくてしかたがなくなるくらい好きになっていた。

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        • 2023
          10本
        • 映画と印象
          51本
        • 2022
          20本
        • 戦争とことば
          16本
        • 2021
          23本
        • 短編創作
          17本

        記事

          オダギリジョーの眼

          原一男監督が厳しく指摘、批判している通り、「月」にはどこか根本的な瑕疵がある。けれどもそこをあげつらうことで「月」を貶めることをしたくないと思わせるのは、ほかでもないオダギリジョーの存在があるからだ。 オダギリジョーをいつまでも観ていたいと思う。いつもそう思う。その理由は、彼の眼にあると、「月」という映画で気がついた。 オダギリジョーの眼にはどこまでも力がない。どこを見ているのか、なにを見ているのかがまったくわからないのだ。だから自然とその目線の先を想像してしまう。そのはか

          オダギリジョーの眼

          「月」を観た

          11月の「死刑囚表現展2023」に先立って、先日そのいくつかの作品を見る機会があった。植松聖さんは5枚の色紙に太くて力強い文字をびっしりと並べ、外に向けてことばを発していた。 死刑が確定した瞬間に、外部とのつながりが遮断される。年に一度の「死刑囚表現展」は、かそけき小さな穴からの声を聴くことができる稀有な場だ。 朱の大きな、自身の手形を背景に、太い字でこう書きはじめる。 死刑反対者は「殺人だ!」といいますが、<人とは何か>を考えなければいけません。 辺見庸の「月」では、重

          「月」を観た

          「白鍵と黒鍵の間に」

          1988年といえば、長いこといた大学を途中で辞め、映画の現場をガムテープやら両面テープをウエストバックにぶらさげてヒーヒー言っていたころだ。 大学のジャズ研には3年ほどいた。あまり熱心ではないうえに、金が貯まると2ヶ月単位でアジアの国にでかけていないことが多く、覚えていることもたくさんはない。 増尾好秋さんがふらっと音楽長屋の部室に現れて、学生たちとセッションをしたときのことは印象深い。あのときの「アナザーユー」は鮮烈だった。 映画の撮影でエキストラ出演したこともあった。「

          「白鍵と黒鍵の間に」

          チャーハン物語

          町中華が好きでよくいく。いつも定食ばかり食べる。チャーハンはたのまない。チャーハンは好きなのだけれど、同じ味を食べ続けるというのが、どうにもいけないみたいなのだ。 似た理由でオムライスやもり蕎麦も注文しない。なにかと合わせるならだいじょうぶで、たとえば酢豚にチャーハンだとか、カツ丼と蕎麦とか、ハンバーグがついたオムライスというふうになっているとこれは問題ない。 食べるときにいろいろと考えたいらしい。たとえば定食のように、生姜焼きがあって、付け合わせのポテサラやキャベツ、お新

          チャーハン物語

          でてくる顔

          映画館で働くことを想像する。そこにはいろんな仕事があるだろうけど、一番興味があるのは、上映後のお客さんの様子を見ることだ。扉をあけて、次々とでてくる顔を、まんじりというわけにはいかないから、お辞儀をしながら、ちらっと見る。するといま観た映画の印象が素直な表情となって伝わってくる。 目を腫らしてしていたり、微笑んでいたり、驚いていたり、あるときは金返せとでもいわんばかりの怒った顔もあったりするだろう。のちのちの頭でまとめてからの批評もいいけれど、でてくる顔こそが、いま体験した

          でてくる顔

          日の丸

          以前は日の丸の旗をみつけると、目を背けるというか、どこか忌み嫌う気持ちが湧いたけれど、最近はそれがまったくといっていいくらいなくなった。それどころか、日の丸を見つけると、つい撮りたくなってスマホのカメラを向けている。そんなになんでも写真を撮るほうではないので、撮りたいと思わせるなにかが、この旗にあるのだろうと思う。 この心持ちの変化は急なことではない。おそらくもう何年も前から、日の丸の旗を取り巻く歴史や物語に以前ほど過敏でなくなって、感じることがなくなっていたようだ。 とこ

          千秋楽

           昨晩は「夜明けの夫婦」の都内ラスト上映を観てきました。これで五回目ですが、いままでにないたくさんのお客さんがいて、びっくりしました。ポレポレ東中野がほぼ満員ではないですか。 「夜明けの夫婦」は、観るたびにほんの少しずつ幸せになる映画です。とはいえ、たいがいは一度しか観ないわけですから、ぼくのなかにあるへんな多幸感はなかなか説明しづらいです。  終映の瞬間、ひとり心のなかで拍手をしていました。それが一体だれに向かってとか、なにに対してかはわかりませんでした。  うっすらと明

          統一教会のこと

          「統一教会」ときくと、ビクっとして身構えてしまう。おそらく1980年代に大学生だったひとには、その独特な感触をわかってもらえるかと思います。当時、いかにその勢力が実害として学生生活を脅かしていたことか。そのことを思い出しては、怖気立つのです。  当時、大切な友人を「原理研」にとられました。あれほどまでに憧れていた早稲田大学での生活を、「原理研」のせいでたった一年で終えなければならなかった、その悔しさはいまになっても残っています。  元総理大臣が模造銃で撃たれ、死亡しました。

          統一教会のこと

          ピカデリー

           ピカデリーといえば、映画館の一大ブランドだ。座席も設備もワールドクラス。一番の環境で映画を観ることができる。たとえ一週間であっても、新宿ピカデリーのスクリーンにかかるというのは、とても名誉なことだ。 「夜明けの夫婦」はいろんな意味で、小さな映画だ。予算も規模も機材も小さく、関わるひとも極端に少ない。新宿ピカデリーとは真反対の映画かもしれない。これは配給会社スターサンズの河村さんが遺してくれた機会なのだろうか。いずれ最高の上映環境を享受すべく、新宿にでかけた。  一日に四

          ピカデリー

          少子化

           結婚した当初、ほんのちょっとだが、こどもを作るかどうかと話しあったことがある。バブル経済があやしくなってきたとはいえ、まだまだ上り調子の気運が漂っていたころであった。しかしこれから先はずいぶんとひどい時代になるという予感は、多くのひとの潜在下にあったような気がする。  日本の経済は間違いなく停滞するだろうし、超がつく高齢化社会もやってくる。世界秩序は不安定だし、環境破壊に起因する地球そのものの寿命もどうなるやらで、90年代初頭、忙しさに紛れながらも、どこか未来に対する根本的

          悲しき中央線

           20時すぎ、仕事を終えて戸田公園駅のホームにあがったところで、ちょうど新宿に向かう埼京線が走り去った。次は何時かといまだ夕飯を食べていない腹をさすりながら掲示板を見上げる。時間の下に流れる文字が振替輸送とでてきた。どうやら電車がまた止まっているらしい。  ホームの突端に行こうと歩き出して、もういちど掲示板を振り返った。こんどは、中央線で人身事故と流れてきた。止まっていたのは、まさにぼくが乗って帰ろうとする電車だった。  そのままスマホを取り出し、Twitterを見る。つい数

          悲しき中央線

          お決まりのコース

           もともとがたいへん保守的な性格なのか、あまり冒険はしないで、いちど決めたことをなんども反復する。休日の過ごしかたもしかりだ。  朝はかわらず六時に食べるものの、きょうは軽くにすます。というのも、十時半には、新大久保の「でりかおんどる」で定番のユッケジャンを食べるからだ。この店は十一時前にはいらないとすぐに満席になる人気店で、ほぼ女子がテーブルを占拠する。おかわり自由のパンチャン六種がついてたっぷりのユッケジャンとごはんで八百円ちょっとは、ほんとうに満足。  がつがつ食べて、

          お決まりのコース