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タイパ批判に対する批判

タイパを究極的に考えるなら今すぐ死んだ方がいいという言説に対する批判

皆さんは、タァイムプァフォーマンスゥ(通称タイパ)という言葉をご存知ですか?

要するに、費用対効果(払った費用の額に応じた効果を求める)の費用という意味を、物理的な金融資本(貨幣)でなく、それを生み出す時間という資本に焦点を絞った言葉です。

タイパ批判の言説に、「本当にタイパを考えるならば、究極的に言えば今すぐ死んだ方が良い。」という言葉がよく言われています。

究極的に言えばと予防線を張れば、普段中庸を気取り、両極端な思想を批判している人でさえ、極端な前提に基づく自殺教唆を嬉々として行うのです。

それに対し少しの不快感を覚えますが、「究極的に」という前提の上ですから、論理的な整合性を持ち、発言としての矛盾も無く道徳的にも批判する事ができません。

タイパという合理性を求める冷酷な非人間的ワードを使う人間は、公共性に配慮しない市場の理論だけで、物を考える利己主義者のリバタリアンだというのが、「究極的に」という言葉が示している前提条件なのだと言われれば

しかし、利己か利他という問題は、内心の問題であり幾らでも詐称可能です。人殺しでさえも、誰かの為にやった利他的行動だと主張する事が可能で、その真偽は誰にも証明不可能です。

利己か利他を見分ける為に、客観的指標として、功利主義を持ち出せば良いと思うかもしれません。全体的な幸福の純利益が最大化される選択が、利他的であると定義すれば、便宜上、分別出来ると思うかもしれません。

物質的な指標だけで見ればそれも可能でしょう。

しかし幸福の定義は変わっていくもので、現在主流の考え方では幸福度を計るために、金融資本(実際のお金)だけでなく、コミニティ資本や、自己実現を行う為に必要な人的資本(知識•教養)が満たされている事が幸福な状態だと言われています。

様々な要素が複合的に組み合わさって生まれる幸福という現象に対して、一つ一つの行動が全体の幸福に与える影響を具体的に数値化する事なんて、不可能なのです。

これは、「究極的に」に含まれている前提の卑怯さを批判しているだけで、発言内容自体は間違ったものだとは言えません。

とは言っても少し不愉快なので、「おいっお前、楽しそうで非常に結構!いや〜微笑ましいなぁっ!」と全く無意味な余裕アピールをして、マウントを取っておく事にします。

タイパ流行の背景に迫る


タイパという言葉自体が頻繁に使われ出した事は最近だとしても、その概念や発想自体は元からあったものです。

当初はビジネス界隈のマイナーなネットスラングの一種であり、その言葉が時代のニーズを現す優秀なコピーライティングであるとされ、流行しています。

タイパという言葉が世間に浸透した要因は、ビジネス系インフルエンサーに乗っかり、Webライター、広告代理店が感情を煽りやすいバズワードとして多用し、広めたからです。

現在は、AIの普及によって計算コストが下がった為に、個人レベルのニッチなニーズに対応できる様になった過渡期の最適化社会だと言われています。

動画サイトから通販サイトに至るまで、意識せずとも生活の中で、アルゴリズム(AI)によって、自動でニーズを察知し、個別最適化されたコンテンツや商品が推奨され、それを消費させられています。

懸念点として挙げられるのは、主体性を持ってアルゴリズムを調整しようとしなければ、自身のニーズが十分に反映されない場合があるという事です。

企業やクリエイターは売りたい、見せたいコンテンツを多く提供するのですから、それを選り好みせずに受け取っていると、発信者側のニーズに都合良く、消費者のニーズが作り替えられる事になります。

これでは最適化された状態であるとは言えません。特段見たくない/欲しくない商品やコンテンツが流れてきた場合、ブロック機能の使用や、流れて欲しいコンテンツを検索して能動的に選び取る事で、自身の変化に合わせてアルゴリズムが新陳代謝を繰り返し、初めて正常に機能します。


映像作品を倍速視聴しても良い


要するにその間が無ければ、その映像作品の情緒や風情を感じにくく、鑑賞体験の質が下がるという主張です。

倍速視聴する事で、多くの作品を短時間で見れるメリットよりも、一つ一つの鑑賞体験の質が下がるデメリットを重くみるという価値判断に基づいています。

情緒や風情という概念は、曖昧で抽象的な価値です。数値化出来るものでは無いからといって、鑑賞体験への影響を、他の諸要素より高く評価し、情緒や風情という概念を権威化するのは間違いです。

そもそも、娯楽に効率を求めるのは、資本主義が強いる競争原理が、娯楽にまで及んでしまったという見方もできるでしょう。

そうならば、倍速視聴という行為自体が、資本主義によって、やりたくもない事をやらされているのだという主張も存在します。

しかし、サブスクリプションサービスの普及によって、気軽に倍速視聴できる様になり、元々存在した、速く沢山消費したいというニーズが、可視化され広がっただけかもしれません。

それを重視しない人にとって、倍速で視聴する事が、その人にとってより自身のニーズに最適化された選択(情緒や風情以外の要素を重視する消費)だという可能性は否定できないのです。

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